第零章 電気人間は夢を見る
私は脳内に直接響くような甲高いアラームで覚醒する。じんわりとスリープ状態から起動状態へと移り変わる。脳内では情報処理が極めて迅速に行われいつも通りの電子音と低い駆動音が鼓膜を揺らす。いつまでもなれることのない自身のモーニングルーチンに少しばかりの困惑、混乱とも云うべき感情を抱きながら一人きりの惑星で私は目を覚ました。ふかふかとでも形容されるようなベッドに温もりはない。黄金色の光線の差し込む硝子窓に息を吐きかけようが窓が薄く曇ることなど絶対に有り得ない。傍らにある残り僅かの精神安定剤を清浄水で流し込むと私はゆったりと冷たいばかりの部屋を出る。
私の頭上には数多くの天体。一等輝きを放つもの、輪っかがついているもの。私の超視力はこういったときに便利である。人間では視認できないようなものまで捉えられる。そして不必要なものまで見えてしまう。ほら、また。ぼんやりとした懐かしい天体の影を見つけて少しだけノスタルジックな感傷に浸りそうになるのを堪える。そういった無駄な感情は私に与えられた使命ではない。それはもう使い古されたものだ。
天体崩壊まであと八週間。私に与えられた時間はきっかり1334時間。それが過ぎれば私は私で無くなって只の瓦落多として処理される予定だ。金属片と化してその生涯を終えるか、幾多の生物を救ったメシアとして宇宙博物館で展示されるか、どちらが名誉であるかは疾うの昔に知っている。私は任務を遂行することでしか存在の証明は不可能だ。そういう星の元に創造された一体のアンドロイドである。
私が現在立っている天体は先刻述べたように、あと八週間の寿命である。スーパーコンピュータなる私の遠い親戚がそういう計算結果を何千回と吐き出したのだから間違いないのだろう。私に搭載された小さな電子脳味噌もくるくると回転しては同じ結果を出した。毎日のように同じことを繰り返していては毒なので最近ではその検算すら億劫になりしていない。そもそもその結果を出すのにも膨大な時間が掛かる。するだけ無駄だ。もし崩壊が八週間より早ければ、まあその時はその時だ。地球に棲んでいた生き残りが私と天体の終末を同時に見ることになるだろう。そうなれば数少ない生き残りも絶滅への第一歩を踏み出す。
約十年前。地球は寿命を迎えた。九十六億歳とちょっと。些か頑張りすぎであった。死因は過労とでも言っておこう。人類の搾取と汚染に堪えられず地球は死んだ。宇宙で指折りの美麗な星、かつては「生命の星」とまで呼ばれた天体はたった一つの生命体によってあまりに呆気なく滅ぼされた。人類が信仰する神もその愚行は救ってくれないようであった。人類は神に祈りつつ自身の墓穴を着実に掘っていたのだ。これには神も「oh my god」と叫ぶだろう。なんて、酷く詰まらないコメディよりもチープに人類は別の星へと乗り換えた。
はじめて地球の滅亡がわかったときは人類は絶望し、阿鼻叫喚の嵐であったのだが各国政府による救済案が提示されると誰しもが胸を撫で下ろし、火星万歳の声が上がった。このまま地球の死は過去の遺物となり、人類史上初となる世界平和が訪れるはずであった。しかし、世界はそう簡単に変わらないし、救われない。火星での生命の営みは未だに困難であった。人類が生存できても他の多種多様な生物群をそっくり移し替えることなど到底できなかった。研究が間に合わなかったのか、はたまたはじめから人類だけが生存すればよいと思っていたのか、どちらにせよ人類だけでの生活は不可能であると各国政府は結論づけた。
人類は知恵を絞った。火星での安定した生活を送るまでにどうにか地球の生命体を保持できないだろうか、と思案した。ちっぽけな脳味噌から考え出した結論の末、大昔には非難轟々であった禁忌へと手を出した。生命のクローン創造。手始めに人類以外の全生命体の雌雄のクローンを作り出した。牛、豚、鶏などの家畜から犬、猫の愛玩動物。ひいては蚊や蝿、ゴキブリの害虫に至るまで。しかし、クローン体は完全では無かった。人類に都合の悪い部分は電気で置き換えられた。こうして電気動物群は誕生した。そこまでいったところでついに地球は天体爆発を起こし、三分の一の人類と開発の間に合った生命体が火星へと飛び立った。
一つのエラー個体を含めて。
私は何処かの国が秘密裏に開発していたアンドロイドだった。パンドラの箱である。要は人間のクローン試験体であった。脳以外は極めて人類に近い。それ以外の部位も少しずつ弄られていて並の人間では死んでしまうような環境でも容易に生き残る事ができた。火星に移り住んだ人類がそんな私を利用しない手は無い。猫の手でも借りるようにアンドロイドの手を借りて、人類は私に一つの使命を与えた。思えばそれは半分実験のようなものであった。火星から少し離れた小さな天体で私は「第二の地球」の創造を命じられた。人類が「火星」でゆったりと暮らしている間に思い出の地球を復活させてくれとそう言い放った。それに当たって私にまた無数の人類に都合が良いだけの機能が追加付与された。私は完全なる道具だった。其処にはかつての人類の醜悪さと一種の娯楽を楽しむような、そんな安っぽい感情だけが確かに在った。
さて親語りはこの辺にしておこう。これ以上生みの親について語っていては短編を謳った物語に変に重厚感を持たせてしまうだけだ。私の反抗期に終わりはないのだろうが、この天体の寿命はもうすぐ其処まで迫っている。
私は筆舌に尽くし難い苦心の末、十年弱で殆どの生命体の「安定」を遂行した。人類が火星でのんびりと開発した人工海に覆われた「第二の地球」は漸く完成間近であった。しかし、一年前に新たなる演算結果が出た。この「第二の地球」にも寿命が迫っていると、そう告げたのだ。何も「地球」を再現しようとしたことに神とやらが天罰を下した訳でも、再度汚染行為を繰り返した訳でも無い。私は実に環境に優しい生活を心掛けていた。問題があるとすれば週に一度火星に居る人類から配給される私専用の活動燃料と称した食料と水だろう。しかし、どうにもそれが原因では無いようだった。単純に人類が面倒だからと成る可く近場を選んだ天体がたまたま寿命間近で、愚かにもその寿命の計算を怠ったと云うことだった。私の小さな電子脳味噌が計算を終える頃には滅亡は既に目と鼻の先であった。奇しくも運命というものは命を持たぬアンドロイドにも平等に作用するようだった。
更に一つ重大な問題があった。「第二の地球」には未だに安定を図れていない電子動物群が七種類ほど残っていた。電子動物群とはクローンという言葉を嫌った一人の日本人科学者が提唱した人工的に開発された生命体の総称及び愛称でもあった。愛を持って接しているのは私くらいのものだが、電気動物群はそんなことは気にしていないと言わんばかりに着々と元来の生態系より少しだけ豊かな新たな生態系の礎を築いていた。一定の期間で子孫を残せるようになればそれは「安定種」として火星にいる人類の元へと送られる。私の仕事は全生命体を「安定種」へと導くことで「第三の地球」への第一歩を支援することだ。人類に罪はあっても動物たちには罪が無い。それだけが私を支えていた。
重大な問題とは「安定種」と対になる問題を抱える種の存在である。電気動物群を創造する際に何らかの問題が生じ、生物的に不安定となってしまった種を「未定種」と呼称した。「未来の生存が未定である電子動物種」の略称であり、それは蔑称のようでもあった。それに加え、何故か「未定種」に限って人の身近であった筈の種類が占めていた。嫌に難しく長ったらしい名前の動物はいち早く「安定」するというのに、聞き慣れた筈の動物群は「安定」までに倍の時間を要した。羊、蛙、魚、梟、猫、狐、亀。七種が七者七様の問題を抱え、種の存続の危機にあった。それが分かると人類はにわかに騒ぎ出し、私の廃棄を電子の言葉の裏にちらつかせた。私に残された八週間は「未定種」の安定の為に与えられたあまりに短すぎる猶予期間であった。救世主など程遠く、矢張り私は電気で形成された人型であるのだと思い知った。
私は人類が長く淡い夢を見るための代替品に過ぎなかった。