エピローグ
富士での事件から三年が経った。
穏やかな陽射しが境内へ降り注ぐ中、十人近くの子供たちが御神木を囲み、結界へ力を流していた。
「肩の力を抜いて」
香月は一人の少年の横へしゃがみ込み、優しく声を掛ける。
「流れを感じながら、少しずつ合わせていく感じでやってごらん」
少年は小さく頷き、もう一度目を閉じた。すると、力の流れが少しずつ落ち着いていく。少し離れた場所では、康太が別の子供たちへ結界の流し方を教えていた。
「そうそう。そのままで大丈夫」
以前のような危うさはもうない。今では寺でも指折りの実力だ。その様子を見ていた悠真が目を細めた。
「皆、本当によく成長しましたね」
隣では静子も穏やかに頷いた。
「新しく来た子達にとっても、良い先輩になっていますね」
香月は立ち上がると、境内全体へ目を向けた。御神木を中心に穏やかに広がる結界は、年月とともにどんどん強化されていった。
「今日はここまで」
悠真の声に、子供たちが一斉に頭を下げる。
「ありがとうございました!」
元気な声が境内へ響いた。
「それじゃあ、お昼ご飯を食べに行きましょうか」
静子が笑顔で声を掛ける。子供たちは楽しそうに母屋へ向かって歩いていく。
◇
午後には、約束のあった宗厳が寺へやって来た。寺の事務所で宗厳は香月と向かい合う。
「香月さん」
「はい」
「この前伝えておった件なんじゃが」
宗厳はゆっくりと言葉を続けた。
「協会と管理局、それに各地の里が協力して、新しい結界維持体制を立ち上げることになった」
「富士での事件を受けて、各地の結界や流脈を定期的に点検し、異変があれば早めに対処する。そういう体制を全国で整えていくことになった」
宗厳は少し間を置いた。
「もう一つの目的は、次の世代を育てることじゃ」
「結界師ですか?」
「うむ。各里へ指導者を派遣し、若い結界師を育てていく。里同士も、これまで以上に連携していかねばならん」
宗厳は香月をまっすぐ見つめた。
「そこで、お前さんにも力を貸してほしい」
香月は少し考え込んだ。
「私に、そんな大役が務まるでしょうか」
宗厳は目尻を緩めた。
「もちろん、結界の知識や技術も必要じゃ。じゃが、それだけでは務まらん」
少し間を置いて続けた。
「各地の里には、それぞれ長い歴史や考え方がある。外から来た者を簡単には受け入れんところもあるじゃろう」
香月は静かに頷く。
「じゃが、お前さんは違う」
宗厳は香月をまっすぐ見つめる。
「お前さんは、実際に里を回り、それぞれの里のことを自分の目で見てきた。それに、不思議と人を安心させるところがある」
「……」
「この仕事に必要なのは、結界の技術だけではない。人と人との信頼を築くことも同じくらい大切なんじゃ。」
宗厳は小さく笑った。
「わしは、その役目がお前さんに一番向いとると思うとる」
香月はしばらく黙っていた。
「……本当に光栄なお話です」
香月は静かに頭を下げた。
「ただ、私一人で決められることではありません。寺の皆さんにも相談してから、お返事させてください」
宗厳は穏やかに頷く。
「うむ。それでええ」
香月は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
◇
その日の夕方。
事務所には、悠真、巌、静子、一成、そして香月が集まっていた。香月は宗厳の話を、丁寧に説明していく。話し終えると、部屋はしばらく静かな空気に包まれた。
最初に口を開いたのは悠真だった。
「香月さんにぴったりのお話ですね。今度は、この寺で学んできたことを外で役立てる番です」
香月は少し戸惑ったように皆を見返す。
「でも……私がお寺を離れてしまうとご迷惑になるのではないでしょうか」
悠真は優しく頷いた。
「寺のことは心配いりません。職員も増えましたし、余裕が出て来ましたから、安心して行ってきてください。」
誰も反対する様子はなかった。むしろ、その表情はどこか誇らしそうだった。
皆、自分の新しい一歩を心から応援してくれている。その温かさが胸にじんわりと広がっていく。
香月は小さく息を吸った。
「……分かりました」
静かに頷く。
「私、やってみます」
悠真は穏やかに微笑んだ。
「ええ。安心して行ってきてください」
この寺へ来た日、不安しかなかった自分が、今はこうして新しい一歩を踏み出そうとしている。それは一人では決して辿り着けなかった場所だった。
◇
夕食の後、香月は悟と康太を誘って縁側に腰掛けた。
「二人に、話があるの」
康太は少し不思議そうに首を傾げる。
香月は宗厳から受けた話を、順を追って二人へ伝えた。沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは康太だった。
「……そっか」
少し間を置く。
「ちゃんと帰ってくるんだよね」
香月は表情を和らげた。
「もちろん。また帰ってくるから」
康太はほっとしたように笑う。
「じゃあ、大丈夫」
香月もつられて笑みを浮かべた。その様子を見ていた悟が口を開く。
「香月さん」
香月は悟へ視線を向ける。
「本当に、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
悟は康太を見て、小さく笑った。
「あの時は、あの子が笑って外で遊ぶ姿なんて、想像もできませんでした。そのきっかけを作ってくれたのは、紛れもなく香月さんです」
香月は頷いた。
「私も二人に出会えて本当に良かった」
◇
数日後。寺の皆が見送る中、香月と宗厳は送迎の車に向かった。香月は振り返って皆を見渡すと、丁寧にお辞儀をした。
「しばらく留守にしますが、よろしくお願いします」
子供たちが一斉に手を振る。
「行ってらっしゃい!」
悠真が穏やかに微笑んだ。
「ここはいつでも、あなたの帰る場所です」
香月は笑顔で頷く。
「はい」
宗厳も小さく頷いた。
「では、行こうかの」
香月はもう一度皆を見渡した。
「行ってきます」
そう言って、香月は次の一歩を踏み出した。
最後まで『幻獣の絆』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
皆さまのおかげで、無事に完結まで辿り着くことができました。心より感謝いたします。




