第三十一話 永遠に
イリアーナが気絶しているなんてことも知らず、リディアルは真っ暗闇の中でふわふわと浮かんでいた。
そこで誰かの声が耳をかすめる。
小さな声は次第に音量を増し、音が言葉として聞き取れるようになった。
「……様! リディアン様!!」
泣き声が耳に響きリディアルは目をゆっくり上げる。
すると双眸から涙をぽろぽろ溢したエレオノーラがいた。周囲にはベルフィードやテセリオス、バフェグ、魔王やベヘリモスが心配そうにこちらを見ている。
まさか彼らがいると思わず、リディアンは目を見開く。
「お前たち……?」
リディアンが呟くとエレオノーラは涙を流しながら、強くリディアンを抱き締めた。
「ああ、良かった!! リディアン様が突然倒れられてわたくしは生きた心地がしませんでしたわ!!」
「殿下、ほんとうにようございました……」
バフェグが目を真っ赤にして言う。
彼の泣き顔は何度も見たが、こんな顔は初めてだった。
そしてそれはバフェグだけではなく、他の皆もそうだった。戸惑うリディアンに気付いたエレオノーラは目を腫らした顔でくすぐったそうに笑う。
「驚きましたかしら? リディアン様が倒れたと聞いて皆が集まってきたのですわ。火林国やユーテントス王国の使者も次の間に控えていますの。王子たちご自身も来られたのですが、長く国を空けていられないとかで帰国されましたわ」
思い出したようにエレオノーラはふふっと吹き出した。
「ユリン王子がとても悲しげな顔をされるものですから、わたくしが励ますはめになりました。リディアン様ったら愛されてますわね。……あ、もちろんわたくしが一番愛していますけれど!」
強調するエレオノーラが可愛くてリディアンの顔に微笑みが浮かぶ。
「エレオノーラ、心配かけたね。でももう大丈夫だよ。そしてみんなもありがとう。これからもよろしく頼むね」
リディアンは泣き続けるエレオノーラを抱きしめて背中を撫でた。
以前とは違い、リディアンにリディアルとしての記憶も残っている。
神の記憶を遡っても自分の感情をここまで揺さぶった存在はいない。
『やっぱり僕はこの子が本当に好きなんだなあ』
リディアンは以前にもましてエレオノーラのことを愛しく思い、エレオノーラはいつも通りにリディアンを愛した。
復帰したリディアンはいつもの魔王ぶりを発揮するものの、少しだけ心境が変化し、ほんのちょっとだけ他者を思いやるようになった。おかげでバフェグは休暇を取ることができ、エルメラといい感じのお付き合いができている。
一方、エレオノーラは王妃となっても性根が変わることなく悪の道を目指して悪だくみをしてはしっぺ返しを食らって悔し涙に濡れ、『龍の祠』の店員を探し回り、手掛かりを見つけては一喜一憂している。
そんな彼女の被害にあっているのは、私兵を勝手に使われるデスティである。
成功するならともかく失敗続きでは、さすがに『悪役令嬢を目指すのをいい加減にあきらめろ』と言いたい。
だがデスティが言っても聞くタマではないのでリディアンに忠告してもらおうと考えた。
「兄上。そろそろエレオノーラ様に悪の才能がないとはっきりおっしゃってはいかがでしょう」
リディアンの私室でワインを注ぎながらデスティは言った。仕事終わりに二人で飲むことが多く、和やかな時間が流れる。切り出すならこのタイミングだとデスティは見計らっていたのだ。
デスティの言葉にリディアンは珍しく即答しなかった。なにしろ、今のリディアンは神の裏事情がよくわかる。
『きっとあのそそっかしい女神がエレオノーラに悪の才能を入れ忘れたんだろうな。なにせ、僕に神の力を持たせたまま転生させるんだから』
神の記憶を思い出したリディアンだからこそわかることが他にもあった。
たとえば、リディアンの魔力をエレオノーラが吸収できたことだ。悪役令嬢たるエレオノーラが魔王と共に生きていくうえで不可欠な体質なんだろう。
『魔王になりたかった僕とエレオノーラはやっぱり運命かもね』
リディアンはなんとなく嬉しくなりながら、待ちぼうけをさせているデスティに笑いかけた。
「デスティ。懸命に悪を目指すエレオノーラがとっても可愛いから止める気はないよ」
リディアンの本音を告げるとデスティは絶句する。
「それは……失礼しました」
「構わないよ。こういう話をできるのは君くらいだしね。そういえば今日もエレオノーラは『龍の祠』の店員探し?」
「え……ええ。私の私兵と技術者を連れて行きました。貧民街を整理して『龍の祠』の店員の隠れ場所をなくすつもりのようです」
「そっかそっか。はたから見たら弱者救済に見えるだろうね。アデライド嬢やシェルミア嬢あたりが勘違いをして女神伝説を新たに作り出しそうだよ」
「はい。おかげで隠ぺい工作とかもしなくて済むのでとても楽です。兄上、その……正体を告げるおつもりはありませんか?」
聞きたくなったデスティはたまらず問いかける。
リディアンは気分を害した風でもなく顔を緩めた。
「うーん。残念ながらないよ。鬼ごっこが楽しいからなかなかやめられないんだよね」
リディアンは楽しそうに笑う。
その顔は本当に幸せそうで、『恐怖の大王』の面影は全くない。
デスティは目をぱちくりと瞬かせたが、すぐに笑みを浮かべる。
「楽しそうで何よりです」
言葉を返す代わりにリディアンは笑顔を向けた。
血のつながりはないがリディアンはデスティを弟として好ましく思っている。
この世界に生まれてから、リディアルの時にはなかった感情がたくさんあふれ出るのだ。
たとえば、実弟のヴァルド。
以前なら見向きもしなかっただろうが、今はデスティ同様にかわいく思える。
今は兄との差に苦しんでいるが、真面目でいい子だからきっと自らの手で未来を切り開けるだろう。彼の将来を思うと楽しみでしょうがない。
この世界はリディアンを喜ばせる様々なことに溢れているのだ。
リディアンは窓から夜空を仰ぎ、ワイングラスを高く掲げる。
「本当に……本当にありがとう。あなたに心からの礼を送るよ」
リディアンは素晴らしい世界をくれたイリアーナに感謝を捧げた。
涙を拭きながらその様子を水晶から見ていた女がいる。
「よかった……。ほんと良かった。一時はどうなることかとっ!」
アルファーラの担当女神イリアーナである。
間違って記憶などをそのままにしてリディアルを送り込んだので、常に「破壊神パワーで世界崩壊しちゃうかも!?」と焦っていたのだが、むしろ模範的なほど平和な世界になったのでイリアーナの胃痛は完治した。さらに、リディアルの被害を受けていたオムニスや他の神から「よくぞリディアルを大人しくさせた!」と大喝采を浴び、新米女神から上級女神に昇格した。
喜んだのもつかの間、それ以来、厄介事がイリアーナに持ち込まれることになり、イリアーナはまたもや胃痛に苛まされるのだが、ストレスと戦いながらも問題を解決していき、ついに「強運の女神」と呼ばれるようになった。
「ヒィィ……過剰評価にもほどがあるわ……はっ! もしかしてわたくしが強運になったのはもしかしてリディアル神が力をくれているからかも……?」
ちらりとアルファーラの世界を見ると目映いほど光り輝き、力強いオーラを放っている。
とてもじゃないがイリアーナのへっぽこ力で作れるものじゃない。
ふと、いつぞやのリディアンを思い出した。
「そういえばリディアル神……リディアンがわたくしに礼を送るとか言っていましたけど、それって……」
思えば、今まで持ち込まれたトラブルもイリアーナの未熟な力でどうこうできるものではなかった。
リディアル神の絶大な力ならゲームの世界にいながらアミーキティアにまで作用できる……かもしれない。
それに気づいたイリアーナはリディアル神の力に恐れ戦きながら、額を擦り付けて拝んだ。
イリアーナが辛いときも苦しいときも、アルファーラはいつも光り輝いて励ました。そしてアルファーラの発展とともにイリアーナはますます幸運に恵まれた。
今では胃痛に悩むこともなく、幸せな日々を送るのだった。
めでたし、めでたし。