69.学者が出入りするような書庫を想像していたようなので、格安の古本屋だというのを中々信じて貰えなかった。
赤い宝石が手のひらに乗っている。白い粉をまぶされて光の反射こそないものの、その身に内包した輝きは本物のルビーにも負けていない。
手の上の赤い宝石は、一口サイズよりは大き目で、その重さも中々のものだ。餡を包んでいるぎゅうひは白い粉に身を包み清純な雰囲気を醸し出している。それを指先で掴むと柔肌のように慎ましやかに押し返して来た。
口元まで引き寄せれば爽やかな香りを纏い、内部に果実が潜んでいるのだと伝わってくる。口を開いて端に齧りつけばふんわりと甘い匂いが漂い、軽く挟んだ大福は人肌を思わせる弾力を唇へと伝えてきた。噛み切ったぎゅうひの中から餡がほろりと崩れ落ちて口の中に甘みが一気に広がる。
餡の中にも果汁が混ぜてあるのか、ただ甘いだけでなく崩れた餡の中から僅かに酸味のあるいちごの香りが漂う。咀嚼すればぎゅうひと餡が混ざり合い、モチモチした食感から零れた果実の風味がじわり、と舌を刺激した。
こくりと音を立てて嚥下すれば幸せの吐息が代わりに唇から溢れだす。はぁ、と吐きだした息もそこそこに再度、食べかけの大福に向き直った。本番はこれからだ。
大きめに口を開けて、餡の中に潜んだいちごを目がけて齧り付く。確かに親指大の塊が舌の上に転がりこむのを確認してから大福から噛み切り、思い切り赤い果実に向かって歯を立てた。
途端、ジューシーな果汁がはじけ飛ぶ。
餡の砂糖甘さに負けないいちごの甘味が口いっぱいに広がった。
ぎゅうひと餡、いちごの果肉による三種混合の甘味が口の中で渦を巻いて無限の深みを生み出す。プチプチといちごの種の潰れる感触が楽しい、その感触を堪能している間に餡は無くなり、ぎゅうひも口の温度でとろけて消えてしまった。
残ったいちごの果実から染み出る心地良い酸味がじくじくと唾液を絞り取る。更に上乗せして果実からほとばしる果汁が口中で押さえきれず、唇を伝って外へと逃れようと流れ落ちそうになった。思わず口中にのこった果実をごくりと飲み込んでしまう。
「あっ……」
ふっ、と。今そこにあったものが儚く消え去ってしまう。残るのは爽やかな後味といちごの香りだけだ。
名残惜しく口の端を伝った果汁を舌先で掬い取り、そのまま唇についた僅かな大福の残滓をちろりと舐めとった。
気付けばいつの間にかイサナが目の前にいる。
「だから、人前で甘いもの食べないでくださいって言ったじゃないですか!」
何故か頭から湯気を出して怒っていた。他の皆はどうしたのかと見てみれば、妹は目を覆って天を仰ぎ、モカさんは口を押さえて何かを堪えていた。ナツは鼻を押さえて顔を真っ赤にしている。何だっけ日光東照宮の三猿の見ざる、言わざる……嗅がざる? 少し違う気がする。
ぼんやり考え込んでいたら、その後10分超に渡ってイサナから怒られた。
しかして無事に脅威を退けることが出来たので再び車に乗り込んで一路、謎の施設を目指すことになる。
「俺が知らないだけなのかもしれねえけど、その魔獣を食べ物に変える魔法は王都の方じゃ当たり前なのか?」
ナツは散々レッドジェムが危ないから逃げるのだと騒いで、結果何事も無かったので少しバツが悪そうだ。
魔法のことを聞かれてもこっちも詳しくないので、それとなくイサナを見ると目を瞑って軽く首を振っていた。やはり食料召喚は珍しいらしい。
「あまり、この兄を普通だと思わないことです」
しれっと妹がそんなことを言う。普通でない度合いなら妹も大した物だとは思うが口にすると殴られるので何も言わないでおく。
「ナツの、その糸の技も珍しいんじゃないのか」
今まで魔法を使う人は沢山見てきたけれど、ナツのようにワイヤーを使う人を見たことが無い。妹はどうやら知っていたようだが恐らく珍しい技術のはずだ。
「一応、俺の一族にだけ秘匿されて伝わってるはずなんだけどな」
ナツの視線が妹へと移った。疑わしいものを見るような訝しむ視線だ。
「その技は何て名前なんですか? 鋼糸術とか操弦術ですか、それとも長くて縛るアレとかですか」
「特に名前はねえけど、最後のだけは何となく嫌だ」
どうせ妹のことだから漫画かアニメの知識で言っているだけだとは思うが、何の偶然か妹の垂れ流す妄言がナツの技術に対して正鵠を射ているらしく気になって仕方ないらしい。
「ナツさんはワイヤーの強度に頼り過ぎているんです。私の読んだ書物では糸に流す気……魔力的なアレをコントロールすれば糸に強さに関係なく操ることが出来ると書いてありました」
「おい何だよそれ。そんな本は聞いたことがねえぞ」
ナツが驚愕に目を見開いて妹へと食って掛かった。「俺もそれを読めば半人前から」とか呟いているので自分の技術研鑽の参考にするつもりなのだろう。
「その本はどこで読めるんだ」
「ブッコフというこの世の英知が集まる書庫で立ち読みしました」
「そのブッコフには俺も行けるのか」
多分、無理だ。
真顔でブッコフと呟いているナツを見ながら妹がニヤニヤしていたので、後で碌でもない情報源なのだと教えてやろうと思う。
それから何度か魔獣と出会いその度に食料へと変えながら旅路を進む。砂漠ならではなのか、洞窟型の可変迷宮では見ないような魔獣が多く、多種多様な魔獣由来の料理に舌鼓を打ちながら更に幾夜かが過ぎる。いい加減に砂だらけの景色も見飽きてきたところでナツが彼方を指差して言った。
「見えたぞ、あれが施設だ」
遠目には豆粒のようにしか見えないが、今までのなだらかな地平線とは異なる人工物の凹凸が確かにあった。
ナツが施設と呼んでいたので、せいぜいが大きめの建物くらいの規模だろうと思っていたが、見ている限りナツのいた廃墟よりも大きい町を持っているように見える。
「俺は、前に来たときはここで帰らされたんだ。あそこに行った連中は誰も戻ってこなかった」
小さく見える施設を見つめるナツはもっと遠いものを見ているのだろう。横顔を見ながら何も声をかけられずに眺めていたらイサナが間に入ってきた。
「ナツさんの一族の人は、何人くらいいるんですか?」
「100人ちょっとだ」
意外に多かった。仮に捕虜のような扱いを受けているにしても一人や二人は脱走を試みるだろうし、そんなに沢山の人が捕まったまま誰一人として帰って来られないというのは俄かには信じがたい。最悪の可能性を少しだけ考えてしまう。
「俺だって、覚悟はしているさ。あんたらは関係無いんだから、そんな顔すんなよ」
気を使わせてしまったようで、申し訳ない気持ちになってくる。何となく手を伸ばして頭をぐりぐりと撫でまわした。
「何すんだよ!?」
「何してるんですか!?」
ナツのイサナの二人に同時に怒鳴られた。何か二人の逆鱗に触れるようなことをしてしまったようなので、話を逸らそうと別の話題を振ってみる。
「施設の近くにある遺跡っていうのは何なんだ」
「遺跡……? 遺跡は、あれだ。勇者の辿った道だ」
ナツがうまいこと誘導されてくれたので、そのまま話を続行した。イサナがぴょんぴょん跳び跳ねながら「話を逸らさないでください!」と騒いでいたが、頭を撫で繰り回したら大人しくなった。
「おとぎ話で聞いたこと……は、無いのか。別に世界から来たんだったな。昔、勇者ってのがいたんだ」
「前に絵本で読んだことがある」
召喚魔法を使うとか言う勇者の話だ。
「それだ。その勇者が最後の戦い、魔王を倒すために魔界に足を踏み入れたのが、その遺跡からだと言われている」
つまり、おとぎ話の中では遺跡が魔界の入り口だったらしい。
「魔界の入口って、この世界の蛇の頭の部分じゃなかったのか」
てっきり、この世界の蛇の口にあたる部分から中に入って行くのだと思っていた。意外な遺跡の役割に感嘆していると、モカさんが補足で説明をしてくれる。
「確かに蛇の口の部分も繋がっているとは言われているが、この世界が今の形になったのは世界が縮み始めてからだ。何でも神代の頃は世界は丸い形をしていたそうだよ」
世界が縮むに従い歪み、ねじれて今の形に落ちついたそうだ。おとぎ話の勇者が活躍していた時代にはまだ蛇の口は存在しなかったということになる。
「勇者が魔王を倒して姿を消した後も、誰かが間違って魔界に足を踏み入れないように、結果を張って見張る役割を俺達の一族は持っていたんだ」
胸を張ってそう言うナツは、自分の一族に誇りを持っているようだ。当人にしか分からないプライドがあるのだろうと思う。なればこそ尚更、役割を半ばで居なくなってしまった一族の仲間が気になるに違いない。
「歩いて行っても一両日中には施設には到着するでしょうけど、どうしますか」
イサナが皆の顔を見ながら聞いてきた。各々が口を開いてそれに答える。
「深夜まで待って忍び込もう」
「真正面から突撃しましょう」
「待機組と侵入組の二手に分かれよう」
誰一人として意見が合わなかった。ナツは深夜まで待つべきだと主張し、妹は正面突破を訴える。二手に分かれようと言うモカさんは何故か俺の手を握ってきた。
「じゃあ教授だけ一人で先に行って様子を見てきてください」
「そんな無体な!」
モカさんが半泣きになりながらチラチラと視線を送ってきたが、更にその後ろからイサナが睨みつけているので見えない振りをして無視を決め込む。モカさんは更にあざとく胸を押しつけたりしてきたが、俺の反応が芳しくないと分かると頭を項垂れながら遠くに見える施設へと向かって移動し始めた。
「シンタくんにまで無視されるとは……」
しょんぼりしながら一人で施設に向かってモカさんが歩き出す。砂に足跡を残しながらとぼとぼと歩く姿は哀愁を誘うものだったが、途中で面倒になったらしく魔法でびゅーんと飛んで行ってしまったので感傷もどこかに一緒に飛んで行ってしまった。
「何か連絡がくるはずですから、それまで待ってましょう」
師を使いっぱしりにしたイサナは何を気にするでもなく帆車の中へと戻って行った。二人は姉妹のように中が良いと思っていたが、最近ちょっと自信が無い。
ただ待つのも何なので食料を調達しようと辺りを見渡してみたが魔獣が見当たらなかった。
「この辺りは可変迷宮じゃないのか」
「いや、迷宮のど真ん中だ。遺跡が最奥だからな」
今聞いた通り、遺跡が魔界に繋がっているのならば魔界に一番近いのは遺跡なのだろう。当然、魔力も段違いに溢れているはずだ。にも拘わらず魔獣が見当たらないのは一体どういうことなのか。
「見晴らしが良いからな、擬態してるやつが多いんだ」
最奥部では単純に力が強い魔獣よりもソードフロートやレッドジェムのように一見して魔獣と分からない姿を装っている魔獣が多いらしい。
ナツから見て近く魔獣がいるのかと聞いてみると、施設とは別方向を指差して「あそこだ」と言った。
眼を凝らして指先の方向を見てみるが草一本生えているようには見えない。角度が悪いのかと少しかがんでナツと同じ頭の位置にしてみたが、やはり分からなかった。
「まるで分からない」
「顔が近い……いいか見てろよ」
ナツが大きく手を持ち上げて、勢いよく振り下ろした。何をしているのかと思ったが糸を飛ばして何かをしているようだと思い至る。視線を戻して指差していた方向を見つめていると、砂がいきなり盛り上がって中から尻尾のある魔獣が吊りあげられて出てきた。
「砂エイだ。近くを歩いている生き物を尻尾の毒針で刺すことがある」
一本釣りにしたナツが砂エイを宙づりにしたまま説明をしてくれた。茶色い皮膚で砂に隠れているので、慣れていないと姿を見つけることも出来ないそうだ。しかし糸だけなのにどうやって宙づりにしているんだろう、不思議だ。
「どうするんだ、これも食えるのか」
吊り上げたは良いものの、処置に困ったのか砂エイをぶら下げたままナツが聞いてきた。当然、美味しく頂くつもりだ。
「そのままこっちに投げてくれ」
「刺されるなよ」
振り子のように勢いを付けた砂エイが、くるくると回転しながら緩やかにカーブを描きながら飛んでくる。あまり近づき過ぎると刺されるかもしれないから、少し離れたところから狙いを定めて自身の空腹感に語りかけた。胃袋に意識を集中すれば、今現在の腹具合を如実に教えてくれる。空腹以上、飢餓未満。食料召喚準備オールグリーンだ。
「サンデー!」
右腕から発射される空腹感が光を伴い砂エイへと襲いかかる。
日本語で書かれたレシピで作られた光る魔法陣は砂エイへと接触すると、侵食するように全身へ張り付き次第に光の塊へと変貌させてゆく。見る間に光球となった砂エイへと手を伸ばすと、そこにストンと逆三角形をしたグラスが落ちてきた。
チョコレートサンデーだ。




