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深海の星空  作者: ふあ
邂逅
11/63

不自由 3

 少女にとっては、全てどうでもいい話だったが、実に気分の悪い記憶は現実として残っている。あれからまだ、三ヶ月しか経っていないのか。それなのに、両隣のAとBの顔は変わっている。いやにうつむいているAも、勝気そうなBも、その名はまだ覚えるに至っていない。

「あのね、桜庭さん、確認したいことがあるんだけど」

 そう言って、栗本幸子はきょろきょろと周囲を確認しているが、二組ほど残っているカースト低下層のグループの存在は問題には値しないらしい。

「いいよ、さっちん……」

 消え入りそうな声でAが言う。

「よくないよ」

 何も口を挟まないまま始まる茶番に、少女は若干苛立ちを覚えた。

「なに」

「単刀直入に言うよ、井上君のこと、どう思ってんの」

 それが誰なのか、瞬時に思い出せない少女の様子は、女子生徒たちにとって鼻につくものだった。

「サッカー部の」

 ああ、と少女は頷いた。挨拶のうるさい奴だ。

「はっきりさせてあげなよ」

「はっきりって、何が」

「だから、好きか嫌いか、言ってあげなよってこと」

 眉を顰める相手に、少女も訝しげな表情を返す。

「私が、井上のこと?」

 あの男子生徒が、自分に多少の気を持っていることぐらい、少女はとっくに気がついていた。だが、そこに自分が責められる理由があるとは思えなかった。

「別に、好きでも嫌いでもないのに、言うことなんてないよ」

 Aは顔を一層歪める。それを慰めるように栗本幸子が肩を抱いて頭を撫で、Bはこれ見よがしに顔を顰めた。

「それなら、尚更言ってあげなよ、井上君だって不憫だし、みっちーも可哀想じゃんか」

 Bの言葉から、Aのあだ名を知る。道子とでもいう名前だったか。

「何も言ってない内から、嫌いだなんて言われる方が、不憫じゃないの」

 少女は、至極正論を唱えたつもりだったし、間違いだとも思わなかった。毎朝挨拶をし、珠に記憶にすら残らない会話をする相手に、別に好きではないとしても、わざわざ何も言われていない内から、嫌いだと言い放つ理由が見つからない。そんな自意識過剰な真似などしたくもない。

「桜庭さんもメッセージ読んだでしょ。みっちー、ほんとに勇気出したのに」

 そうして栗本幸子に睨まれ、ようやく少女は思いだした。

「既読の数、ちゃんと人数分あったんだから」

 自分が送ったメッセージを、何人が目にしたのかが、本人には分かってしまうという、便利と不便を見事に備えたアプリケーションのシステムに、ほとほと嫌気がさした。そうして、文面ではクラスの女子生徒全員に、余計な心情をさらけ出すくせに、現実ではめそめそと下を向いている、本名さえ知らない少女Aに苛立ってしまう。

 あんなアプリ、入れるんじゃなかった。だがそんな少女の後悔も、とうに今更のものだった。

「桜庭さん、頭いいんならさあ、それぐらい察してよ」

 み月前は長いセーターの袖に隠れていた手首に、今はカラフルなシュシュをつけた手で、同級生の頭を撫でる気の強い相手へ少女は顔を向けた。元々、担任のおかげでついてしまった火は既に中火にまで至るのに、更に火力を上げようとしている。髪など結わえるほど長くもない持ち主の手で、揺れるシュシュの色でさえ、今は火力をかさ増しする油足り得る。

「クラスのみんなに言うのって、ほんっとに勇気いるんだしさあ。だから、協力してって言ったじゃん。何も返事しないんなら、分かったってことでしょ」

 せめて本人が言うなら、まだ同情の余地はなきにしもあらずと検討するが、当の女子生徒Aは、目に涙をためているだけだ。

「その協力が、私が井上に嫌いだって、わざわざ言うこと?」

 馬鹿らしい。呆れ果て、ないはずの愛想もすっかり尽きてからからだ。なのに何故、向こうまで呆れた風な顔をしているのか。

「そうなっちゃうけどさあ。察してよ。みっちーは優しいから、そこまで言えないのに」

「もういいよ……さっちん、いいってば」

 いいというくせに、今にも泣きそうな顔をしている。これは誰がどうみても、私がこいつを虐めてるんだな。

 いけないと分かっているが、抑える前に炎は強火に至っていく。

「何それ。見ちゃったら、そこまでしなきゃなんないの。まだ私は何も言われてないんだから、好きなら早く言っちゃえばいいのに」 

 信じられないと言った顔で、Aは顔をくしゃりと歪め、何故か代弁者だけが声を荒げた。

「それが難しいから、協力してって言ってるのに。桜庭さんもそれぐらい考えてよ」

 何も言わない相手に、何を忖度しろと言うんだ。どんな義理があって、これを見てしまった人間は、自分の気持ちを理解して尊重しやがれとほざくんだ。質が悪すぎる。

 少女は、はっきりと彼らを見て言い放った。

「自分ではなんにも行動しないくせに、見た奴は協力しろって、勝手に押しつけてさ、それって迷惑だとは思わないの」

 ああ、ついに泣き出した。しかし、その押しつけがましい涙は、少女の強火へ余計に油を注ぐだけだった。

「だから、そこまで言ってないじゃんか。少しでいいから、気持ち考えてあげてっていうだけなのに。桜庭さんもちょっとぐらい、協力してよ」

 この言葉すら、本人は口にしない。そしてこれは、先ほど担任が言ったのと同じ言葉だ。

「考えろだの協力しろだのって、方法があるならせめて自分で言いに来なよ。自分じゃ文句一つ言えないくせにさ、協力内容は自分で察して動けだなんて、尋常じゃなく自分勝手じゃない。世の中なめすぎでしょ」

 少女の言葉に、栗本幸子という同級生は一瞬絶句したが、道理よりも青春を愛する彼女は、勢い込んで口を開こうとした。

 だが、その口は結局何も言わずに閉じられた。教室のドアの向こう、廊下を辿って、賑やかな男子生徒の集団が近づいてきたためだった。

 悪い口を叩けなくなった相手からさっさと目線を逸らし、付属のAとBの存在など瞬時に忘れ、少女は軽い鞄を肩にかけると三人に背を向けた。人でなし、と謂れのない低い暴言が一言だけ地を這うのには、決して振り返らなかった。

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