7.2025年11月17日
朝、月曜日なのでいつもよりゆっくりの起床。
横の極夜は……よく寝ている。
「……」
黙ったまま顔を眺め、ふと気付く。
そうだ、もう一年経ったんだ。
記憶が戻り、極夜が帰ってきたことを理解したあの夜。
神の存在を認めた日。
そして神の奇跡を目の当たりにしたロト6事件から、今日でちょうど一年だ。
あっという間だった。
兄は空白の時間を必死で取り返すように、俺を甘やかしに甘やかしていた。
だから――甘やかされてばかりの俺からたまには仕掛けてやろう。
サイドテーブルに手を伸ばし、何度か空振りしてから目的の眼鏡を手にして掛ける。
そーっと、そーっと……絶対に極夜を起こさないように、と気を遣ってベッドを降りて部屋を出る。
パジャマのままだが、まあ問題ない。
洗面所で顔を洗って、歯を磨いて、キッチンへ向かう。
極夜が管理しているので綺麗に片付けられているシンク前に立ち、さて、と考える。
この一年、極夜と一緒に週一回のお菓子作りをしていたこともあり、それなりに料理というものが出来るようになった気がする。
極夜の様な手際で工程の多い料理を作ることは出来ないが、簡単な料理ぐらいなら俺にだってできるはずだ。
「よし……」
小さな声で気合いを入れて、冷蔵庫――昨年十二月に買い換えた少し大きいものだ――を開けてみた。
「んー?」
紙パックのコーンスープ……パッケージを眺めると、鍋に移して温めるだけでいいらしい。スープはこれでいいだろう。
卵、ベーコン、スライスチーズ……うーん?
あとはレタス、トマト……うん。
棚を確認すると、イングリッシュマフィンがあった。
よし、これなら出来そうだ。
俺は腕まくりをして食材を取り出し、一つ一つの調理を始めた。
鍋に紙パックからスープを注いで、コンロにかける。
えっと……火を少し弱めて……これでよし。
温めている間にレタスをちぎって、さっと洗ってキッチンペーパーで水気を取る。
これは極夜がよくやっているので記憶していた。
次はトマト。包丁を手にして、少し考える。
スライストマトって、どうやって切るんだ?
多分、ヘタのところは要らなくて、縦……いや、横? 横に切るのか? どうやって?
「……」
恐る恐る、トマトを支えて切り始める。
包丁の刃がトマトに入ると力を入れただけでスッと沈んでいって、びっくりして思わず支えている手を離した。
「ひっ……」
スターン、とまな板に包丁の刃がぶつかる。こ、こんな勢いで指を切ったら切り落とすぞ、これ……。
冷や汗が浮かぶが、とにかく慌てないように慎重に二枚のスライストマトを確保した。
あとは、フライパンに油を少しだけ垂らして……ベーコンを置いて焼く。
ここに卵を二個、割り入れればベーコンエッグ……。
「……そういうこともある」
声に出して自身を鼓舞する。
フライパンに割り入れた卵は目玉焼きにはならなかったため、ベーコン入りのスクランブルエッグに変更した。
イングリッシュマフィンをオーブンに入れて、トースターボタンを押す。これは極夜に教えてもらったから使える。
スープを少しかき混ぜる。ちゃんと温まっているな、よし。
ふぅ、と一息吐いた。
大変だ……こんな事を一日三回やっているのか、極夜は。
兄には感謝しないといけないな、と考えていた俺の耳に、慌てているような足音が届いた。
あぁ、起きたのか、極夜。
一旦洗面所で止まった音が、しばしして再びこちらに向かって来る。
俺はそれを待つ間に、カップにスープを注ぎ、焼き上がったイングリッシュマフィンにトマトとレタスとチーズ、それに予定とは違ったスクランブルエッグベーコンを乗せてサンドした。
皿に置いて、テーブルに並べたところで極夜がぼさぼさの頭でキッチンに飛び込んできた。
「は、白夜!?」
「……おはよう」
「お、はよう……っ、火! コンロの火を消せ!」
「あ、忘れてた」
鍋に少し残っていたスープは危うく焦げ付くところだった。カチリと火を消して、少し誇らしげに笑う。
「今日は俺が作ったぞ?」
極夜はざっと辺りを確認し、状況把握に努めているようだった。
数秒で結論が出たのか、ようやく肩の力を抜いて歩み寄ってきた。
「全部一人で作ったのか、白夜が」
「こ、これぐらいはできる」
いつまでもポンコツ呼ばわりされたままでいられるか。
座れば、と言おうとしたら極夜が俺の手を掴んで眺めている。
「……なに?」
「いや、切ったりしてないかと……」
「切ってない」
ムッとした俺に、極夜は苦笑して手を放した。
「ならいい。わざわざ作ってくれたんだ、冷める前に食おう」
促され、いつも通りに椅子に座り、食前の祈りを捧げて、極夜の様子を窺った。
極夜はとても嬉しそうだ。
やはり、たまには誰かに家事を代わってもらいたいのかもしれない。
そんなことを考えていたが、どうやら極夜の笑みの意味は違ったようだ。
「可愛い弟の手料理……」
「絶妙に気持ち悪いんだが」
「気持ち悪くない、いただきます」
マフィンサンドに噛り付いた極夜を確認してから、俺も食事を始めた。
もぐもぐしていた極夜が、嚥下した後でへらりと笑った。
「美味いなぁ……人に作ってもらった飯っていうのは」
――きっと、同じ材料を使えば極夜の方がよっぽど上手に、美味しく作れる。
それでも、自分が作ったものではない、誰かに作ってもらった食事は何倍も美味しいのだ。
俺は身をもってそれを知っている。
何しろ、この一年、毎日兄の手料理を食べてきたのだから。
「極夜」
「ん?」
「たまには、俺が作ろうか?」
ピタリと極夜の動きが止まった。
一瞬だ、すぐに回答は弾き出される。
「年一回。十一月十七日の朝だけ、お前に作ってもらおうかな」
「なんで?」
「特別な日だから」
極夜の思考はよく分からない、それでも極夜がそれを望むなら良いだろう。
「それでいいなら」
「よし、これでこれから一年、お前の料理の腕を鍛える楽しみが出来た」
そういうことらしい。
ちなみに。
この日の朝、俺でも容易に扱えるだろう食材が意図的に揃えられていたことを極夜が白状したのは、夕食の支度をする姿を眺めていた時だった。
全てはお兄ちゃんの計画通りだったわけだ。
さすがにちょっとだけ腹が立ったから、食後に二人でスマブラをやっていた時にボコボコにしてやった。
極夜にだって、俺に勝てないことはあるのだ。




