1-3
その翌日に明良は「白崎さん」に指定された埼玉県郊外のとある駅ロータリーで、採用担当者の車に拾われた。車は真っ赤な車体のミニ・クーパーだった。
ミニの運転席で白崎果歩と名乗る三十代の女性が出迎えた。マスクをしていて顔はよく分からなかったが――小顔で目元が涼しく、相当な美人に見えた。鎖骨までの長さの茶髪にウェーブをつけて下ろしている。値の張りそうなカーディガンをブラウスの上に羽織っていた。明良が助手席に座ると、彼女の体臭と香水の混じったいい香りがした。
車を少し運転して近くのコンビ二の駐車場の端に停め、そこで面接が行われた。明良は律儀に履歴書を持参してきていた。それを渡すと、
「すごーい、本当にM大学の院生だったんですね」
などと言いながら、果歩は運転免許証の提示を求めてきた。ぼけっとしている明良は無頓着に、
「免許は取っていませんで……」
と答えた。
「あ、そうなの? それはこれから先、取ってもらうことになるかも知れません」
「はあ」
「マイナンバーか何かあります?」
明良は財布を開いてマイナンバーカードを出して渡した。すると果歩はスマートフォンを取り出して、カシャリとマイナンバーカードの表面をカメラで撮ってしまった。
「はい、ありがとう」
なんでもないようにカードを返してきた。
(なんで写真を撮ったんだろう)
どこまでもぼけっとしている明良はのん気にそう思っただけだった。
それから簡単な面談に入った。今回なぜ仕事を志望したのか、いくらくらい金が必要なのか。果歩は明良の志望動機と経済的背景を中心に聞きたがった。明良は金が必要になった事情を話し、百万円単位の学資が必要だと言った。
「これまでにしたアルバイトは塾の先生だけですか?」
「そうです」
「でも塾講師が長いならしゃべるのは不得意ではないですよね。電話応対の経験は?」
「電話応対……保護者の方と時々電話面談していたくらいです」
「分かりました。これから先、営業電話――テレアポの仕事を中心にお願いするようになるかも知れません」
「はあ」
「それに先立って、簡単な運搬業務を何回かしてもらおうと思います。入社試験と研修代わりに」
運搬業務? 派遣会社だと聞いていたが、そんな仕事もあるのだろうか、と明良はいぶかしんだ。
「今日はとりあえず、さっき待ち合わせした駅のコインロッカーに行ってもらって、預けている会社の荷物を持ってきてもらいます」
「は……」
「ロッカーの番号はB‐7。暗証番号は0429です。黒のバッグが中に入っています。……メモは取らない!」
突然果歩が声を荒らげたので、明良は驚いてスーツの胸ポケットから出したメモ帳をしまった。果歩は助手席を向いて笑顔を見せ、
「会社の大切な荷物なんです。万一あなたがメモ帳を落として、誰かに拾われたら大変なことになるでしょう? 暗記してください。これも試験の一環です。いい? B‐7、暗証番号0429。バッグの中は見ないように。ではお願いします」
明良は数字をぶつぶつと口の中でくり返し、なんとか記憶した。
「覚えました」
「うん」
「……」
「……」
「何してるの? 早く行って!」
車を降りて、自分で歩いて駅まで行けということなのだと明良はようやく理解した。慌てて肩掛け鞄を肩に掛けてドアを半開きにしたところで、
「あの」
「なんですか?」
「駅、どの方向でしたっけ? ここ、僕土地勘が無くって――」
果歩は不機嫌そうに黙り込んだ。嫌な沈黙が車内にただよった。
「……スマホで調べて駅まで行きます!」
明良はそう言い残し、車を降りた。
(自分で道を調べるなりして駅まで行くのも試験のうち、ってことか)
そう生真面目に思いながら歩き出した。
グーグルマップで道を調べて駅にたどりつき、何の問題もなく黒の安物のバッグ(男物の、小ぶりな合成皮革のボストンバッグだった)をロッカーから回収した。来た道を戻って果歩のミニ・クーパーに再び乗った。
バッグを運転席の果歩に渡すと、果歩は明良から見えない角度でバッグを開いて中を入念に確認した。明良は中身が気になったが、助手席から中は見えず、持ち帰ってきた際妙にバッグが重かったことだけが中身を想像する唯一の手がかりだった。
(……何が入っているんだろう)
さすがにこの時には明良はこの仕事の怪しさをほのかに感じ取っていた。果歩に気取られぬよう、ちらちら彼女の手元を見た。しかしバッグの中は絶妙な角度で隠され、どうしても見えない。すると果歩がチーッとバッグの口のジッパーを閉め、
「ありがとうございます。確認しました。今日はこれで終わりです。今後の仕事の依頼は後日追って連絡します」
と言った。
(これでもう終わり? 不採用なのかな)
明良は不安になって聞いた。
「あの、採用の合否はいつ教えてくれるのですか?」
果歩はふふっと笑って、
「採用です。新城さんは真面目そうだし、まずは運搬の仕事をしてもらって、慣れてきたら営業電話の仕事をしてもらおうと思っています。お金は――フルで働いてくれたら、さっき必要だと言っておられた額くらいは、一~二年もあれば貯まると思います。それでこれ」
後部座席にあった彼女の持ち物らしいハンドバッグから茶封筒を出した。
「今日の運搬の試験の報酬です。交通費込みで、少なくて申し訳ないのですが。今日はお疲れ様でした」
明良が茶封筒を後で確認すると、中には一万円札が一枚入っていた。
帰り際、プレミアム・モルツの六缶パックをスーパーで買った。