あと、少しだけでも 2
「あんた、こういうとこ、あんま来ないでしょ。普段」
ピクルスの酸っぱさを舌に感じながら、ちびちびとコーラを喉に流す少年に問いかけると、彼は少し考え、首を軽く横に振った。
「時々、きますよ」
「ひとりで」
「勿論」
もはやその台詞に、二人は寂しさなど感じない。
学校からの帰りが遅くなってしまった日、更に気が向いた日、少年は一人で体に悪い夕飯をとり、自宅とは異なる空気の場所で宿題を終える。
「そうすれば、一人分、夕飯もつくらなくてすむから」
その事実の悲しさを、二人は知っている。知っているから、「ばかだね」と少女は返し、「そうですね」と少年は返し、肩を竦めて笑い合った。帰りたい場所に、安堵できる居場所のない彼らには、それ以上の言葉は必要ではなかった。
楽しい時間ほど、短く早く過ぎていくことは、人の持つ最大の不幸だという文句は、まさに正しかったのだと少女は噛み締めた。国語の模試、大問一の文章だっただろうか。あの時は、曖昧に読み解き良い点を取ったが、今ならばより深く共感できる。百点満点の百二十点でも取れるはずだ。
店を出た時刻は、既に十時半を回っていた。精々一時間程度のつもりが、二時間以上も経過していたのに、二人ともちっとも気づかなかったのだ。
「やだね、田舎って。終電さえも空気読まないとか。折角住民の平均年齢下げてやってんのに」
「間に合いますか」
「ぎり。いや、微妙」
駆け足で人混みを抜けようと試みるが、全く人の減ったように見えない大通りは思うように走り抜けられない。他人にぶつかり怪我をさせれば、一層望まない結果になると、周りに注意を払えば払うほど、スピードは落ちてしまう。ぶつかって逃げる通り魔になっても、この街にいる限り、逃げ場などあるはずがない。
ようやっと、南口の広場、時計台前の噴水までたどり着くと、息さえ切らさずに済んだが、肩で大きく呼吸をしながら、彼女は腕時計をした彼に時間を尋ねる。あと三分で、自宅方面へ向かう最終電車が出てしまう。それ以降は、目的の駅の前を終点としている電車ばかりだ。
「急いで、転ばないでくださいね」
「転ばないよ。子どもじゃないんだから」
今朝確認した時間が覚え違いである可能性を考え、スマートフォンで時刻表を引っ張り出した少女は、育ち悪く舌打ちした。
「怪我、しないでください」
「しないってば。何だと思ってんの、私のこと」
あと二分。子どもじみた心配をする彼が、なんだか情けなく眉尻を下げているのが、駅のホームからあふれる光と、傍の街灯が投げかける明かりの中でようやく見えた。
あと少し、言いたいことがあった。今日のこと。楽しかった。本当に楽しくて嬉しくて、絶対に忘れたくない、忘れない日になった。
だが、その思いを綺麗にまとめる時間も、とりとめないまま並べ立てる時間も、今となっては残されていない。あと十分だけでも早く気づけていたらと、今更の後悔だけがぽつんと残る心で、彼女は右手を上げかける。さよならではなく、またねの印。
「あの」
静かな彼が、静かな声を大きくして、真っ直ぐに顔を向けるのに、彼女は踏み出しかけた足を止める。
「なに」
時間がないのは十分に分かってるはずなのに、何故そんなにも必死な顔をするんだ。そう思ったから、彼女は時間がない苛立ちよりも、不思議さを抱いて彼に向き合った。彼の真剣さに、どこかで見た真面目さと、気の張りように、既視感を覚えた。
「時間が、なかったら……」
「時間なんてないよ、分かってるでしょ」
「ぼくが、送っていきます」
今の彼の姿は、数時間前、キスをした時に見せた、少女の知らない緊張を抱いた顔つきと類似していた。彼女の既視感の正体は、思いを告げる真剣さ、初めて声を荒げ、彼女の不幸を嘆いて怒る気の張った姿だった。幾ばくかの情けなさを勇気で包み覆い尽くしたのが、今の姿だった。
少しでも 一緒にいたい。思うことは、彼も同じだった。




