第5話仮面のない騎士
イザベラが神殿に来て、一ヶ月が経った。
クレアの手元には、既に羊皮紙が六枚になっていた。イザベラの動き、接触した人間の名前、頼んだことの内容、断られたこと、成功したこと。細い糸のように見えても、並べれば一つの模様が浮かび上がる。
ただ、クレアには分かっていた。
これだけでは、まだ足りない。
神殿の内側だけで動いていても、限界がある。イザベラの背後に何があるのか、金の流れがどこから来ているのか、それを明らかにするには、自分の手の届かない場所に踏み込む必要があった。
前の記憶では、それをやってのけたのは、アルヴィンだった。
隣国の商人網を使い、イザベラが動かしていた金の流れを静かに洗い出した男。クレアが処刑台に引き立てられた後で、全てを揃えてきた男。
今回は、処刑台に立つ前に、その男を探す必要があった。
*
問題は、前の記憶の中で、アルヴィンがどこから現れたのか、クレアには分からないことだった。黒い外套と仮面。両国の条約を持ち出した騎士。名乗ったのは名前だけで、身分を明かしたのは全てが終わった後だった。
隣国の、第二王子。
それだけが、手がかりだった。
クレアは、神殿の資料室に入った。外交記録を管理している棚を探し、隣国との条約文書を引き出した。両国の条約。アルヴィンが処刑台で持ち出したもの。それが実在することは、前の記憶で確かめている。
文書を開くと、末尾に署名が並んでいた。隣国側の署名の中に、一つだけ、見覚えのある字があった。
アルヴィン・レーヴェンハルト。
副署名の位置に、その名前があった。条約締結の場に、本人が立ち会っていたということだ。ということは、この条約の内容を、誰より深く把握している。
クレアは、文書を丁寧に元の場所に戻した。
*
翌日、クレアは神殿の外へ出た。市場を抜け、街の外れにある宿場町へ向かった。隣国との往来がある場所には、必ず隣国の商人や使者が立ち寄る。情報は、そういう場所に集まる。
宿の主人に、静かに尋ねた。
「最近、隣国からいらした方で、レーヴェンハルトという名前をご存知の方はいますか」
主人は、少し考えてから言った。
「さあ……ただ、隣国の方でしたら、この先の街道沿いにある隊商宿の方が詳しいかもしれません。そちらの方が、行き来が多いので」
手がかりは、細かった。けれど、なかったわけではない。
*
帰り道、街道を歩いていたとき、クレアは不意に足を止めた。
道の先に、一人の男が立っていた。
黒い外套。旅装。こちらに気づいて、僅かに足を止めた。顔は見えなかったが、その立ち姿に、見覚えがあった。
クレアは、迷わず歩み寄った。
「少し、よろしいですか」
男が振り返った。仮面はつけていなかった。思いのほか若い顔。鋭い目が、クレアを静かに見た。
「……何か」
「アルヴィン・レーヴェンハルト様ですか」
男の目が、僅かに細くなった。
「なぜ、その名を」
「条約文書で拝見しました。お話ししたいことがあります。……神殿で起きていることについて」
*
しばらく、沈黙があった。男はクレアの顔を、測るように見ていた。
「……どこで話す」
「人気のない場所であれば、どこでも」
男は、少しの間黙ってから、街道を外れた小道の方へ歩き出した。クレアは、その後に続いた。
木立の中の、小さな空き地だった。男は振り返り、腕を組んだ。
「話せ」
短い言葉だった。クレアは、羊皮紙の束を取り出した。
「この一ヶ月で、私が記録したものです。神殿に来た女が、何をしようとしているか。私には、先が見えています。信じてもらえないかもしれませんが」
「なぜ、先が見えている」
クレアは、一瞬だけ迷った。それから、正直に言った。
「一度、全部を経験しているからです。私はこの半年を、一度生き終えています」
男は、表情を変えなかった。否定もしなかった。ただ、静かにクレアの目を見た。
「続けろ」
その一言が、クレアには十分だった。




