大好き
長い一人語りに休符を付け、少年は細く長い息を吐くと、左腕を額に乗せる。半分だけ閉じた瞼の裏側で、ただ天井を見上げた。
「見ないだけでいいんだ。知らないふりをして、あと少しで出ていけば、みんな幸せになれる」
「あんたは幸せなの」
少年の幸せを祈る少女の台詞に、彼は目を合わせないまま、困ったふうに目を細くすると、表情だけで笑った。
「……多分」
「救いないね」
「現実なんて、そんなものだよ。ノンフィクションは、無慈悲で冷たいんだ」
仕様のないノンフィクションに生きる彼は、「だけど」と息を吐く。
「知ってるのに。それでもって、思っちゃうんだ。いつだって」
そう言って、目を閉じた。
瞼に瞳を隠し、彼が深く潜っていくのを彼女は知っている。深海へ沈むのではない、不本意に深度を深めるのではない、自ら水をかき、深く、深く潜ってしまう。誰の手も届かない、光もどんどん薄くなり、感じなくなる深海に。それでも、頭の上にあるはずの、どこまでも差し込む光を求め、顔を上げたまま。泳げない、歩くのがやっとな深い海の底を、たったひとりで。
細い指で彼女が頬をつついてやると、彼はゆっくりと目を開け、腕を額に乗っけたまま首を小さく曲げる。
「私たちって、どこかで血が繋がってたんだね」
「そういうことだね」
「無慈悲だよね」なんて喜ばしく、どこまでも非道な話だろう。
だがもしも、この世界とは違うどこか、二人が生きる、初めから真に幸せな世界線とやらが存在するのなら、きっと出会うことすらなかったのだ。
「ねえ、あんたが生まれたのって、十五年前のいつなの」
「誕生日? 八月十日」
「ふーん。なるほどね」
訝しげな顔に、少女はにやりと口の端を歪めてみせた。
「暑い日だったね」
「そりゃあ、真夏だからね……。何言ってるの」
「私、覚えてるし」
目を丸くし、仰天を露にした少年は、普段同様その瞳を穏やかに細め、小さく笑った。
「覚えてるわけないよ。だって、あなたは二歳だよ。物心なんて、まだまだつかない歳だし」
「馬鹿にしてるな」そう、正論を唱える少年の鼻先を、少女は細い人差し指で軽くつつく。
「私の成績がどんだけ優秀か知らないくせに、舐めんなよ。常人の常識が当てはまると思うな」
「そんなことまで言ってないよ」
鼻先を軽く手でかき、少年は首を傾げて頬でシーツを擦った。彼女の真意が汲み取れず、当時、生まれたての自分が持つはずのない記憶の糸を、懸命にたぐり、それでも先に何もついてこないもどかしさを感じる。
「覚えてるって、何を覚えてるの。その日になにかあったの」
「なんかね、ずっと笑ってた。そんだけ覚えてる」嘘じゃないという風に、彼女は笑みを見せた。
「なにそれ」
「一日中笑ってた記憶だけある。嘘じゃないから」
「……うそ」口を尖らせる少年は、少女の大好きな穏やかさで笑ってみせた。
「だまれ」
「うそつき」
「だまれよ」
黙らずに、嘘つきと繰り返し、頬を緩める彼に、実力行使だと少女は正面から抱きついた。ぱっと背を向けてしまう彼の脇腹に手をやり、足を絡めて逃げられないようにすると、たちまち耐えられない笑い声が聞こえてくる。更に首元に手をやると、くすぐったさに首を曲げ、抵抗しようと伸ばしてくる手を無視して脇に触れると、もう降参だという声がした。
「だめ、嘘つきとかいいやがった」
「嘘だよ、ごめんってば」
「やーだ、許さない」
二人は、幼い子どものように笑い、転げ回った。背負ってしまった、重すぎる、暗すぎる全てを、今この瞬間だけは思考から消し去り、ただ、一つの想いだけを通じて声を上げて笑う。
大好き。
それがふたりの全て。大好きだから、全てを共にするためにここにいて、今一緒に笑っている。それだけでいいんだと、もう少しだけ、少女と少年は柔らかなベッドで無邪気に身を寄せ合った。




