16.帰還
暫くすると、シータが泣きながらバケツと雑巾を持ってきた。
「うぅ……ぅぐっ。……ご、ごめんなさい……」
「い、いえ、大丈夫ですよ?」
「お姉さんなのに、お漏らしして、ごめんなさい……っ」
「その、き、気にしてませんから……」
イサナに泣いて謝りながら、自分の不始末の跡を掃除し始める。
邪魔になるからか、長い髪の毛は頭の後ろで団子になっていた。
雑巾をかける為に床に這い蹲る背中に、大きく「私は18歳なのにお漏らししました」と書いてある紙が貼ってあるのに気付いた。
イサナも同様に気付いたようで、声をかける。
「あの、背中の紙は……?」
「ひっく……シズキさんが……罰だから、貼っておきなさいって……うぅ」
このギルドは本当に大丈夫なんだろうか。
開けっ放しのドアから気配を感じたのでそちらを見やると、見張りの人が生温かい目でシータを見つめていた。
小声で「シータちゃん、頑張れ」とか言っている。
このギルドはもう駄目だ。
線路の上を進むように、シータは床を掃除しながら部屋を出て行った。
「私、手伝ったほうが良かったんでしょうか」
「放っておく優しさもある」
止めの一撃を食らわせた負い目があるんだろうが、下手に手を貸すと追加の罰が与えられる可能性がある。
何より、本人が惨めだろう。
どっと疲れが押し寄せてきたので、部屋の隅で横になって寝ることにした。
イサナも反対側の隅で身体を休める。
まぶたを閉じると、吸い込まれるように意識が遠のいて行った。
◆
目が覚めると、部屋に光が差し込んでいた。
床の上で熟睡していたようだ。起き上がると身体の関節がバキバキと音を鳴らす。
イサナを探すと、床に座り込んで壁に背中を預けたまま眠り込んでいる。
太陽の位置から考えると、昼には少し早いくらいの時間だろうか。
ドアをそっと開けて、見張りの人を探すがドアの前には誰も居なかった。
勝手に拘束しておいて、勝手にいなくなるなんて、何て勝手なんだ。
誰にも見咎められないので、一人で部屋を出て宿の人を探す。
昼には早いだろうが、パンくらい貰えるだろう。
食べ物の匂いを追いかけて歩いていくと、食堂に行き着いた。
キッチンで女将さんらしき人が料理をしていたので、声を掛ける。
「おはようございます、何か食べるものはありませんか」
「なんだい、食べ損ねたのかい」
「そんな感じです」
「今作ってるのは昼の分だから、大したものはないよ」
そうは言いながらも、焼いたパンに生野菜を挟んだものを持たせてくれた。
今度この町に来ることがあったら贔屓にしようと思いながら部屋に戻る。
ドアを開けると、丁度イサナが目を覚ましたところだった。
「あれ……どうしたんですか」
「誰もいなかったから、宿の人に食べ物を貰ってきた」
「何で居ないんですか?」
「さあ?」
そんなことは知らない。
そもそも、この部屋に監禁されているのだって良く分かってないのに。
あぁ、この野菜にかかってる辛いソース美味しいな。材料なんだろう。
「パン食えよ。ソースが美味いぞ」
「シンタさんに聞いた私がバカでした」
呆れた顔でパンをほお張り始める。
例によって変な食べ方をするイサナを見ながら、少しだけ今回のことを考える。
ルマエ少年と彼を狙ったギルド員、ギルド長のシータ。本当のリーダーのシズキさんという人。
「多分、もう何もすることは無いぞ」
「……? どういうことですか」
「全部、終わってるんだと思う。俺たちは取り残されただけで」
「ごめんなさい、さっぱり分かりません」
俺にも分からないが、きっとこれは最初からそういうものなんだろう。
「そのうち、誰かが教えてくれるだろ」
「相変わらず、シンタさんは何を考えてるか良く分からないですね」
俺の言うことなんて気にしないでパンを食べ続ける。
程なく食べ終わったので、荷物を持って部屋を出た。
見張りどころか他の宿泊客さえもいないので、食堂で仕込みを続けている女将さんに声を掛け出て行くことを伝えると、
没収されていた杖を渡してくれた。何か伝言は無いかと思ったが、それはなかった。本当に放置のようだ。
「若いんだから腹減るだろう。食べるもの作ってあるから、もってきな」
パンの入ったバスケットごと貰えたので、上機嫌で宿を後にした。絶対にまた来よう。
町の中を軽く見てみたが、"白い一角獣"らしき人たちはどこにもいなかった。
何の当ても無いので、とにかく王都に戻ろうということになる。
王都までは歩くと途中の野宿を挟んで2日かかるらしい。
馬車なら半日で着くが2日に1回しか来ない。今日は来ない日だから、歩くしかなかった。
さて行くか、というところで、どこかで聞いた悲鳴が聞こえてくる。
「うぎゃあああああああ」
この声だけを聞いたら、美人のエルフ族だとは思わないだろう。
疾走する陸走トカゲの引く荷車にしがみつきながら、セリアさんが目の前に現れた。
「とまった……やっと、とまったよぅ……」
道中が余ほど酷かったのだろう、心が疲れているようだ。
同じ苦しみを味わった仲間意識からか、イサナが駆け寄って介抱を始めた。
どうやらセリアさんだけで兄は着ていないらしい。
「カズから、あなたたちを迎えに行けって言われて……うぷっ……」
「セリアさんっ! 無理にしゃべらないで!」
こんなシーンを映画で見たことがあるが、間近で見る機会があるとは思わなかった。
映画だとクライマックスの緊迫したシーンなので、今の状況とは似ても似つかないが。
セリアさんは暫く呼吸を荒くしていたが、今回は食事内容をぶちまけずに済みそうだ。
「あの御曹司は、無事に保護されたわ」
「本当ですか、安心しました」
「その話は、戻りながらしましょう。シンタ、陸送トカゲに乗って」
いきなり俺に振られて驚いた。
「乗ってと言われても、トカゲを操ったことなんてない」
「そうなの? シンタの言うことなら聞くからって、カズが言ってたわよ」
兄がそういうのなら、きっとそうなのだろう。
荷車から陸送トカゲの背中に乗っかって、話しかけてみる。
「言ってること分かるか?」
「……」
後ろに居るからか、流し目気味にこっちを見てくる。
何となく、伝わった気がした。
「ゆっくり王都まで歩いてくれ。日が暮れるまでに着けばいい」
「……」
陸送トカゲは正面を向くと、俺の言ったとおりゆっくりと歩き出した。
来た道を戻るように進んでいるところを見ると、本当に話が通じているんだろう。
「よかった……本当に良かった……」
「私、わざと掴まらないで転げ落ちる準備してました」
荷車に乗った女子2人が涙目になりながら何かを喜び合ってる。
ゆっくりと言っても、普段の風のような走りに比べれば遅いと言うだけで、馬車と同じくらいの速度は出ているようだ。
ずっと後ろで指示する必要もなさそうなので、荷車に戻って腰を下ろした。
「どうしてシンタの言うことを聞くのかしらね。私の言うことなんて1つも聞かずに全速力だったのに」
「何となく、雰囲気が似てるからじゃないですかね」
「あー、そう言われると」
誰がトカゲに似ているというのか。
でも、迷宮の中で"白い一角獣"の人に冷酷な目とか言われたな。
知らずに変温動物っぽい雰囲気を出しているのかもしれない。
「あ、それでルマエ君はどうなったんですか?」
「そうそう、それなんだけどね」
セリアさんが語るところによると、陽動が上手くいったのか迷宮からは問題なく出ることが出来たらしい。
外に出て兄が呼び笛を吹くと、どこからともなく陸送トカゲが現れ3人を乗せて猛スピードで走り出した。
そこから先は記憶に無いが、気がついたら"緑の風"の床で寝ていたそうだ。
窓口のお姉さんを通じてルマエ少年を引き渡し、無事に依頼終了。
ブスター家の現当主である、ルマエ少年の父親が護衛を連れて直接迎えに来たそうだ。
別室で話し合われていたので詳しくは分からないが、何をどうやったのか兄はブスター家当主に気に入られたらしい。
恐らく"緑の風"に対して資金面での援助も期待できるだろう、とのことだ。
「結局、どういうことだったんでしょうね」
「さぁね、貴族様のやることなんて私たちには分からないわ」
「シンタさん、さっき何か分かったような感じでしたけど、何か分かったんですか?」
「何も分からないことが分かった」
どこかの名探偵でもないし、一から十まで知ろうとするのは下世話だと思う。
分からないことは、分からないままで良いだろう。
「気にならないんですか?」
「世の中、知らないことのほうが多い。それが少し増えても困らない」
「随分と淡白ですね」
いつもの呆れ顔とは違う、珍しいものを見る目をしていた。
「イサナ達は、分かれた後はどうだったのよ」
「それがですね……」
イサナが別行動を始めた後の経緯を話し始める。
最下層でリンギィに見つかり隠し通路を戻り、分かれ道で挟み撃ちに遭い、行き止ったこと。
そこにあった謎の金属円盤が声を出し、大剣で叩かれて謎の方法でリンギィを倒したこと。
その後煙を吐いて壊れてあっさり掴まったこと。
監禁された宿の部屋に"白い一角獣"ギルド長のシータが顔を見せに来たこと。
次の日、全員が居なくなって町を出ようとしたらセリアがやってきたこと。
シータの不祥事は、本人の名誉のために隠蔽された。
「ふーん、ギルド長が直々にね……」
「名前だけで、本当はシズキさんという人がギルドを運営しているそうです。
あ、でもシズキさんも宿にはいたのかな。張り紙してたし」
「張り紙?」
イサナは慌てて何でもないです、と誤魔化した。
「じゃあ、切羽詰った感じは無かったのね」
「そうですね、少なくとも私たちの見える限りのところでは」
「じゃあ、そのときには全部終わってたのかもね」
セリアさんが俺と同じ事を言う。
「シンタさんも似たようなことを言ってました。どういうことなんですか?」
「シンタが? へぇ……」
こっちを見ないで欲しい。
「別に、大したことでもないわよ。
"白い一角獣"なんて5本の指に入る大手ギルドの、ギルド長と本当に運営している人?
その両方が王都を離れて迷宮の近くの町まで出張ってくるなんて、本腰入れてるって事でしょう」
「そうですね。自分たちから売り込んだ依頼で、貴族様の御曹司を危険な目にあわせるどころか、死なせようとしてたんですから」
「でも、イサナ達が監禁されるときには、切羽詰ってなかった。
だから、もう全部終わってるんじゃないかって思っただけよ」
イサナは、なるほど。と呟いて何かを考えている。
「えーっと、今回のは"白い一角獣"の中に氾濫分子がいて、それをギルド長が取り押さえにきたってことなんでしょうか?」
「まぁ、そんなところでしょうね。貴族を巻き込んだ理由が分からないけど」
「何だかモヤモヤしますね」
どこか納得がいかなそうなイサナだが、そこは納得いかないまま飲み込むしかない。
知りたいことを全部教えてくれる親切な人はいないし、そこまで世界は優しくない。
今回に限らず今までもこれからも、ずっとそうやって続いていくものだ。
2人の話題は、パーリャの話から王都で食べられるお菓子の話に移っていた。
王都はまだ見えない。お腹が空いてきたから、貰ったパンを食べよう。
ふわふわのパンにかじりつくと、中からザクリとした食感が伝わる。
パーリャのように、中に何か入っているようだ。
もしかすると昨日のパーリャも、女将さんが作ったのだろうか。
良く味わいながら口を動かして、食感を確かめる。
コーンフレークのようなザクザクした歯ごたえだ。
味も似たような感じだから、コーンに似たものが使われているのだろう。
それに甘い。これはきっと蜂蜜に違いない。
この世界での蜂蜜の価値がどの程度か分からないが、きっと安いものではない。
あの宿は"白い一角獣"から、そんなに宿代を貰っていたんだろうか。
今度、シータに会うことがあったらお礼を言っておこう。
柔らかいパンに包まれた、歯ごたえのあるコーンフレーク。さらに蜂蜜。
お菓子のような取り合わせだが、しっかりと歯ごたえがあるので食べている実感がある。
これも魔法を使って作っているんだろうか、作り方は予想もつかないが美味い。
一人で食べていたら、目ざとく女性2人がバスケットを奪っていった。
「一人で食べようなんて、酷いじゃないですか」
「そうよ、こんなに美味しそうなものを独り占めしようだなんて」
甘いものは乗り物酔いになりやすくなる、と言うより前に半分以上が胃袋に収まってしまった。
仕方が無いので、何も知らないことにして仰向けにに寝転がる。
急に青白くなった2人の顔は見ないようにして、心地よい揺れに身体を任せてまぶたを閉じる。
目が覚めるころには王都に着くだろう。




