22.ストライダーウーマン
妹の話をしようと思う。
二歳下の海月は、俺と兄が母の胎内に置き忘れてきた激情を全て拾い上げて生まれてきた。
産声からして取り上げた産婦人科の先生を委縮させる怒声だったという噂が一時流れたほどだ。
普段こそ大人しく、見た目も相まって深窓の令嬢のような印象を与えるが、一度逆鱗に触れると火山が噴火しても収まらない。
どのような人間かというのを説明するために数多の出来事の中から例えば一つを抜粋すると、幼稚園に通っていた海月の乗るスクールバスが、バスジャックに遭ったことがあった。
家に送り届けるために子供を一人ずつ降ろしていたバスには、運転手と女性の先生、それに妹しかいなかった。
犯人は何が目的だったかは既に覚えていないが、家の近くまで来たバスに乗り込んで海月を人質にとってバスの中に立て篭もっていた。
兄に呼ばれて家から走って駆けつけると、そこには野次馬と犯人を説得をする警察と海月の乗ったバスがあった。
俺と兄の思いは同じだった。警察に「妹は危ないから、早く助けてあげてください」と泣きながらに頼み込んだ。
壮年の警察官は妹思いの兄弟だと思ったのだろう、涙ぐみながら「大丈夫だ、任せろ」と言ったが、ちっとも大丈夫ではなかった。
数分後、海月の首をつかんで持ち上げ、妹の眼前に刃物をチラつかせるアピールをしたところで、犯人が凄まじい悲鳴を上げた。
その場でうずくまり、叫び声を上げながら助けを求めた。
妹は宙吊りに持ち上げられた状態から急に手を放されたせいで、バスの中から地面へ放り出され転がり落ちた。
駆け寄った警察が保護しようとしたが、それを煩わしそうに振り払って一人で立ち上がり、思い出したように口に入った肉片を地面に吐きつけた。
乳歯3本と顎の関節の損傷を引き換えに、犯人の指を力任せに食いちぎっていたのだ。
犯人のことはろくに覚えていないが、その様子は今でもはっきりと思い出せる。
指を吐き出した直後、何が起きたか分からなかった野次馬と警察だったが、モーゼの前で海が割れる如く人が二つに分かれた。
一人でゆっくりと俺たちの元へ歩いてくる妹を見て、ぼんやりと絵本に出てくる王様のようだと思った。その横で兄は悪魔のようだと呟いた。
妹は音もなく歩いて俺たちの所までたどり着くと「ただいま」とだけ言った。
他に言うことなど何もないでしょう、と言わんばかりの態度だった。
後日、兄と意見を統合して我らが妹こそは「魔王」であるということで落ち着いた。
それからもドラマチックと呼ぶには血生臭い生活を暇なく送り、奇跡的に小学校を卒業した。
この場合、奇跡だったのは卒業するまで小学校が残っていたことだ。
何をトリガーにして怒り出すか分からないまま思春期を迎えた妹に、兄はインターネットに接続するパソコンを買い与えた。
当時出たての最新機種で、かなりの値段がするものだったと思うが、妹はこれを大層喜んだ。
俺は全く気付いていなかったが、海月には友達がいなかったのだ。
クラスメイトに始終構わず威圧感を放つ異物がいて、それと友達になろうとしなくても、誰もそれを責めることは出来ない。
兄の発案により、妹が正常な交友関係を築くためにインターネット上でのリバビリテーションを試みることとなった。
果たして妹の異常はデジタルデータに変換されることなく、平穏なコミュニケーションを妹に与えた。
家族以外とまともに会話のしたことのない妹は当初こそ戸惑っていたようだが、次第になれたようでインターネットの世界にずぶずぶと染まっていった。
時々、奇矯な言動が見受けられることに目を瞑れば普段の生活態度は急激に軟化していくように見えた。
高校生になる頃には激昂することも滅多になくなり人を無意識に威圧することも抑えられるようになったようだ。
俺と兄はこの時期を「水瀬家の春」と呼んでいる。
無事に高校生デビューを果たした妹は「友達を作るにはキャラ作りだ」という発想に至ったらしく、誰にでも敬語で話すようになった。
「兄さん、巷では敬語妹は一定の需要があるんですよ」と言っていたが、きっと漫画かアニメの話だろう。
今までテレビも見ず、遊びにも行かなかったので、クラスメイトとの共通の話題が皆無だった妹は怒涛の勢いでサブカルチャーを消費していったのだ。
ただ、その情報源をインターネット上で求めた為か、かなりジャンルが偏っていたように思う。
それでも何人かの知己を得たようで、週末にいそいそと出かけているのを見かけるようになった。
俺は大学に入るのと同時に家を出たが、妹が遊びに来る度に近況を報告してくるのを聞く限り、うまくやっていたようだ。
そんな妹が、今目の前にいる。
「何でロードローラーと一緒に落ちてきたんだ?」
「マカンコウサッポウというのが流行ってまして、衝撃波で人が吹っ飛んでいるような瞬間の写真のことなんですけれど。
それを撮ろうと思って、工事現場の方にロードローラーを撮らせてもらう許可を得て、ロードローラーだッ!
というのをやろうと思ったら、いつの間にか落下してました」
花の女子高生が何やってるんだ。
「あぁ……それにしても落下中にロードローラーだッ! ってちゃんと言えませんでした……」
そういえば落ちながら何か叫んでいたが、そういう理由だったのか。
「ロードローラーと一緒に落下するなんて、一生に何度もないのに勿体のないことを……」
「普通は一生に一回もないな」
「ところで兄さん、ここはアレですね、異世界ですね。
今、ロードローラーでオークっぽいのを潰しましたし」
「何でそんなにすんなり理解できるんだ」
「最近、ネット小説でそんなのばかり読みふけっていたところなんです。
それで、さっきオークを倒したから一気にレベルが上がってませんか。
ステータスカードとか持ってないんですか?」
「何を言ってるのか分からない」
「あ、カードじゃなくて呪文ですか。
”ステータス”と言えば自分の能力が見られたり、”アイテムボックス”で道具を収納できたり」
「そういうのは無い」
「なら、スキル制ですか。一見地味な固有能力で無双してるんですね」
「そういうのも無い」
「じゃあ、神様には会わなかったんですか? トラックに撥ねられてゴメンネッテヘペロって」
「会ってないし、撥ねられてない」
「それなら、兄さんは何のチートがあるんですか?」
「チートって何だ」
「そこからですか」
妹のテンションが史上最高レベルに高い。
兄にパソコンを買ってもらって、初めて他人とコミュニケーションを取ったとき以来の高さだ。
「チートはゲーム用語でプレイヤーに都合の良い改造のことです。単純にズルっていう意味もあります。
肉体強化で、殴れば城壁が吹き飛ぶようなパワーがあるとか、伝説の剣を偶然手に入れるとか」
「呪われた包丁はあったけど、もう無い」
「それなら……奴隷ハーレムは……?」
「この世界には奴隷制度が無い」
「そこの美人のお姉さんは」
「知り合いの学校の先生だ」
「あ、学園モノですね、わかります」
「俺は入学できないし、してない」
「じゃあ、一体何があるっていうんですか!?」
ネット小説とやらで大分、偏った知識を身につけていたようだ。
涙を流さんばかりに現状を嘆いているが、そんなことを言われても無いものは無いのでどうしようもない。
いや、ひとつだけあったな。妹の興味を引きそうなものが。
「魔法はあるぞ」
「……え?」
「魔法ならある。ファンタジーっぽいだろ」
「本当ですか? 私を謀ろうとしていませんか?」
今のやり取りだけで、どれだけ失望したというのか。
勿論、そんな嘘はついていない。魔法はある。
「それなら、兄さんは何属性の魔法が使えるんですか? ちなみに最近のトレンドは土属性魔法ですよ」
「いや、俺は使えない」
「あ、無属性ですか。割と根強い人気がありますよね、無属性」
「そうではなく、魔法自体が使えない」
「……」
黙り込んでしまった。
「何なんですか!? 異世界に来たというのにチートは無く、ハーレムも無く、魔法も使えない!
何が目的なんですか!? 何をしに異世界まで来たんですか!? 立派なのは食い意地だけですか!?」
酷い言われようだ。
「あ、食い意地ですよ兄さん。流石に現代知識を生かして料理はしましたよね」
「蒸し料理が無かったから、作ってみたな」
「そうそう、あるじゃないですか。それで他には何を作ったんですか」
「この世界の味に干渉したくないから、それ以降やってない。
変に日本の文化を持ち込んで独自の美味しさが生まれる邪魔をしたくない」
「そんな真理を突くようなことはしなくても良いんですよ。マヨネーズは作ってないんですか」
「なんでマヨネーズ?」
「異世界に来た人はマヨネーズを作るものなんですよ」
「作り方なんか知らない」
「卵と油と酢を混ぜるんです」
「割合は?」
「……」
そこまでは知らないらしい。
普段料理をする人でも、大体の人はマヨネーズのレシピなんて知らないだろう。
妹の言うチートとやらがない限り、よっぽど準備をしておかなければ異世界で要領良く過ごすなんて出来ないはずだ。
現代日本の知識こそあるが、例えばここで甘い西瓜の見分け方を知っていても活かす場面は無い。
「カズ兄さんも来てるが、あの人も魔法は使えないぞ」
「いいんですよ、あの人は。どうせ魔法の使える美人を横に侍らせてるんでしょう」
大体あってる。
「”俺の物が魔法を使えればいい、それは俺が使うのと同じだ”とか言いそうですから」
「言いそうだな」
邪険に扱っているように見えるが、相手のことを知り尽くしている故の態度だ。兄弟仲は割と良い。
「シンタ君、久しぶりの再会で話がはずむのは分かるが、そろそろ戻らないか」
魔獣に襲われた危機からの解放感も手伝って、モカさんを放置したまま兄妹で話し込んでしまった。
今更ながら妹がモカさんに自己紹介をしている。
「モカ・アグーラだ。王都の学園で教鞭を取っている」
「水瀬海月です。カズ兄さんとシンタ兄さんの妹をやってます」
仕事で妹をやっているかのような言い方だ。
散々、この世界に対する不満を喚いていたが。それほど不機嫌ではないようだ。
異世界にきているという衝撃で、その程度は気にならないのかもしれない。
「兄さん、これに乗っていきましょう」
ロードローラーを指さして妹は言う。
誰が運転するのかと思ったが、俺にやれということだろう。
「車の運転すらしたことがない」
「ハンドルを握ったら急に運転方法が分かるようになるかもしれません」
漫画の読みすぎだ。
それでも一応やってみろと言うのでハンドルだけ握ってみたが、運転方法はさっぱり分からなかった。




