75.幻聴が聞こえたのは薬の影響ではないと思いたい
顔面から血を流しながらチオが仰向けに倒れた。
いつも通り、妹の殴った後には傷跡も残らないと思っていた俺達はその光景に驚き動くことが出来ない。集まっていた人たちはナツとチオが言い合っているところに突然妹が殴りかかって流血沙汰になったのを見てパニック状態となっていた。
「血が出てるぞ!」
「何か刃物を持ってるぞ、気をつけろ!」
「一人だけ置いていかれたナツが俺達を殺しにきたんだ!」
あっという間に悪者になってしまった。
自分でも予想外の結果になったことに対して殴りつけた当人である妹は逃げ惑う人々に「ち、違うんです」と言いながら追い掛け回している。しかし、その手が血に赤く染まっているのでまるで逆効果だ。
「顔に傷があったから直そうと思って……確かにちょっとイラっとしてましたけど……でも、こんなことするつもりは無くて……」
「逃げろ! 殺されるぞ!」
「誰かペヨテさんを呼んで来い!」
人に逃げられて涙目になっている妹を見ると感慨深い。他人のことなど呼吸の際に吸い込む微生物くらいにしか思っていないような性格だと思っていたが、昔に比べると大分まるくなっているようだ。これも成長なのかもしれない。
のほほんと逃げる人と追う妹の姿を眺めていたが、少ししてから今の状況が殺戮者と被害者にしか見えないことに気づいた。慌てて妹へ駆け寄って拳についた血を拭ってやる。
「うぅ……こんなに同年代の人がいるのに……友達が……友達が……」
気にしているのはそこだけか。まるで成長なんかしていなかった。
妹を放り出して殴られた被害者の様子を見に行くと、ナツが抱き起こして傷に布を当てていた。既に出血は止まっているようだ。
「傷が開いただけみたいだな、血は出てるが大したことは無い」
「痕が残ってるだけで開く傷でもないはずだけどな……それよりなんだよ、あの女。ちょっと美人だと思ってたら顔を切られたぞ。頭おかしいのか」
否定はしない。
そんなに深い傷でもないようだから唾でもつけておけば治るかと思って、舌を出したところでイサナに止められた。
「シンタさん、いま何をしようとしたのか言ってみてください」
「傷の手当を」
「具体的には?」
「唾をつければ治るかと思った」
「本当にもう。ミヅキさんから聞いたとおりですね」
イサナが呆れながらため息をついた。一体、妹から何を聞いたというのか。
「放っておくとNTRでAGWPになるから気をつけたほうが良い、と。何の隠語なのか知りませんけど、とても良くない雰囲気の言葉なのは分かります」
妹のせいでイサナが変な言葉を覚えた。
恨みがましく相変わらず落ち込んでいる妹を一瞥すると、部屋の奥の通路から誰かが出てくることに気付く。
祭司のような儀礼服を着た中年男性が部屋の中に駆け込んで「皆さん、落ちついてください」と呼びかけていた。
「あなたが責任者か」
接触するべきかと考えていると、モカさんがいつもは見せない積極さで中年男性へと近づき始める。
真面目と不真面目の落差が激しい人であるが、今は真面目モードのようだ。顔がキリっと引き締まっていた。
「貴方達は何なのですか!? こんな時間に勝手に入り込んできて!」
男性の言うことはもっともだ。深夜に勝手に屋内で騒ぎを起こすほうがどうかしている。
「あぁ、そっちにも言い分はあるんだろうが聞く気はない」
「何を……っ」
モカさんが強気のままに、ツカツカと音を立てて中年男性へと詰め寄った。
「この部屋に焚いていた薬について話してもらう」
「何の権限があってそんなことを!」
「私が王都の学園に勤めている、言っている意味は分かるな?」
中年男性は「うぐっ」と呻くと黙り込んでしまった。きっとあれがぐうの音も出ないというやつだろう。
二人の間で会話は終わったいたようだが、こっちには何のことだか分からない。皆でモカさんに近づいて「どういうことですか」と聞いてみた。
「前に、学園の教頭が横領していた話をしたことがあるな」
確かに聞いたことがある。折り合いが良くなかったらしく、教頭が居なくなったことでモカさんが嬉しそうにしていたのが記憶に残っている。
「そのときに、学園で購入した研究目的以外に栽培が禁止されている植物なども流出していたんだ」
あの教頭が金に換えていたんだろう、とモカさんが吐き捨てるように言った。
「その消え失せた植物の一つが、砂漠に生える特殊なサボテンでな。成分を体内に取り入れると判断力が低下し幻覚を見る」
依存性は無いが吸引を続ければ思考力が無くなり、人に言われるがままに行動するようになってしまう。大昔の商人が取引する際に取引相手に使っていたが、すぐに露見して国中で禁止されたそうだ。
そして、それをこの部屋で焚いていたとモカさんは言っている。それはつまり。
「想像する範囲ではろくでもないことは間違いないですね」
「いたいけな青少年たちに不埒な行い、教師として捨て置くわけにはいかないな! あくまで教師として!」
モカさんが杖を振り上げた。同時に中年男性も服の中から紙片を取り出す。
「こんなに早く追手が来るとは思っていなかったが、まあいい」
「ペヨテさん、何を……」
チオが中年男性へ駆け寄ろうとするが、それよりも前に強烈な光が放たれた。
「全員、居なくなって貰おうか! キマイラ!」
中年男性の前に魔獣が現れる。一見して砂漠で見たオークノームに似ていたが、それよりも強固に保護するように全身が貝殻のような甲殻に覆われている、更に背中には巨大な尻尾まで生えていた。その姿は、恐竜が巨大化する映画の怪獣に似ていた。
「ははは! 丁度いい実験台になってもらうぞ! 私の最高傑作のな!」
「そんな、ペヨテさん!?」
チオだけでなく他の皆が顔色を変えてペヨテと呼ばれる男性を見ていた。叫び声に反応してペヨテがチオに一瞥をくれる。
「ペヨテさん、俺達を騙していたっていうんですか!?」
「ああ、そうだよ。だがもう不要だ」
ペヨテに指示を与えられた魔獣がチオに向かって走り出す。
「チオ、逃げろ!」
「そんな……ペヨテさんが……」
茫然と立ちすくむチオにナツが駆け寄ろうとするが距離がありすぎる。とても間に合わない。
魔獣が突っ込むと衝撃音と共にその身体が撥ね飛ばされて宙に舞い俺の足元へと落下した。一発で意識を失っているのか受け身も取らずに土の上に叩きつけられている。
撥ね飛ばした側の魔獣は勢い余って部屋の壁へと激突していた。壁から離れた魔獣はキョロキョロと周囲を見渡してから、目的を忘れたようにペヨテのところまで歩いて戻って行った。どうやったのかは分からないが色々な魔獣を混ぜて作りだされたようで、見た目は強そうだが頭の方が随分と軽くなってしまったらしい。イーズィさんといい勝負ができそうな記憶力だ。
ペヨテが「何をしている!」と怒鳴っているのでまたこちらに攻撃を仕掛けてくるだろうが、それまでは少しだけ時間がある。撥ね飛ばされたチオの怪我が気になる。
「チオッ!」
ナツが身体を抱え起こして呼びかけているが反応が無い。腕や首にも力が入っておらず、どうもヤバそうな感じだ。
「叩いて治します」
騒ぎに我を取り戻した妹が二人の元に近づいて拳を振り上げた。昔のテレビと同じ感覚で人を治すと言っている妹を見て、ナツが拒否感を顔に出す。
さっき失敗して友人の顔から血を噴出させた人間の言うことは聞けないのだろう。
「地面に寝かせてください」
「お前、さっきは殴ったら血が出ただろうが!」
「四の五の言ってる場合じゃないでしょう、それに恐らく大丈夫です」
どこからくるのか分からない根拠をと拳を振りかざす妹に説得されたわけではないだろうが、ナツがしぶしぶチオの身体を地面に下ろした。相変わらず力の入っていない頭はさっきよりも血の気が引いているように見える。
「……さっきから手間ばかり掛けさせて! 目を覚ましなさい!」
半分くらいは苛立ちが入っているだろう妹の拳が、チオの頭を凄まじい勢いでぶん殴った。治療目的とはいえ、意識の無い人にここまで暴力を振るうことが出来る人間は妹以外にはいない。
「がぁあああああああ!!!! いてぇえええええええええ」
頭が割れてしまうのではないかと思うほどの勢いで振り下ろされた拳の餌食になったチオが、転げまわりながら目を覚ました。ナツが友人の名前を呼びながら転がる身体を抑え込む。
「良かった。目を覚ました」
「何だこれ……すげぇ痛い……」
涙を流して喜ぶとナツと涙を流して痛がるチオを尻目に、妹は自分の拳を眺めていた。勢いよく殴りすぎて手を傷めたのかもしれない。
「怪我したのか」
「いえ、無事です」
それならばどうして拳を見つめているのかと不思議に思っていると、それに答えるように妹が口を開く。
「ナツさんの友達の人、顔の傷はどうですか」
言われて見てみると、先ほどまで血が出ていたにしては痕も無く消えていた。今、殴った時に一緒に治ったのだろうか。
「今度は成功したんだな。治ってる」
「そうですか」
喜ぶわけでもなく、むしろ少しがっかりしたような感じで妹が言った。
「どうやら私の魔法は、治療魔法では無いようです」
何らかの理由があってそう判断したのだろう。少しだけ興味はあるが、命令を受け直した魔獣が再び突進してきた。今度は俺たち全員が目標だ。
「混ぜご飯ですか?」
「いや、何が入ってるか良く分からないからな」
魔獣に近かったナツが離れようとチオの身体を引きずって駆け出す。入れ替わるように前に出て拳を握った。魔獣が近づく。
ドタドタと走る姿はスピーティでは無かったが、当たればただでは済まない重量をもっているのはさっき見た通りだ。しかし、それでもまっすぐ突っ込んでくるだけならばたいした問題はない。
いつも通り、食べ物を想像しながら拳を振るうだけだ。この色々混ぜられた魔獣が相応しい食べ物は。
「ちゃんぽん!」
部屋中を白い光が埋めつくす。熊ほどもあった魔獣が丼の大きさまで凝縮される。そこに手を伸ばしてスープがこぼれないように丁寧に抱えた。
さっきも味噌ラーメンを食べたばかりだが、麺類はいくら食べても美味い。海鮮エキスの溶け込んだ白濁のスープからは塩気のある匂いが漂う。
「ぁ? は……?」
離れた所に立っているペヨテが変に裏返った声を出した。魔獣がどこかにいったのかとキョロキョロと首を動かしている。さっきの魔獣そっくりだった。
ペヨテがいくら探しても見つかるはずがない。今、俺の手元にあるのが魔獣だったものだ。とりあえず麺が伸びる前に食べよう。
「教授、そいつを捕まえてください。ナツさんは怪我してる人がいないか探して、ミヅキさんは治療をお願いします」
イサナがテキパキと指示を出して仕事を割り振り、最後に俺を振りむいた。
「シンタさん、そこで後ろ向いて食べててください」
任せておけ。地面に正座して壁に向かう。
箸を手にとってどんぶりを手に持った。どんぶりに乗っている具を避けてレンゲにスープを掬う。油の浮いた白いスープと同時に黄色いコーンがレンゲに流れ込んできた。
それを口元へ運んで香りを楽しむ。野菜の甘味、海老やイカの海鮮の旨みが溶け込んだ匂いだ。唇を少しだけあけて、そこへスープを流し込む。塩味のある円やかな味わいが舌の上へと広がった。
このスープの味。さっぱりしているようで、実は後引くこってりとしたスープが食欲を増進させる。山盛りになった野菜へと箸を伸ばして口元へと運ぶ。その具材はモヤシにコーンとチンゲンサイ、細く切った人参と玉ねぎ、更にはイカとエビ。カマボコまで乗っていて豪勢だ。
モヤシを口に入れて、その食感を味わう。モヤシの内部に閉じ込められた水分が抜けだしておらず、シャキシャキとした噛み応えが返ってくる。タマネギも程良く熱が通っていて僅かに辛みが残る具合だ。
人参とコーンの甘味を感じながらチンゲンサイのシャリっとした瑞々しさを堪能して、そこで再度レンゲへと持ち替えてスープを口へ運びこむ。喉へと落ちるスープの中に溶け込んでいる野菜の味わいを感じ、満を持して麺へと手をつける。
中太ながらラーメンの麺とは異なる、すっきりしたストレートな麺。ツルツルと吸い込めば、どこまでも素直に口の中へと吸い込まれ、チュルルっと小気味よい音が出てしまう。
噛んだときに微かにムニっと押し返してくるが、すぐにブツンと切れてしまう。それが良い。
麺を食べた分、こんどは野菜を口に入れる。全体的にザクザクとした歯触りの中で、ひときわ目立つプリっとした存在感はエビだ。親指の先ほどのエビが小さいながらもプリプリの身を躍らせて口の中で暴れまわっている。
そして抜群の弾力で持って押し返すのはイカの足だ。これも噛み切れないほどの硬さでは無いので、有る程度のところでプルンと身を崩す。シャキシャキとプリプリとチュルチュルが、どんぶりの中で俺を呼びつける。早くしろという声が聞こえる。
身体の中から熱くなってきた。立ちあがって上着を脱いごうとしたが、きっとイサナに怒られると思い直す。服を脱ぐのは我慢して少しだけでも冷たい空気を浴びられるように上着の裾を摘んでパタパタと風を送り、一時的な涼を得て汗を拭うに留めて一気に中身を掻き込んだ。
モヤシが弾けてコーンは踊る、イカに噛みつけば玉ねぎがとろける。チンゲンザイをシャクシャクと消化して人参はポリポリと砕いた。エビがプリッと身を泳がせればカマボコは全てを受け入れて、その身をスープの中に投げだす。縮れていないストレート麺だがスープは十分に絡んでいて歯切れよく解ける。
そしてスープは、さまざまな具材の旨みをすべて吸い込んで複雑なコクを生み出す。生命の輝きを思わせる溶け込んだ塩味は、大海原を思わせる広大な旨みを舌の上へと広げた。
直接口につけたどんぶりを最後まで傾けて、底まで舐める勢いで全てを食べてしまった。
コクンコクンと音を鳴らして最後のスープの飲み干して最後の最後に残った余韻まで味わい尽くす、熱くなった身体から「はぁ……」と白い息が漏れた。
「ごちそうさまでした」
どんぶりを地面に置いてから周囲が静かになっているのに気付く。どうしたのかと顔を上げるとと、顔を赤くしたイサナがいた。怒っているのかもしれない。
何も言われないので、どうしたものかと思っているとイサナの後ろから呆れた顔の妹がずいと出てくる。
「そろそろ青少年の健全な育成に関わる条例に引っかかりますよ」
殴られはしなかったが、妹とイサナに「一度、痛い目に遭えばいいんです」と怒られた。




