番外.2025年3月某日
曰く、ドッペルゲンガーとは。
世界に同じ顔をした人間が三人おり、そのうち二人が出会うと死んでしまう。
あるいは、自身と同じ姿の者を見ると死期が近い。
現代では脳の異常によるものとして医学的に解決できる可能性もあるとか。
極端に単純化して話すと、要は同じ顔をした存在が何らかの原因で世界に影を落としてしまう現象、ということか。
さて、では……今回、俺達の身に起こったのはなんなのだろうか?
***
午前の礼拝を惰性で終えた俺は、一度聖堂を出た。
キッチンでは双子の兄、極夜がいつも通りに食事の支度をしているだろう。
――と、思っていた。
洗面所で手を洗ってから向かったキッチンの入り口で、俺は動きを止めた。
ん? 極夜がなぜ、キャソックを着ている?
しかも、ぼうっと佇んでいるだけで何かをしている様子はない。
いくら何でも、双子の兄がこんな悪趣味な悪戯をする人間ではないことは理解している。
それでも、俺からすればそこにいるのは極夜でしかありえない。
「極夜? 何して……」
思わず声をかけた。
多少咎めるような声色になってしまったが、それも仕方ないだろう。神父でもないのにその服を着るのは如何なものか。悪戯ならちょっと怒った方がいい。
そんなことを考えていたのだが……。
「は?」
ゆる、と振り向いた極夜は眼鏡を掛けていた。
いや……違う、あれは。
俺がそれを認識した途端、その姿がふっと空気に滲んで消えた。
「……俺……?」
呟くと同時に裏口が開く音がした。
「あぁ、白夜。ちょっと買い出しに行っていたんだ、昼食は今から作るよ」
俺の背後からやって来た極夜の声。ぎこちなく振り向くと、そこにはちゃんと私服を着ている極夜の姿。
「極夜?」
「うん? どうした?」
「……いや、なんでも」
言葉を濁した俺は、極夜に促されるままに椅子に座って不可解なものを見た、という思いを抱えたまま時間を過ごした。
***
愛すべき双子の弟、白夜の様子がおかしい。
俺、三冬極夜はそう結論していた。
買い出しから戻ったら、キッチンの入り口でぼうっとしていた。
なんでもない、と言っていたがそうは見えなかった。
お兄ちゃんを舐めないで欲しい。誰よりもお前を見ているのは俺なんだから。
何か悩みでも抱えてるなら何とか解決してやらないと。
そんなことを考えながら午後の時間を過ごし、夕刻。
そろそろ白夜のお勤めも終わる時間だ。
たまには聖堂に迎えに行ってもいいだろう。
キッチンから聖堂に向かって歩いていき、ドア越しに人の気配を探る。
よし、一人分、白夜だけだ。
そっとドアを開け、いつも白夜がいる場所へ目を向ける。
そこにはぼうっと佇んでいる姿。
ん? なんで私服?
わずかに首を傾ける。白夜が着替えを済ませてからここに戻っている事なんてないはずだが……。
「白夜?」
声をかけると、ゆるりとその姿が動く。振り向いたその顔に、硬直する。
「俺……?」
双子と言えど、見間違うはずがない。あれは弟じゃない、俺だ。
瞬間、俺の姿をしたものは差し込む夕陽に溶けるようにスッと姿を消した。
その時、ちょうど聖堂の正面のドアが開いた。
「極夜? 何してるんだ?」
白夜だ。ちょっと棘のある声色は、俺が聖堂に入り込んでいるのを咎めているんだろう。
瞬間で、取り繕うべきだ、という思考が働いた。
「いや、そろそろお勤め終わりだろうな、と思って」
「――ここを施錠すれば終わりだけど」
「よし、じゃあ戻って夕食を仕上げてくる」
それだけ言い残して、俺はキッチンへ急いだ。
今見たものがなんなのか、さっさと分析しないと気持ちが悪い。
体は自動的に夕食の仕上げをしながら、頭では思考をフル回転させている。
聖堂にいたのは俺だ。だとしたら、第一に思い浮かぶのは『幻覚』だろう。俺が幻覚を見た、それならそれだけの話だ。
問題はそうではない場合。
白夜の様子がおかしかったのも、もしかしたらこれが関わっているのかもしれない。
そうなった場合、白夜はあの時、いないはずの俺の姿を見たということか?
「…………うーん」
頭の中にあるデータベースで該当しそうな事象を検索する。
鍋を一混ぜして、ピタリと手が止まった。
「……ドッペルゲンガー?」
二重身、死の前兆と信じられていた現象だ。
俺に死が迫っている、というのはまぁ、一旦置いておいてもいいだろう。大した問題ではない。
だが、白夜が何を見てしまったのか、それは確認しておくべきだろう。
カチリ、とコンロの火を消して振り向くと、白夜が部屋着に着替えて立っていた。
「白夜?」
その表情は凍り付いている。
「おい、どうした?」
重ねて声を掛けると、白夜はびくっと肩を揺らして俺を見た。
「あ……今、そこに……」
口籠もる白夜に、察した。
早急に話をするべきだ。
夕食の後で、きちんと話をしよう。
俺は白夜を促して椅子に座らせると、本日の夕食であるホワイトシチューとバターロール、サラダを手早く用意して二人での夕食を終えた。
***
夕食の間中、気が気ではなかった。
聖堂から戻って来たあと、キッチンで料理をする極夜の傍らにいたキャソックを着た人影。
極夜に声を掛けられて、返事をした瞬間に消えてしまったそれ。
――また、俺だった。
なんなんだ、俺はまたおかしくなってしまったのか?
ようやく極夜と二人の生活にも慣れてきたというのに……。
食事を終えて、祈りを捧げて、片付けをする極夜を眺めている間にも、先ほど目にしたもう一人の俺の姿が脳裏から離れない。
絶望したように淀んだ瞳で、ぼうっとしていた姿。
あれは……。
コトン、と目の前にマグカップが置かれた。
「あ……」
「ホットミルク、はちみつ入り」
「ありがとう……」
「ちょっと話そう」
極夜も自分のカップを手にしていた。
――極夜に話してしまえば、もしかしたら解決するかもしれない。自分がおかしいのだとしたら、何らかの解決策を提示してくれるだろう。
「白夜、昼間から様子おかしいのは……何かを見ているからか?」
直球。極夜らしくないストレートさだった。
俺はため息を吐いて一つ頷いた。
カップを引き寄せて一口、ホットミルクを飲み込む。優しい甘さに背を押されるように告げた。
「昼と……さっき、そこに俺がいて……」
「お前が?」
極夜の顔が怪訝そうに歪む。
「俺じゃなくて?」
言われて、その言葉のおかしさに気付いた。
「え? なんで極夜を?」
瞬間、極夜の顔から一切の感情が消え失せた。恐怖すら感じる冷徹な表情。
「白夜」
「……なに?」
緊張に声が掠れる。
「俺はさっき、聖堂で俺の姿を見た」
平板な極夜の声にハッとする。
そうだ、夕方の極夜は少し様子がおかしかった。
あの時、聖堂で極夜が自身の姿を見たのだとしたら……俺達は今日、二人とも自身の姿を見ていることになる。
二人そろっておかしくなったのか? そんなところまで双子じゃなくてもいいだろうに。
「参ったな……俺のドッペルゲンガーだとしたら、俺が何とかすればいいと思ってたんだが、お前もか……」
「ドッペルゲンガー? あの、なんかオカルトの?」
「神話、伝承、迷信、幻覚……まぁなんでもいい。なんでもいいんだが……二人とも自分の影を見ているんだとしたら面倒な話だな」
極夜のため息が落ちる。
意味が分からない。
……いや、そもそもだ。
ドッペルゲンガーって、同じ顔をした人間が世界に三人いるっていうやつだろう? それって、一卵性の双子の場合はどうなるんだ?
少なくとも同じ顔をした人間が目の前にいるんだが……それぞれのドッペルゲンガーがいたら、四人にならないか? というか……世界には同じ顔の人間が六人いる?
しょうもないことを考えていると、黙って考え込んでいた極夜が顔を上げた。
「俺達の場合って、世界に同じ顔をした人間が全部で六人って事にならないか?」
「……」
同じことを考えていた。
あぁ、兄弟そろってなんなんだ、まったく。
「それはそうだろうけど、そうじゃなくて」
「ツッコミありがとう、少し冷静になった。――少なくとも、俺もお前も自分のドッペルゲンガーを見た、という前提で話を進めよう」
極夜がいつもの調子を取り戻してきた。
「はっきり言って、死期が近付いているなんていうのはただの与太話だと考えられる。脳機能に障害がある、というのも二人揃ってというのは考え難い。一番現実的なのは幻覚だろうな。ただ……」
「ただ?」
合いの手を入れていると、極夜は考えが纏まっているのか淀みなく続けた。
「仮に、本当のドッペルゲンガーだったとしても筋は通る。アレは自身の感情が深く残った場所に現れるという説がある。お前のドッペルゲンガーが聖堂内ではなくキッチンにいるのも、俺のドッペルゲンガーが聖堂にいるのも、理屈の上では理解できる」
「俺は……聖堂から離れたくてここに」
「俺は聖堂に記憶が焼きついた。な、筋は通る」
極夜の結論に、それでも俺は眉間に皺を寄せた。
「だとしても、あの影がこれからも見えたら……」
俺の懸念に極夜は肩を竦めて言った。
「大した問題にはならないよ。どうせ俺の影はそのうちここにきてお前の影を連れて行くさ」
「はぁ?」
「俺はそういう存在なんだよ。気にしなくても……そうだな、一週間後には解決してる。さぁて、風呂にするかー」
のんきに言って、極夜は話を打ち切った。
――大丈夫なんだろうか、本当に。
そもそもドッペルゲンガーって放置してもいいもんなんだろうか?
いや、どうにか出来る当てもないし極夜の言うことに賭けるしかないんだが。
やれやれ、と深くため息を吐いたとき、またちらりと俺の影が見えた気がした。
***
俺は静かに聖堂に佇む影を見ていた。
「おい、いつまでそこにいる気だ」
『……』
絶望に瞳を濁らせた影は、ぼうっとしたまま虚ろに俺を見た。
「キッチンだ。早く行け」
『……』
わずかに目を見開いた影が姿を消す。
俺は真っ暗な聖堂から廊下へと足を進め、ひょいとキッチンを覗いた。
俺の影だけは視認できる。
むぅ、今一つ、状況が把握できないな。
ふと、背後から足音が聞こえた。
「極夜?」
「……起こしたか?」
「いなかったから、ちょっと気になって」
白夜だ。あぁ、ちょうどいい。
「見えるか?」
白夜に問いかけると、白夜は眼鏡を押し上げて難しい顔をした。
「また俺がいる……」
「あぁ、じゃあ問題ない。そこに俺もいる」
二人でこそこそ話していると、視界にいた俺の影がふっと消えた。
「あ」
同時に白夜が声を上げる。
「消えたか?」
「消えた」
「こっちも消えた。やれやれ、これでドッペルゲンガー騒ぎも終わりだ」
「はぁ?」
白夜は怪訝そうな声を出すが、俺としてはこれ以上の返答は出来ない。
「あいつらはもう出ないだろう。――もし大騒ぎするとすれば、俺達の前に二組の俺達が現れた時でいいさ」
「?」
首を傾げる弟の背を押して寝室に戻りながら、俺は「なんだったんだ」とぼやく弟に笑いながら言った。
「所詮俺達のドッペルゲンガー、互いを害することなんてできない以上、オカルトにすらならなかったって話だ」
「……意味が分からない……」
弟の背をポンポンと叩き、だから何だったんだという小さなドッペルゲンガー騒ぎはさざ波の様に終わった。
翌朝の弟も不可解そうだったが、それきり教会に俺達のドッペルゲンガーが現れることはなかった。
だから、まあ、満足して消えたんだろう。
そういうことにしておこうか。




