97.あなたとならば
空中に浮かぶ白い羽のような姿の魔獣が大量に襲いかかってくる。
まるで鳥が襲いかかってくるパニック映画のような光景だが、敵に嘴は存在しない。
しかし代わりに羽のような体で全身を覆い尽くそうと、標的を狙って体温を奪うために体にまとわりつく。
最初に狙われたのは”黒い巨人”のギルド員だった。
「な、あ……さ、さむい……」
全身から羽毛を生やしたような姿になったギルド員が、よろけたと思うとその場で地面に倒れた。
あまりの凍えに熱源に向かうこともできず、地面に伏したまま全身を小刻みに震え合わせている。
「このやろう、離れろ!」
ルードがバサバサと脱いだ上着を叩きつけてサーモイーターを散らそうとするが、それほど効果は出ていない。
いくつかの羽が離れたが、まだ白い羽まみれのギルド員へイサナが駆け寄った。
「全部吹き飛ばします、しゃがんでください!」
イサナが杖を振り上げると、渦巻く風が生み出され強烈にあたり一帯に吹き付ける。
座り込んでいないと体ごと飛ばされてしまいそうな風が吹き付けたのはほんの数秒だったが、それでもサーモイーターの群れを巻き込み迷宮の奥へと吹き飛ばした。
「た、助かった……」
今しがた襲われたギルド員からも引きはがされ、羽にまみれていた身体も元通りになっている。
まだ寒さに肩を震わせているが、僅かに青白い顔に血色が戻りかけているのが分かった。
「今のうちに逃げよう」
班長が倒れたギルド員に肩を貸しながら逃亡を提案するが、妹がサーモイーターの吹き飛んだ方角を見ながら「いいえ」と応える。
視線を向ければ、吹き飛んでいった数よりもさらに大量のサーモイーターが群れを成し、巨大な塊となってこちらへと向かってくる姿が見えた。
「無理そうですね」
冷静に告げる妹とは対照に、班長が慌てながらギルド員を担ぎ上げて逃げ出そうとする。
「さっきの風の魔法はもう一回使えないのか!?」
「出来ます、動かないでください!」
イサナがもう再度、杖を振り上げると先ほどと同じように風が生み出されサーモイーターの塊に向かって吹き荒れる。
一塊になったサーモイーターは強烈な風に徐々に吹き飛ばされながら、玉ねぎの皮を剥ぐように段々と小さくなるも進行する勢いは落ちない。
風を生み出すイサナを狙っている進路のまま、バサバサと羽を剥がされ小さくなりながら突き進む。
杖を突き出したまま動けないイサナに向かって、サーモイーターが激突する。
「イサナちゃん、危ない!」
安田君が叫び声をあげるよりも前に身体が駆け出していた。
サーモイーターに襲われる直前、勢いよくイサナの身体を押し倒すと頭上スレスレを羽の塊が通り過ぎて行く。
イサナの身体を抱え込み、地面を転がり体制を整えた。
「大丈夫か?」
「は、はい」
怪我はなさそうだが、動転しているのか視線を目まぐるしく動かして集中できていないようだ。
意外にサーモイーターの動きは速く、イサナを抱えたまま逃げるのは難しい。
今はどうにか避けることが出来たが、コース変更をしたサーモイーターは塊を作り直し再度こちらへと突っ込んでくる気のようだ。
真正面からくるであろうことを予想しタイミングを合わせて拳を叩きつける為に構える。
ふわりと高く浮き上がったサーモイーターが、勢いをつけこちらに目がけて飛びこんできた。
「えっ」
イサナが気の抜けた声を出した。
サーモイーターは俺達の立っている場所の直前で、地面へと叩きつけられるように空中から急降下する。
勢いよく地面へと落ちたサーモーターはペシャンと効果音のなりそうなくらい薄く地面に広がっていた。
「いきなり死んだのか……?」
「そんなはずは……?」
二人で首をかしげていると、自分の足元の違和感に気付いた。
熱気で満ちているはずの空間なのに、足だけが妙に涼しい。
ひんやりとした冷気を感じたのは一瞬、直後に目を見開く。
地面へと広がっていたはずのサーモイーターが居なくなっている。
良く見れば、その身体を石の転がる地面の中へと滑り込ませ、隙間へと入り込み俺とイサナの立っている一帯から急激に温度を奪っていた。
「シンタさん、分からないけど逃げましょう」
「いや、このまま叩く」
何をするつもりなのか分からないが、地面の下にいるのであれば地面ごと叩いて食料にしてしまおう。
右手に意識を集中し、サーモイーターがいるであろうあたりに見当をつけた。
胃袋の辺りから右手に向かって力が流れる。
その力が腕の中に留まりきれなくなり、魔法陣として現れると次第に環を大きく広げながら輝きだす。
「刀削め……!」
料理名を叫びながら地面を叩こうとした直前、足元が崩れバランスを崩した。
背中から地面に落下するが、そこから地面に打ち付けることは無い。
背中側へと目を向けると、先ほどまでたっていた足場そのものが崩れ溶岩へと向かって落下していることが確認できた。
「また落ちるんですか!?」
イサナが余裕を感じさせる叫び声を出しながら杖を掲げると、身体の落下速度が緩やかになる。
頭から溶岩へと落ちながら妹達の居る場所を探すが、崩れたのは俺とイサナの居た場所だけのようだ。
次いで、サーモイーターが溶岩の上で再び終結している姿を目撃する。
「飛びあがる為の足場を作りますよ」
「このままでいい」
「えっ?」
いつもの風の足場を作ろうとするイサナを押しとどめて、再度右手に意識を集中させる。
さっきまで食べようとしていたのは刀削麺。羽のような姿に似つかわしい麺料理だった。
しかし、自ら溶岩の上で待ち受けると言うならば、それを取り入れさせて貰おう。
右手に広がる魔法陣がグンと小さくなる。
頭から落下している体制のまま、眼下のサーモイーターへと向かって落下し続ける。
突き出した右腕から広がる魔法陣は再び大きく、先ほどよりも巨大に広がり輝きを増した。
意識に同調するように速度が増し、溶岩の上に待ち受けるサーモイーターへと落下する。
食べるなら、その溶岩も一緒にだ。
「石焼麻婆刀削麺!!」
サーモイーターを突き抜け、溶岩の表面へと叩きつけた拳から魔法陣が広がり光を放つ。
波打つ溶岩を全て覆いつくす眩い光は一瞬の後に収束し、同時に周囲から熱気が失せたのを感じ取る。
溶岩の失われた地面へ、イサナの魔法によってゆっくりと空中から地面に足をついて着地した。
魔法によって召喚された料理を探すと、少し離れた場所に見つけたので駆け寄ってすぐさま確保した。
地面に置いてあったのは、お盆に乗った二つの器だ。
石を削りだした無骨な器は分厚く、重厚な荘厳さを醸し出している。
中身はぐつぐつと湯気を出しながら噴煙を上げる麻婆豆腐。
その近寄るのすら憚られる極炎を立ち昇らせる、その姿は正しくマグマだ。
その横にはひらひらとした柔らかそうな麺が山盛りに皿の上に乗せられていた。
刀削麺と呼ばれる特殊な方法で作られる麺は、通常の麺のように伸ばしたり切ったりしない。
棒状に伸ばした生地を平たい金属の板で勢いよく削り取り、その勢いのまま空中に飛ばして沸き立った湯の中へ落とす。
熟練の腕前による調理光景は手元から羽が飛び立つような華麗で優雅な光景だ。
この料理は天国のような純白の麺と、地獄の如き紅蓮の汁によって成り立つ。
レンゲを手に取り、そっと赤い麻婆豆腐の中へと差しこむと麻婆豆腐がとぷん、と小さく揺れ、粘性の高いゼラチン状のグツグツ揺れる液体がレンゲを押し上げようとしてくる。
それに逆らい更に深く差しこむと、強烈な山椒の辛味が鼻を直撃した。
痺れる。麻婆の字にも入っている麻の辛さだ。麻痺する刺激が鼻はおろか眼球の粘膜までもを攻撃してくる。
思わず瞳が潤みそうになりそうになるのを堪えレンゲを掬いとり口へと運ぶと、爆撃と違わぬ衝撃が口内を襲った。
辛い。
堪えていた涙が一瞬で乾いて額に浮かぶ。
麻婆豆腐の主役であるべき豆腐は、極悪の辛味の中でいかにも儚げに、ふるる、と揺れて舌先に触れた途端に霧散する。
幻想的ですらある不確かな感触の豆腐は、本当に存在していたかも危うい程に希薄な印象だけを残して口内を去る。
そして喉の粘膜を焼く麻婆豆腐の辛味。
舌先が麻痺する。
味など分からなくなりそうな刺激の中でも、しかし長ネギのシャクシャクとした歯触りと肉の旨味がしっかりと伝わり手を止めさせない。
辛くて旨い。
レンゲを箸に持ち替えて、皿に盛られた麺をつまむ。
もっちりとした幅広の麺は、箸を持っていても吸いつくような柔らかさがわかる。
高く箸を持ち上げ、沸き立つ麻婆豆腐の中へそっと落とすと、純白だった麺が赤く染まってゆく。
たっぷりと麻婆豆腐を絡ませた麺をすすり、一気に口の中へと運び込む。
空気と混ざり、さらに強烈になった山椒の刺激が目鼻を強襲した。
むせ込みそうになるのを抑え込み、立て続けに麺をすする。
もちもちの食感は差し込むような刺激の中でも優しさを失わず、舌の粘膜を癒すように包み込む。
噛みしめれば僅かな甘みを放出する麺は、一度口にしてしまえば二度と手放せない。
中毒症状にも似た勢いで麺を手繰り麻婆豆腐につけ、口へと運び込めばジリジリ感じる痺れが快感へと変わってくる。
味覚が麻痺することにより悶えるような麻さを感じる器官が沈黙し、まろやかな辣さのを脳みそが認識し始めた。
麺をすするたびに舌の上で辣さが踊る。ピリリとする辛さではあるが、許容量を超え麻痺した舌では辛さなど旨味の一種でしかない。
じっくりと口内を責め立てる辛みの中身、そっと忍び込む辛さの中の旨さ。
目まぐるしく印象の変わる辛味を味わいながら、ふと豆腐の感触に気付く。
最初に触れた際には霞のような淡い存在感しかなかった豆腐が、ここにきて辛味を克服した口内へと自己主張をし始める。
ここからが麻婆豆腐としての本番であるかと言うように、レンゲに乗った豆腐が柔く揺れると堪らずそれを口内へと収める。
辛味に隠れて気付かなかった豆腐に限らない各種の具材が、舌の上で、奥歯で挟まれた感触で、ここにいるのだと声を上げる。
そぼろ肉、キノコ、海老、玉ねぎ、奥に潜んでいた限りない旨みが駄目になった舌を追いこむように、駄目になって尚、それでも旨いと感じさせる。
その矛盾をはらんだ極上の麻婆豆腐は、麺の山が尽きると同時に石の容器を空にして終わりを告げた。
溶岩の熱を持った麻婆豆腐と、羽のように軽く白い刀削麺が組み合わさった、狂乱にも近い食事が終わる。
「ごちそうさまでした」
レンゲを置いて手を合わせると、今まで横にいたらしいイサナが「もういいですか?」と声をかけてきた。
ずっと見ていたらしい。イサナもいたなら、半分ずつ食べれば良かったと思う。
「いえ、私は辛いのは苦手なので」
それほど食べたくもなかったのだろう、控え目に手を振って不要だと示した。
そう言えば前にも辛い物は苦手だと言っていた。食の好みは人それぞれなので仕方ない。
「上に戻りましょう」
イサナの魔法で用意した足場に乗って、落下した元の岩場へと戻る。
上から見ると、俺の落下した場所を避けるような溶岩の流れへと一帯の地形が変化していた。
魔法で食料にした部分はごっそりと抉れて無くなってしまっているようだ。
「今度から二つ名として【地産地消】を名乗ると良いですよ」
元の岩場まで戻ると、妹が呆れた顔をして意味の分からないことを言う。
その横では、班長やルード達が陽気な笑顔を浮かべていた。
「本当にすげぇな、迷宮ごと取り込んじまうのか」
「いや、大したもんだ。見ている方が爽快な気分になる」
ほんの少し前まで顔を青くして逃げ出そうとしていたとは思えない機嫌のよさだ。
「そこの子から聞いたぜ、王都の学園の生徒なんだろ?」
「秘密の新しい魔術具の実験に来てるんだってな、大丈夫だ誰にも言わねえよ」
何の覚えも無いことを「凄いじゃないか」と持ち上げてくる。
そこの子、と言われていた安田君に話を聞くと、あまりに常識外れで不気味がられていたので適当に誤魔化しておいたとのことだった。
改めて説明する程の事でもないので、そのままにして全員の怪我を確認する。
幸いにして大きな怪我をした人はいなかったので、妹に殴られる被害者は発生しなかった。




