第七話 煩悩と食欲と柔らかい感触
もう、サヤしか見えなかった。いや、サヤの唇しか目に入らなかった。
俺はサヤの横から、覆いかぶさるように顔を近づけていった。
ここここれほどまでの美少女とキッスするなんて、お、俺の人生初と言ってもかごかご過言ではない。
思考レベルでも噛みまくってしまうくらいテンパりながら、俺の唇はいよいよサヤの唇に触れようとした。その瞬間。
「さぁ、これを食べて病など吹き飛ばしてしまえ」
声とともにベッドルームのドアが開き、少女がトレイにシチューをのせて入ってきた。俺は慌てて座りなおした。惜しい。本当に惜しい。お約束のタイミングって本当に残酷だ。
俺は気を取り直して少女からトレイを受け取った。これはあれだ。ふーふーしてあーんしてあげるやつだ。サヤもそれを期待してか、ごそごそと身を起こした。
ひょいっとトレイからシチュー皿を取り上げて、少女がサヤの横に腰掛けた。あまりにも当たり前な、自然な動きに、俺は動く事もできなかった。
「熱々だからな。ちゃんと冷ましてやる」
少女はスプーンにシチューをすくうと、ふーふーしてサヤの口元に差し出した。サヤは戸惑いつつ、俺を見ながら口を開け、少女に食べさせてもらう。
うーん、俺がしてあげたい気持ちは山々なのだが、美少女二人のこの光景も捨てがたい。写メ撮っておこうか。と思ったが、またフラッシュでひと悶着起きるとめんどくさいので、写メは諦めた。
「後はよく眠れば元気になる。まずはしっかり休め」
シチューを食べさせ終えると、少女はサヤを寝かせて毛布をかけた。
「ありがとう……。シチュー、とってもおいしかった……」
「当たり前だ。私の得意料理だからな」
少女は少し得意気な顔になり、俺の方を向いた。
「私達も食事にしよう。聞きたい事もあるしな」
正直、サヤがシチューを食べているのを見て、俺の空腹も我慢の限界に近くなっていた。
「じゃあサヤ、また後で来る」
俺はそう言って、シチューにありつくためベッドルームを出た。
食べた事のない味のシチューだった。そりゃそうだろう。具材も調味料も、俺が知っているものとは全く別物なのだ。むしろ、これを「シチュー」と呼ぶのに抵抗があるくらい、全く別の料理と言ってよかった。
俺はその「シチューと呼んでいいのかわからない料理」を立て続けに三杯おかわりした。だって、旨かったんだもん。絶品だったんだもん。
少女は俺の食欲を見て、かなり満足したようだった。
「で、お前達みたいな人間の二人連れが、どうしてこんなところに来た?」
少女は尖った耳をぴくぴくと動かしながら言った。
「さあな。実は俺、今日までの記憶がないんだ。
あの子は今日知り合ったばかりなんだが、自分の村から逃げ出してきたと言っていた。随分辛い目にあってきたらしいな」
「そうか……」
少女は目を伏せて考え込んだ。同時にその尖った耳もしおらしく倒れているのが面白い。
「君は何故こんなところに一人で住んでいるのかな?」
俺の問いに、少女は顔を上げた。
「それが、私の役目だからだ」
きっぱりした口調ではあったが、その表情からは、役目に対する誇りというより屈辱を感じている事が見て取れた。
「我々大地の神殿を護る民は、成人するとそれぞれに役目が与えられる。私の役目はこの小屋を守ることなのだ。それ以上でも、それ以下でもない」
俺は思わず、まじまじと少女の顔をみつめた。こんなにあどけない少女の顔なのに、もう成人して役目を果たしているという。
一瞬、少女と俺の目が合った。ちらっと瞳の奥にある彼女の心が見えた。傷だらけで光を失っている緑色の心だった。サヤと同じく、真ん中に大きな穴が開いていた。
複雑な事情があるのだろう。あまりそこに触れるのは申し訳ない気がした。
「カイ様……」
ベッドルームのドアを開けて、サヤが顔を出した。俺達が何を話しているのか気になったのだろう。
「サヤ、起きて大丈夫なのか?」
「はい、とてもおいしいシチュー食べたから、すっかり元気になりました。ありがとうございました!」
サヤは輝くような笑顔で少女にお礼を言った。こうなると、少女もあまり強く寝ろと言えなくなる。
サヤは俺の隣の椅子に座って、話に加わった。
「そう言えば、ちゃんと名乗っていなかったね。俺はカイで、この子はサヤ。良かったら君の名前も聞かせてもらえないかな。一宿一飯の恩人の名前なんだ。ちゃんと聞いておきたい」
俺の言葉に、少女はちょっと不思議そうな顔になった。
「そうか。人間という物は妙な事にこだわるんだな。私は大地の神殿を護る民。シェライアと言う」
「大地の神殿……。そういえば、私のいた国には炎の神殿があるって聞いたことがあります」
サヤが真剣な顔になっていた。神殿というものがかなりの権威を持つ存在なのだという事だろう。
「炎の神殿か。人間の世界に置かれた三番目の神殿だな」
シェライアはそう言ってうなずいた。
「三番目……。ってことは少なくともあと一つはあるという事か」
「そうだ。我らが護る大地の神殿を中心に、お前たち人間が護る炎の神殿、そして水の神殿と風の神殿が存在する」
シェライアは当たり前のように話した。どうやら四つの神殿の由来から全てを把握しているのはシェライアの種族であるという事らしい。耳の形や、知的レベルが人間以上という事を考えると、やはり彼女はエルフというやつなのだろう。
「詳しく知りたければ、明日話してやる。差支えない範囲でな」
そう言うと、シェライアは椅子からぴょん、と降りた。小さな彼女に似つかわしくない高さのテーブルセット。いちいちよいしょと登って座り、ぴょんと降り立つ仕草が可愛らしい。
「カイ……だったか。申し訳ないが、ここで寝てもらうぞ。シュラフの用意はある」
シェライアはそう言って、左側の部屋へ入った。そこは彼女の自室なのだろう。
「そ、そんな、カイ様にここで寝ていただくなんてダメですよ! 私がここで寝ます!」
サヤが慌ててそう言った。シュラフを抱えて出てきたシェライアは俺の前にシュラフを置いた。
「サヤは病み上がりだ。ベッドで寝ろ。カイも異論はないな?」
「もちろん構わない」
そりゃそうだろう。さすがに今日知り合ったばかりでサヤと一緒のベッドに寝るわけには……やぶさかではないけれど。
しかしサヤはなおも食い下がった。
「駄目ですよ! だって、カイ様は、閃光の魔術師様なんですよ?」
「閃光の魔術師? あぁ、人間達の迷信か」
サヤは切り札のようにその言葉を出したが、シェライアには何の感動ももたらさない。
「サヤ、俺は大丈夫だから、サヤはゆっくりベッドでお休み。今日は怖い思いもしただろうし、ちゃんと休んでほしいな」
俺はまた超絶イケボを駆使して優しい言葉をかけ、サヤの頭をぽんぽんと撫でた。
「……わかりました……。でも、辛くなったらすぐ言ってくださいね? 替わりますから」
俺たちのそんな会話を聞きながら、シェライアは自室に戻って行った。
「じゃあ、サヤ、お休み。また明日な?」
「はい……。カイ様、おやすみなさい……」
サヤは名残惜しそうに、右側のベッドルームに入って行った。
転生した初日が終わろうとしていた。
あ、そうだ。スマホ!
俺はスマホを取り出した。そもそもこの世界に転生したのも、このスマホに機種変した事が始まりだ。
電源を入れてみると……あれ?
【オーナーの指紋登録をして下さい】
おかしいな。元の世界にいたときに、指紋登録したはずなんだけどな。
まぁ、異世界へ転生した時にデータが飛んだんだろう。
俺はパネルに指を押し付けて、指紋登録を完了した。スマホがオーナー認証を終えて起動すると……。
「はぁ~い! ようこそマスター!」
元気な声とともに、画面から妖精|(?)が飛び出してきた。身長20cmちょっとくらいで、4枚の透き通った羽がついている。
「あたし、ナビゲーターのミリアガルドユーデルハイム! わからない事、何でも聞いてねっ!」
名前長っ! ノリ軽っ!
それにしてもずいぶんリアルな3D映像だ。彼女が本当に存在してそこにいるみたいだった。俺は思わず妖精に手を伸ばした。
むにゅっ、と確かな手応え。俺の手は確かに実在するその妖精を掴んでいた。
「きゃああああぁぁぁぁあああ~~~っ!!」
妖精の悲鳴が、小屋中に響き渡った。
次回予告。
シェライアだ。
夜中に響き渡る女性の悲鳴。一体何が起きたのだ?
うずまく誤解と暴力。
カイにまつわる衝撃の事実とは!?
次回、Take It All! 第八話
「二つ目の伝説」お楽しみに!
ついに見つけた……。伝説の……!