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Episode 幕明 『レコード』2

     Side:P



 ルカとの出会いから五年が経った。

 二年くらい前から体調を崩していたおじいさんが、帰らぬ人となってしまった。

 僕たちは悲しみに暮れた。おじいさんは大切に、本当の孫たちのように育ててくれたんだから。

 それはみんな同じ、ルカも含めて。だけど、おかしなことが起こっていた。

「ねえ、フィリップ。ルカって何か変じゃない? まるで昔のことは憶えてない、みたいな」

「それ、僕も思ったよ。おじいさんが亡くなってから一週間……昨日はまだ悲しそうだったのに、今日はけろっとしてる」

「…………」

 部屋の中には、僕とティナの二人しかいない。そこで揃って眉間にしわを寄せ、どよーんと暗い空気を作っていた。

 扉をくぐって入ってきた人影が、一瞬だけ固まったのが分かった。

「あれ、二人ともどうしたの?」

「カロル……僕たち、ルカのことが気になってて」

「なんだか,変だわ」

「はは。もっと変なのは、二人が作ってる重すぎる空気だと思うんだけどな」

 そこまで可笑しいことだろうか。カロルが重々しい空気なんてお構いなしに、明るく笑った。信じられないと言いたげな表情で僕らは彼を見つめる。

 すると、彼は急に笑うのをやめて、真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。

「実は俺、おじいさんの部屋に入ったんだ」

「え? 入らない約束じゃ……」

 ティナが絶望したかのような顔をする。

 まあ、仕方がない。だって、僕らはおじいさんの死を乗り越えられていないんだから。

 だから、落ち着くまで部屋はそのままにしておこうと、三人で約束していたのだ。

「いつまでも引きずってたって意味がないでしょ? でも、ちょっとだけね。あるものを見つけたから」

「捜し物をしてたの?」

 頬を膨らますティナに代わって、僕が訊ねた。そんな僕に、カロルは返事の代わりとして、一枚の紙を差し出す。

 見覚えのある文字が並んでいた。

「これは……紙? おじいさんの文字みたいだね」

「そう、おじいさんがルカのことについて書き残してたみたい。まだその一枚だけしかないけど、他にもあると思うんだ。ティナ、探しに入ってもいいかな?」

「はぁ……もう入ったんでしょ。今さら聞かないでよ」

「ごめんごめん。じゃあ、何か見つかったら――」

「あたしも探す」

「え?」

「じゃあ、僕も」

「ん? フィリップも?」

 まさか一緒に来るとは思っていなかった、とカロルがびっくりする。ちょっとわざとらしいけど、今それはいいや。

「じゃあ、みんなで探しに行こうか」

 楽しそうに笑ったカロルに続いて、僕らは壁を一つ乗り越えた。



     Side:T



 部屋に入ると、あらびっくり……おじいさんがいつも日向ぼっこをしていた場所で、ルカがうとうとしながら日を浴びていた。

 あたしたちの姿を見つけると、彼は首を傾げた。この人たちは何をしているんだろう? という顔だ。身体が大きくなって、声が低くなっても、ルカがかわいいのは変わらない。

 彼が見つめる部屋の中で、三人は資料を探し始める。

 まず見つけたのは、あたしだ。近くにいたフィリップに差し出す。

「ねえ、それっぽいのあったよ!」

「なになに……『魔法を操るものが、人狼をメモリーズイーターに変えることができる。魔法使いの全てと引き替えに』……なんだ、これ。魔法使いが犠牲になって、何かができるってこと?」

「メモリーズイーターってなんだっけ?」

「ティナは読んでなかったね。これだよ」

 さっき、彼が読んでいた紙を渡される。

 えっと、『不老不死という特殊な血を持った、記憶を食べる狼の種族。人間の記憶を記録に変えて、自身の中に刻み残す』――らしい。

「ってことは、ルカをこれにするために、儀式が必要ってことだよね?」

「そうだね。それで、誰か犠牲がいると」

 一つの冊子を手に、カロルが涼しい顔でそう答える。

 ちょっと待って。そんな簡単な話じゃないはずだわ。

「……いや、いやいやいやいや。いやよ。何言ってるの? あたしたちの誰かが、死ぬってことじゃない!」

「だから、おじいさんは今まで何も言わなかったんだね」

「そんな……よく冷静でいられるわね? あんたっていつもそう。全部分かっているかのように、一段上から話すの」

「…………」

 言ってしまった。申し訳ない感情で押しつぶされそう。だけど、間違ってはない。

「ティナ、落ち着いて。ね? ちゃんと話し合おうよ」

 フィリップが手を差し伸べてくれた。ようやく落ち着けたところで、カロルはまた刺激してくる。

「話し合わなくていいよ。それ、俺がやるから」

「そんな! ひどいこと言ってごめんなさい。だから、あんたがそんなことしなくても」

「別に、ひどいことじゃないから気にしてないよ」

「じゃあ、なんで?」

「理由は二つある。そのうち一つは、二人に謝らなくちゃいけない。まず一個目、ルカには時間がないから」

「時間がない?」

 あたしとフィリップは首を傾げた。もう、パパッと全部教えて欲しいわ。

「メモリーズイーターになれる人狼は、身体のどこかに印を持っているんだ。それは成体になれば、消えてしまう。消えてしまえば、期限切れだ。彼はただの狼になってしまう。けど、ルカは一応まだ残ってるよ、その左腕に」

 考える間もなく、身体が動いた。あたしのなすままに、ルカは腕を捲られる。

 確かに、左腕の手首辺りに印があった。

 縦に一本線と、そこから蔦が伸びているような印だ。けれど、確かにそれは薄かった。いつ消えてもおかしくない状態という感じ。

「分かった。けど、何もカロルがやる必要なんてないじゃない。あたしでもいいでしょう?」

「だめ、俺がやるべきことなんだ」

「なんで!」

「どういうことか説明してよ、カロル」

 代わって、フィリップが質問をする。カロルは「これが二つ目」と言って、冊子を開いた状態で彼に差し出した。

「ん?『光の魔術師がそれを成すなら、加えて次のことを狼に与えられる。①光の魔術師が持っていた知識 ②狼が心の底で望む、三つの残したい記憶』って」

「俺がこの『光の魔術師』に当たるってこと」

「え!?」

 衝撃。吹っ飛んだ。あたしの内臓は無事かしら。

 驚いた。だけど、そうだと思えるほど、どこか冷静だった。フィリップも同じみたい。

「ごめん、何も言ってなくて。必要ないと思ってたんだよ。実際、光の魔法なんて、本当に限られたことにしか使えないから。だけど今、俺の持っている光の力が必要。これ以外の使い方は、今ないから。でしょ?」

 カロルは今までにないくらい真剣な顔で、訴えかけてくる。

 こんな、心に響かせるようなことを言う人だっけ……?

「そして、二人に謝らなくちゃいけないことがもう一つ。俺はすでに全てを知っていた。おじいさんから聞いていたんだよ。そのときに『光の魔術師』のことを聞いて、その場で決めた。これは俺の役割だって。それから、その冊子の内容をぜんぶ頭に入れて、知識も完璧に用意した。今日、二人をここに連れてきたのは、俺の最後の決意のため……今日、俺はやるから」

 止められない。止められるわけがないじゃない。ねえ、フィリップもそう感じるでしょう?

 あたしの言葉が届いたのか、フィリップはこちらを向いて頷いた。

「俺は二人のように、いろいろな魔法を自由自在に使うことができない。だから、できることはやらせてよ。俺はルカに未来と希望と、少しでも過去おもいでをあげたいんだ」

「うん。カロル、おねがい」

「ルカをよろしくね」

 フィリップと二人でカロルを抱きしめる。三人で久々に抱き合った。

 きっと、この日をあたしは一生忘れない。



     Side:P



 カロルが何か呪文を唱えると、まぶしい光が彼とルカを包み込んだ。

 中の様子は、光のカーテンでまったく見えない。僕たちはただ、心が締め付けられるような思いで時の流れを祈った。

 しばらくすると、カーテンはゆっくりと開き、そして消えてゆく。姿を見せたのは、座り込んだルカだけだった。

「……っ」

 銅色のハードカバーで紫色の飾りがついた、一冊の本。これまでに見たこともない、その本を抱きしめて、ルカは泣いていた。

 印があった左腕には黒の腕輪がついていた。何があっても離れない……「彼」の願いの結晶なのだろう。

 カロルは姿を消した。入れ替わるように、たくさんの贈り物を残して。

「ありがとう、カロル……僕は忘れたくない……っ」

 たぶん、そう言ったルカの願いは届かないんだ。そういう決まりだから。

 おじいさんと同じように、いつの日か、忘れてしまう。僕とティナのことも、カロルのことも、きっと未来に出会う人たちのことも。

「ありがとう……」

 せめて、僕たちは記憶に刻みつけておかないとね。カロルとルカと、僕たちの日々を――ティナも同じだろう? だって、これはカロルも望むことだと思うから。

 ルカの抱きしめる本がきらりと輝き、彼はそれを胸から離す。光に誘われて、ルカの瞳にも光が灯った。やっぱり、人の力で輝きを見せていくことができた。他ならぬ、カロルという人間の力で。カロルが照らしてくれたから。

 やがて、その本はパラパラと細かくなって、ルカの身体なかに吸収されていく。あれがおそらく記録の土台になるものだ。

 僕はカロルから渡された冊子を一ページずつめくった。魔法使い、光の魔術師、闇の魔術師、メモリーズイーターという人狼――これを全部カロルは頭に入れたのか。ただの記憶に終わらないように、深く深く理解して。たくさんの書き込みが物語るように。

「あっ! ティナ、これを見て」

 涙を堪えている彼女の目の前に、僕は冊子の最後のページを差し出した。

 カロルが本当に願うこと――僕の思っていたことと同じだ。だから、決まりだよね。

「フィリップ、やろう。土台の上に、物語を」

 そうか、カロルが土台か……なら、僕たちが最初の一ページ(ものがたり)だ。

「うん。これはルカの始まりのお話だね」


 僕たちは声を揃える。

 ルカの未来のために、ルカとカロルの過去のために、その一ページ《ものがたり》を。


「あなたに、僕の/あたしの記憶をあげます。大事な最初の記録モノガタリに――」



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