終章
三寒四温の春の訪れ、颯爽と現れた少女は、こちらを見つめる同級生の視線などものともせず、卒業証書を受け取った。背筋をしっかりと伸ばし、長い髪をさらさらと流す彼女は、あの事件以来、無断遅刻も欠席も、一度たりとも経験しなくなっていたが、近寄る同級生は更に減っていた。面と向かい、敵意をさらけ出すこともないが、以前よりも無言の距離は開き、十分離れた場所でクラスメイトたちは様々な憶測を語り合ったが、それらは全て空想にしか成りえない。
そんな空想たちに振り回される気配など微塵も持たず、彼女は重ねた三年間の証書を手に、通い続けた駅へ向かった。
出院の日、彼を迎えに来る家族はいなかった。晴れていても、じっとしていれば、未だに冷えを感じる三月の空気の中、あの日のジャケットを羽織り、後に道端で発見された鞄を肩にかけ、出て行った時と同じ格好の少年は、改札をくぐり、右目に差し込む初春の日差しに目を細める。左目を覆う痛々しい眼帯からは、白い傷がこめかみへと伸びており、負った傷の深さを物語っていた。
中央の南口。二階の高さから、一歩、一歩と足を落として階段を下る。人のまばらな平日、追い越す誰かも、追いつく人もいない階段を、少年は一段ずつ踏みしめて下りていく。
桜はまだ咲かない。三月の一日。時計台を持つ広場の周りは、しばらくすれば、つぼみが一斉に花開き、惜しげもなく花弁が散る桜並木だが、残念なことに、彼が視線を巡らせる先には、ようやっと冬を抜け出した安堵に耽り、花を咲かせることは一先ずおいた木々が、茶色の枝を伸ばすだけだった。
一度息をつき、噴水へ向けて広場を横切ろうと歩き出した彼は、時計台の前までたどり着いたとき、聞き覚えのある足音に、はたと立ち止まった。
皆が運動靴を履いていた中学校とは異なる、彼女だけが帰り道に聞かせていたローファーの足音。
息を呑んで、少年は少女を見つめた。
確かに歩いてくる彼女は、制服に通学鞄を肩にかけた姿のまま、彼の数歩前で立ち止まる。向かい合えば、少年は少しだけ背が伸びていたが、彼はまだ、少年のままだった。
「どうして……」
思いがけない彼女の姿に、彼の声は掠れてしまう。あの夜、もう二度と会うことはないと、会ってはいけないのだと、確かに決別の覚悟を決めた彼女の姿を一年半ぶりに目にし、何も言えないでいる少年に少女は微笑む。黒い革の財布や文庫本が入った鞄のチャックを少し開け、手を差し込み、先ほど受け取ったばかりのそれを取り出した。
卒業証書の入った、黒い一本の筒。
「私、広樹のおかげで、大人になれたんだ」
卒業したいと、彼に言った。その願いまで、彼は叶えてくれた。
だから今度は、自分が彼の願いを叶える番なのだと、彼女はあの日に出て行った場所まで、足を運んだのだ。
この物語は、決してバッドエンドではない。終わりでもない。仮に全てが終わってしまったのなら、ここからが、全ての始まりなのだと、教えるのだ。幸せな全ての始まりを、彼に伝えなければ。
「おかえり」
筒を抱き、制服の首を軽く傾げて少女が笑うと、少年も、あの頃と同じ穏やかさで、前髪に隠れない目を細めて笑った。
「ただいま」
少女の目尻を涙が伝う。だがそれは、不幸などには由来しない。辛い全てが終わり、幸せな全てが始まる。そんな涙は、優しい春の訪れへ緩やかに、雪のように溶けていった。




