深海 2
良く言えば純粋で、悪く言えば無知な彼は、彼女が笑ってしまいそうになるほど不器用で精一杯だった。ここまできて、少女の肌に触れることに戸惑い、恐る恐る手を伸ばした。
「あんたは初めてでも、あたしは初めてじゃないんだから」
くすくすと笑い、少女は彼の腕に触れる。
彼が触れた肌が温かい。いや、熱い。彼の手の形を、肌に永遠に残しておきたいと思いながら、少女は天井に目をやった。そこに、いつもの木板はない。その幻覚を見る気にもならない。少しでも、この景色を瞼の裏に残しておきたい、感覚を覚えていたい、聞こえるものを鼓膜の奥へ閉じ込めていたい。
そうして、やっと気がついた。体力があるはずの少年は、音を立てずに切らせる息の間で、数度同じ言葉を重ねていた。
「痛くない?」
心配そうな声音に、言葉の意味を理解できず、少女は小首を傾げる。痛くない、一体、何が痛くないんだろう。「大丈夫?」また聞いた。どうしてそんなに、不安そうな顔で見つめるのか。
考えて、やっと少女は自分の体に小さな痛みがあることに気がついた。ただそれは、脳まで届く痛みなどではなく、物理的に与えられるだけで、感情と切り離す努力をしなくとも、言われなければ気づくことさえできない痛みだった。こんなに柔らかな痛みを、少女は知らなかった。
「へたっぴ」
笑ってやると、彼は怒るよりも、済まなさそうな、情けない表情を見せる。
「痛くなんてないよ」
「本当に?」
「本当に。ほんとのほんと」
安心させるように、腕を伸ばして、覆いかぶさる彼の頬を包み、髪をかきあげた。痛いかなどと問われたことは、少女はこれまでただの一度もなく、だからこそ、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
下から、赤らんだ彼の顔を眺める。小さく口を開け、細かな呼吸を繰り返している。深い瞳が、じっと自分を見つめている。指に絡まる、柔らかな髪。
痩せた肩へ伸ばした腕で、その背に触れて抱き寄せると、彼もゆっくりと体を倒す。
一層強く聞こえる、心臓の音。ようやく緊張の抜けた体は、火照っていて熱い。苦しそうに呼吸をする度に、背中が大きく上下する。殺そうとしている荒い呼吸が耳にかかる。頬に触れる髪から微かにシャンプーの匂いがする。
少し汗ばんだ彼の背を、少女は黙って抱きしめた。これが本当なのだと、自分に強く言い聞かせる。行為の名称は同じなのに、全ての感覚がいつもと違う。
手を伸ばしたのは、初めてだった。自然に手が伸びていた。こんなに幸せなことなんだ。頬に頬を押し当てて、少女は少年を抱きしめた。