42.「なんだこれ」
モカさんの研究室を出てイサナに思い当たる場所を聞いてみる。
「学園の中にいるのは間違いないです。
話し合いをしてるなら談話室で、殴り合いなら決闘場です。
あるいは、それ以上なら……墓場に」
墓場まで出してくる辺り、イサナは妹を良く分かっている。
治療魔法が使えるし、墓場はあるまいと決闘場へと向かってみたのだが、途中でそこに到着する必要は無くなった。
決闘場へ行く途中で人だかりがあったからだ。こういうタイミングで人目を集めているなら、中心にいるのはまず間違いなく妹だろう。
歩速を緩めて人垣をかき分けて中心へと近づく。一定の距離を置いて空白地帯をはさんだそこには3人の人間がいた。
一人は妹。
泣きながら地面に倒れた人達の尻を蹴飛ばしていた。
もう一人は金髪ポニーテールの長身の女性。
地面に倒れて口元に笑みを浮かべ、妹に蹴られるたびにビクンビクンと身体を震わせている。
最後は赤髪で小柄な男の子。
鼻水と涙を垂らしながら倒れて痙攣する女性にすがりついていた。
なんだこれ。
それ以外の感想が無い。
「どうじでぐれるんだ!」
妹が涙をボロボロと流しながら倒れたポニーテールの人の尻を蹴りつける。
「んくっ。こんな……こんな誘惑には負けない……んんッ!」
ポニーテールの女性がふやけたような笑みをで意味の分からないことを言う。
「なんなんだよぉ……! こんなの知らないぞぉ……!」
もう一人の赤髪の男の子は、ポニーテールの女性の横で眼に涙を浮かべながら悲鳴とも嬌声ともつかない声を出している。
「何でしょうね、これ」
「分からないけど、関わり合いになりたくない」
このまま帰ってご飯食べて寝たい。
「とりあえずモカさんの部屋に連れていこう」
関わり合いになりたくないが、妹が泣いている以上は兄として放っておくことも出来ない。
涙を流して嗚咽を漏らしながら赤毛の男の子の尻を蹴飛ばす妹に近づいた。
「ミヅキ、こっちにこい」
「うわぁああああん!」
「んぅっ!」
俺の声が聞こえていないようで、今度はポニーテルの人の尻を蹴飛ばす。
いつものような理由のある怒りじゃなさそうだ。どちらかと言うと八つ当たりに近い。
妹に話が通じないのなら倒れている人を動かした方が良さそうだ。
「大丈夫ですか、動けますか」
「……私はっ、こんな快感に屈したり……んんっ」
一人で呟くように「屈しない」と言いながら、尻を蹴飛ばされるたびに色っぽい声を出していた。
こっちはこっちで話が通じないようだ。
「イサナ、ミヅキは任せた」
こうなったら話をしないで実力行使をした方が早い。
うつぶせに倒れていた赤毛の男の子を脇に担ぎあげ、一気に走ってその場を離脱する。
研究室までは大した距離じゃない。
「うわぁああああ。シンタ兄さんまで私を一人にするんですかぁ」
「ほら、ミヅキさん一緒に行きましょう」
「うぅ…イサナさん、一緒ですよ。ずっと一緒ですよ」
妹は意味不明なことを喚いていたが、イサナがそばにいることで幾らか心に平穏を取り戻したようだ。
男の子を担いだまま後ろを振り返って、イサナと妹がついてくることを確認する。
「な。なんだ……私だけ置いてけぼりなのか。私だけ放置……? んんっ!
なんだこの気持ち……私は屈しないぞっ、待て、待つんだ!」
ポニーテールの人も、一人で立ち上がってあとをついてきた。
脇にいる男の子は「何だよ……チクショウ……チクショウ」などと呟いている。
見事に全員、何を言っているのか分からない。
何事かと取り巻いていた衆人の視線を振りきってモカさんへの研究室へと戻ってきた。
事態を把握しないまま集まっていたのか、中心の人物達が居なくなることで自然と野次馬も解散していくのが見えた。
程なくイサナと妹も到着する。ポニーテールの人も足取りが危なげだったが追いついてきた。
研究室のドアの前に全員が集まっている。ここで話すとまた騒ぎになるかもしれない。
「とりあえず、話は中で」
全員を見渡して研究室のドアを開けた。
「よーし、ドワーフエリクサーだ!」
「あばばばばばばばばばばばばばばば」
ドアを閉めた。
「話は食堂でしよう」
何も見なかったことにして全員で食堂へと向かう。
道中、誰も何も口にしなかったが、皆の心は一つになっていたと思う。
昼時を過ぎているからか食堂は閑散としていた。
空いているテーブルを占拠して着席する。
俺、イサナ、妹と、テーブルを挟んでポーニテールの人と赤毛の子に分かれている。
「ミヅキ、何がどうなってあんなことになってたんだ」
「うぅ……私、怪我、治したら、怒って、人たくさん、見られて、友達……もう無理」
さっぱり分からない。
首をかしげて何を言っているのかを考えていたら、イサナがポニーテールの人に話かけた。
「えっと、ユーラ先輩ですよね」
知っている人のようだ。
イサナもずっと学園に通っていたのだし、知り合いであってもおかしくは無い。
「んっ……ん? あぁ、そうだ。ユーラ・ルベッタだ」
蕩けるような笑みを浮かべていた表情から一転、名前を呼ばれるとキリッと引き締まった顔になった。
名字があるということが貴族の証なのかは分からないが、着ている物からしても高そうだ。
イーズィさんも馬鹿っぽい貴族と言っていたし、多分間違いは無いだろう。
「こっちの子は、私を慕って一緒にいてくれるカノッツ」
赤毛の子も名前を呼ばれてビクッと姿勢を正した。
「は、はい。ユーラ様の従者のカノッツです」
「従者はやめてくれと言っただろう。私はそんなに偉くない」
「いえ、ユーラ様こそ私が仕えるに相応しいお方です」
正気に戻ったかと思ったが、直後に二人の世界に入ってしまう。
取り乱していなくても人の話を聞かないタイプの人たちなのかもしれない。
「それで、ユーラ先輩はどうしてあんなことに……?」
間に割り込んでイサナが質問を続ける。
先輩と呼ぶということはイサナよりも年上だろう。
俺と同じか1つか2つ年上のように見える。
「そうだな……私とカノッツが決闘場での訓練を終えて戻っていたら、すれ違ったそこの子が近寄ってきて」
「そう、その女がユーラ様の誇りを汚したんだ」
ユーラの言葉を注いで赤毛の子、カノッツが妹指差した。
どういうことかと妹を見ると、虚ろな瞳で「もうだめぽ……」と諦めの言葉が口から垂れ流されていた。
詳しい話は聞けそうにない。
「ああ、いや。そこの子は悪くないんだ。
私が怪我をしているのを見て、傷を治してくれたんだよ」
「そうなんですか?」
今の話を聞く限り、揉めるような理由は何もない。
しかし実際は泣きじゃくる妹が二人の尻を蹴飛ばすという異様な空間が出来あがっていた。
その間に一体何があったと言うのか。
「その傷は、ユーラ様の誇りだったんだ」
カノッツが妹を睨みつける。
さっきも妹が誇りを汚したと言っていたし、それが関係しているのだろうか。
「カノッツ、私が構わないと言っているんだ」
「しかし……」
「その傷が、どうしたんですか?」
イサナも気になったのか傷について質問する。
「昔ね、可変迷宮に一人で入ってマッドベアを倒した時の傷なんだ」
「マッドベアを一人で!?」
イサナが驚いている。どうやら凄いことをしたらしい。
港で見たマッドロブスターが巨大な海老だったから、マッドシリーズのマッドベアは巨大な熊だろうか。
ただでさえ大きい熊が、更に大きくなったらとても人間の手に負えるものではないだろう。
それを一人で倒したというのであれば、傷が勲章になるのも分かる気がする。
「その消えた傷は私が未熟な証だ。消えたからと言ってどうというものではない」
「だからと言って許される物ではありません。その女を徹底的に糾弾するべきだと言ったんです!
周りにいた学園の生徒達なら、ユーラ様が受けた屈辱を理解したはずですから!」
「というわけでね、騒ぎが広がってしまって人が集まって来たんだ」
それで人がたくさんいたのか。
いや、それよりも何で尻を蹴られていたんだ。
「それで……周りの皆が口々に色々と言ったせいでね……その子が泣いてしまって……」
あぁ、それでか。やっと分かった。
それで入学前から友達が出来ないことが確定してしまった妹が、八つ当たりで二人を蹴飛ばしていたようだ。
「あの騒ぎはこちらの落ち度だ、謝罪する。ほら、カノッツも謝りなさい」
「嫌です! 私は許すことができません!」
カノッツは太い眉を吊り上げて頭を下げることを拒否した。
こちらも妹が尻を蹴飛ばしていた負い目があるので、謝られても困ってしまう。
「それで、その子……えっと」
「ミヅキさんです」
「ミヅキ君は。治療魔法が使えるんだね? その割には今まで学園で見かけたことは無いけれど」
話しかけられた妹が全く反応しないので代わりにイサナが返答する。
「ミヅキさんは最近、魔法を使えるようになったんです」
「では、これから入学してくるのか」
「うげっ」
カノッツがあからさまに嫌がる顔をしたが、その場でユーラに窘められていた。
妹が入学した後にも仲良くしてくれることを願わずにはいられない。
◆
ユーラ達と無事に和解出来たので妹を連れて食堂を離れる。
イーズィさんに馬鹿っぽいと言われて不安だったが、案外と話の通じる人でよかった。
「教授の部屋に戻りましょうか。あんまり戻りたくないですけど」
「そうだな、あまり戻りたくないけど」
先ほど、一瞬だけドアを開けた時に見えた、ビンに入った何かを無理やりモカさんに飲ませている
イーズィさんの姿がまぶたの裏から離れない。
何かの見間違いだと思いたいが、幻覚にしては鮮明に見え過ぎていた。
念のためにノックをしてみると、驚くことに返事があった。
「シンタくんだね、入りなさい」
モカさんの声だ。
その言葉に従って、静かにドアを開けて中をのぞき見る。
椅子に腰かけたモカさんが見えた。
「どうしたんだ、早く入りなさい」
いつも通りだった。
眼鏡の奥に理知的な瞳の輝きが揺蕩う。
「イサナも良く帰ってきた」
朗らかに微笑む。
さっきイサナの顔を見るなり気絶した人とは思えない。
それもそうだろう。立ち振舞いは全て普通なのに、顔だけが尋常じゃない程に真っ赤だった。
「あの……教授、大丈夫ですか?」
「何がだ?」
頭が、とは言えない。
この元凶となったイーズィさんはどこに行ったのかと探してみたが、部屋の中にはいないようだ。
「ええっと、その……私、この通り戻ったので学園に戻りたいんですけれど」
「ああ、大丈夫だ。全て分かっている。既に手配済みだ」
モカさんが何かの書類を手に持って差しだした。
イサナが近づいてそれを受け取る、中身は学園に戻るのに必要なものらしい。
「た、確かに。ありがとうございます。
それからミヅキさんの入学の推薦をしていただけると」
「ああ、大丈夫だ。全て分かっている。既に手配済みだ」
再びモカさんが何かの書類を差し出す。
同じようにイサナが受け取って中身を確認するが、内容はミヅキを推薦するもので間違いないようだ。
「この短時間で……? いえ、不可能ではないんでしょうけれど」
「ああ、大丈夫だ。全て分かっている。既に手配済みだだだ」
「教授……?」
「あ、あああああ。だだだだだ、だいいいぃいいじじじじじ」
やっぱり大丈夫じゃない。
真っ赤になった真面目な表情のままぐらんぐらんと頭を揺らして椅子ごとひっくり返って倒れた。
「き、教授ーーっ!」
「ミヅキ、モカさんに治療を」
後ろにいる妹を振り返ると、返事の代わりに拳が飛んできた。
のけ反ってそれを避けると、妹の身体がそのままモカさんの所まで勢いを付けて飛びかかる。
「ああぁああああ、もぉおおおお!!!!!」
激しい咆哮と共に妹の拳が倒れたモカさんの頭を打ち抜いた。
大丈夫だと知っていても不安になる音が響く。
「こうなったら悪役になってやりますよ! 悪役令嬢モノだって流行ってますからね!」
拳を突き上げて、やけっぱちになった声で妹が叫ぶ。
元気になって何よりだが、やっぱり言っている意味は分からない。
「う、うーん……」
「あ、教授!」
床に倒れていたモカさんが身体を起こす。
赤かった顔色は元に戻り、ぐらぐらと揺れていた頭も今はしっかりと首に固定されている。
イサナが駆け寄ってモカさんの身体を抱き起すと、モカさんの顔が驚愕に染まった。
「教え子が化けて出た!」
「それはもう一回やりました」
「ち、違うんだ、決して寝取ってやろうと思ったわけではないんだ。
住んでた部屋を解約して大きい一軒家を買ったりしたけど他意は無いんだ」
眼を覚ましたモカさんが何やら不穏なことを言い並べている。
元に戻っていた顔色が再び赤くなっていった。
「何してんですか!?」
イサナが抱き起していた手をモカさんの首元に回してガクンガクンと揺らす。
あうあうとモカさんが声を漏らした。
「シンタさん、教授に寝取られたんですか!?」
全く覚えにない。
「本当ですか、お肉とか食べた後に急に眠くなったりしませんでしたか」
そんな空き巣が番犬を眠らせるような方法を取られた覚えも無い。
「いや、弱っていたシンタくんを見て、こう……ムラムラしたのは事実だが」
「やっぱり!」
言わなくていいことまで言いだした。というかそんな衝撃の事実は聞きたくなかった。
イサナが居なくなった後で優しくしてくれたモカさんは虚像だったのか。
ガラガラと音を立てて俺の中のモカさん像が崩れていく気がしたが、元から割と残念な人だと言う認識だったので意外にも印象はそんなに変わらなかった。
「とりあえず、帰ります」
どうにも話が進まないので、今日はもう出直すことにした。




