閑話 雪降る地下室#2
遥か昔に掘られた抜け道を秋仁とカノンは慎重に遡っていく。
施設が充実しており、最低限管理されていた通路とは違い、抜け道は誰も立ち入った様子がない。
この地下に侵入してからかなりの時間が経過した。
誰かが立ち入ったことで崩れたりしなければ良いが。
入口付近が見える位置まで進んだ頃、ふと隣を歩いていたカノンの足が止まる。
決して彼女より前に出ないようにびったりと足を止め、彼女の触手の邪魔にならないよう壁へと一歩下がった。
「……秋仁。今は何時」
「15時を過ぎたころでしょうか」
「電波の表示は」
「依然として圏外ですねぇ」
「たぶん、だけど……時間の表示は狂わされてると、思う……」
「……はい?」
自信はないと前置きをし、彼女は自身のスマートフォンを取り出す。
なかなか持ち歩くことのない携帯端末を持っていたことにも驚きだが、今のまままで電源を切って放置していたという。
そのスマートフォンを徐に起動させる。
彼女の手に収まった画面がしばしぐるぐると読み込みを表し、ぱっと光を放った。
画面に大きく表示された時間に目を見開く。
表記されていた時間は既に日付を跨ぎ、昼頃を指していた。
「1日以上経過している……?どうしてカノン様のスマートフォンだけ?」
「抜け道に入った時に、違和感が……あ、あったの……」
正確には、抜け道に出た際に違和感が抜けて行った、という表現が正しい。
先ほどまで歩いていた地下通路にこそ原因があり、抜け道は何かしらの効果範囲外だと判断した、と。
「蜃気楼は電子機器の時間もズラすんですか?」
「ううん、そんな効果があったら機器だらけの研究所じゃ使えないよ……たぶん、後付けで誰かがかけたんだと思う……」
時間を曖昧にする葬術など聞いたことがない。
いや、地下だからこそ有効に働いているのか。蜃気楼と同じだ。この地形を利用して最大限効果を発揮している。
カノンのスマートフォンが正常か、それとも秋仁のスマートフォンが正しいのかは判断が付かない。
だが少なくとも1日以上のズレがあり、どちらも正しくない可能性も捨てきれない。
「もしかしたら、体感時間も感じ方が違うかも……」
「ロック様が部屋に来ないのは……」
嫌な予感が頭を過る。この狂いがどれほど身体に影響があるのか分からない。
少なくともこの地に長く留まっているのは良くないようだ。
抜け道はアリの巣と変わらない研究施設より複雑に絡み合っている。
道を知っているカノンでさえ、ロックの行先が分からなければ迷子は必至。
どうしたものかと頭を抱えていると、カノンは1本の触手に手を突っ込み何かを探し始めた。
「おお……久しぶりに見ました」
「確かここに持ったままにしたと思うんだけど……」
彼女の触手は文字通り手だ。拡張性のある手である限り、物体を持つこともできる。
深水内部に浸すことになるためあまり長時間は収納できないが、これに耐えうる物体がいくつかある。
その1つが彼女が保有しているスノードーム。
位置情報を共有する端末だ。
「ロックお兄様がここに来るときに必要になるってリュードお兄様の分を借りてきたらしいの」
「へぇ?ロック様は既に破壊してしまったんでしたっけ」
「うん。今残ってるのは5つだけだよ」
このスノードームは元々300年前の大戦時に軍が神達に貸与したものだ。
事実上組織が瓦解してからは神達個人の所有物になっていた。
残っている5つの内2つはカノンとリュードに、残り3つは側仕え達が保有している。
秋仁は自身のものを置いてきてしまっていた。
どちらにせよ戦闘ができない怪我人の時点でスノードームが必要になる単独行動はできない。
必要になった時が最後だ。
「お、音声機能も試してみてるけど接続できない……どのあたりにいるんだろ……」
「心当たりはありませんか」
「ある、としたら、居住区かな……」
抜け穴の主な使用用途は研究区画に保管されていた末弟をこっそり見に来ること。
居住区と直通なのは妥当だろう。
後々あちこちに向かうための道を拡充したようだが、居住区へ向かう道が一番太い。
それ以外の道は何故だか異様に天井が低く、大人が通るには少し窮屈だ。
少女のまま成長の止まったカノンと、見た目だけは少年のロックから推察するに、他の兄妹達も子供のまま成長が止まったのだろうか。
皆でこの道を通って末弟の顔を覗きに行っていたのだと思うと随分微笑ましい話だ。
それが試験管に入った不定形の海魔で、子供たちが実験によって生み出された兵器でなければ、だが。
「光も居住区に向かって伸びてる。そっちにいこう」
淡く輝いたスノードームから一筋の光が延びていく。
方向も曖昧な地下の中で真っ直ぐと線を追うのは難しい。
この過程で迷うことがないよう、地図を注視して歩かねば。
覚えのない時間を狂わせる葬術も発動しているというし、道は何処まで当時のままなのか。
だがそれよりも重要なことが1つ。
「カノン様の当時の居室も残っているんですかぁ?」
「う、うーん……」
最も重要なのはまだ本当に子どもと呼んでよい年齢だった頃の主人がどんな存在だったのかを知る幸運を得られた事実だ。
誰が何と言おうと、これが最重要である。
ロックなんて知ったこっちゃない。
複雑にねじ曲がった抜け道を数分、あるいは数時間進んだ先。
やっとぬかるんだ道を抜けたと思えばその先はボロボロになったコンクリートの塊が落ちていた。
あちこちの壁に何かが暴れたらしき傷跡が深々と残り、弾痕が飛び散っている。
人間の手形にも似た五本の痕と付近に巨大なクレーターが生まれているのが嫌に不気味だ。
ほとんどの壁が崩落し、ほとんどの部屋がつぶされている。
血痕らしき黒い染みが散り、飛散した痕跡が生々しい。
廊下のほとんどが黒く染まり、壁には何重にも上塗りされた血の跡がある。
少なくとも数十人がここで日の目を見ることなく命を落としたのだろう。
「崩落していても7つだけ無事な部屋がありますね……それぞれ内装が違いますが……」
「お、奥から兄妹達の部屋だよ。リュードお兄様の部屋だけ壊れてるけど……」
不思議なことに壊れていない7つの部屋は全て兄妹の部屋だという。
中を覗くと埃を被っているが、この惨状の中家具1つ動いた形跡がない。
飛び散っている瓦礫や弾痕もこれらの部屋周りだけ異様に少なく、明らかに避けている。
「暴れていたのはご兄妹の誰かですか?」
「や、やっぱり、わかる?」
「悔しいですが、御三方の愛情はガチですからね。人間には入る余地のない兄弟愛がありますから」
亡くなってしまった兄妹に関しては知らない。だが今生きる神達は異様なほど家族を大切にしている。
暴れ具合から錯乱していたように見えていても、家族には絶対に手を出さない意志を感じられた。
だからこそ恐ろしいのはおびただしい血痕だ。
海魔は血を流さない。これは全て人間が神に殺されたか攻撃された際にできたものということになる。
「こ、ここ、でね……リュードお兄様が、暴れたの」
「へぇ、リュード様って銃を扱っていたんですね。自分で殴った方が強そうなのに」
「突っ込むところは、そこ、じゃないと思う」
確かに言及すべき点はそこではない。
何故暴れたのか。どうして人間を殺したのか。
けれど、それらすべては300年前の出来事だ。
今更罪に問えるものではないし、錯乱しそうな理由は彼の歴史の中で山ほどあっただろう。
少なくとも、兄妹達が亡くなった回数分は暴れる理由があった。
銃口が人間に向かった理由は定かではない。が、戦争を強いたのが人間である以上当然の裁きともいえる。
「我々は皆さまに殺されても文句が言えない立場だと個人的には考えています。殺されてもしゃーねぇなぁって」
「あ、秋仁って、時々、シビア……究極論……?とにかく、諦めがいいよね……」
「海魔に対しては思いませんが、神様達が人間を罰するというのならさもありなんってだけですよ」
秋仁からすれば神が人間を粛正する理由は十分だ。
最悪なことにこの意見だけは皇家と一致している。彼らもリュードの手で粛清されるのなら甘んじて受け入れるとほざいていた。
今この場にある血痕はいずれ全ての人類が辿る未来だ。
今訪れても、明日訪れても、300年後に訪れても、なにも不思議ではない。
「さ、ロック様を探しましょう。ついでにカノン様の部屋もお教えいただけると大変嬉しいのですが」
「わ、私の部屋を教えたら、漁るんでしょ……?」
「はい!」
非常にいい笑顔で返事をすると、カノンは苦い顔で俯いた。
そのまま無言で歩き出してしまった様子を見るにどの部屋かは教えてくれそうにない。
漁っていられるほど時間に余裕がない今、数時間でも数週間でも張り付きそうな秋仁を放置したくないのだろう。
残念だがもう少し余裕のある時に、この基地全体にかかっている葬術を突き止めてから探索した方がよさそうだ。
最優先事項はロックの確保。
一番可能性が高いのは自室だろうと促され、カノンにぐいぐいと押されながらロックの古い私室の前へとやってきた。
1人1人の部屋はかなり広い。10畳ほどの個室に生活に必要な家具と趣味のものらしきものが幾ばくか置かれている。
ロックの部屋は特に分かりやすく、壁に朽ちて破片状になったギターらしき残骸が目印となった。
「300年も前なのに意外と分かるもんですねぇ」
「この時間に関する葬術は、もしかしたら……」
「十中八九アビスによるモンだろうーな」
「あ、ロック様」
「ロックお兄様!」
部屋の前へと訪れると、ベッドのすぐ傍で何かを手に持ったロックの姿がひょっこりと現れる。
長い三つ編みが少しばかり埃に汚れており、机の上には青白く光るスノードームが置かれていた。
「急に光り出すからびっくりしたぞ」
「これって接続すると光るんですね。知らなかった」
「探しているスノードームが光るようになってる。じゃねぇと通話機能が使えねぇからな」
「なーるほど。着信みたいなモンですか」
居住区に寄り道したロックは懐から突然光ったスノードームに驚き、何かトラブルがあったのかと自室だったこの場所で待機していたらしい。
彼の感覚では別れてから1時間も経っておらず、まだ2人は目的地にたどり着いていないと考えていた。
「それがですねぇ……抜け道で説明した方がいいかもしれませんね」
「うん。葬術の効果外に出ないと実感わかないかも」
「はぁ?んだそれ」
首を傾げたままのロックに触手を巻き付けたカノンがそのまま運搬していく。
妹の行動に子猫と見まごう程無抵抗な暴君に苦笑いを浮かべ、秋仁も2人の後を追った。




