地味令嬢アメリアの幸せな婚約 ①
ここに来るのも、何年ぶりでしょうか。
ずいぶん懐かしく感じる回廊を渡った先、王族専用区域に入ったあたりで、名を呼ばれました。
「アメリア。よく来たね」
「リアム殿下……!」
どうやら、出迎えてくれたようでした。
私と彼は並んで歩きながら、研究室へと向かいます。
「殿下の研究、私も気になってたのでありがたくそのお話、お受けしましたが……私に務まるでしょうか?」
「できるよ。あなたは昔から、観察が得意だった。俺の研究は、観察が重要だからね」
それなら、私にもできそう……かしら……?
研究室に入ると、リアム殿下が私を手招きしました。
そこに向かうと、鉢植えが机の上に置いてあります。
「これは……?」
「今、試験的に栽培している品種改良をした麦だ。数日前に種を撒いたから、あと数日もすれば発芽すると思う」
「もしかして、殿下が研究されていた麦の……?」
「そう。だけどこれはまだ実験段階だからね、ここで発芽しても寒冷地で芽が出なければ意味が無い。この麦は改良種だから、そもそもうまく育つかも不明なんだ。だから、まずは発芽させ、その成長記録をつける。それがきみの仕事」
「なるほど……。頑張ります」
それから殿下は、先日言っていた南国で咲くという植物のプランターを見せてくれた。
日々の水やりと、観察記録をつけること。それが私の仕事だ。
ここに来るのはずいぶん久しぶりで緊張していたけれど、あまり変わっていません。
そのことに安心し、ホッとしました。、
ここは、前と変わらず薬草と、消毒液の香りがかすかにします。優しい、香りです。
研究室を見渡していると、ふとリアム殿下が私に言いました。
「それで、先日の返事を聞かせてくれるかな」
「返事?」
先日の──。
それは、研究室へのお誘いではないのでしょうか。それなら、お返事したはず。
だから今、私はここにいるのであって……。
そこまで考えた時、ハッと閃きました。
ももも、もしかして。
「……あの、先日のと言うと」
「もちろんあなたと、私の婚約についてだ」
や、やっぱりー!!
私は青くなったり赤くなったり、大忙しでした。
やっぱりあれは、そういう意味だったのでしょうか?
私と、リアム殿下が婚約。
いやでもそれは。
「あ、の。殿下はお姉様が好きだったのでは……ないのですか」
ちいさな声になってしまいましたが、しかしそれはしっかり彼には聞こえたようです。
リアム殿下は、眉を寄せ、私を見ました。
「あなたの……というと、アンリエッタ?アーロンとデキていた?」
「デ、デキ」
「すまない。懇意にしていた?」
リアム殿下の言葉に、私は恐る恐る頷きました。
「……はい。お姉様は殿下の研究室によくお邪魔していたのでしょう?」
私の質問に、リアム殿下は不思議なことを聞いたと言わんばかりに動きが止まりました。
「お邪魔?私の研究室に?彼女が?」
「は、はい」
私が頷くと、リアム殿下は長い沈黙の末、ため息を吐きます。
「……彼女がここに足を踏み入れたことはないよ。私は、気を許した人間しかここに入れない」
「え?ですが」
お姉様は、言ってました。
何度もここにきた、と。
それに、リアム殿下に想いを告げられた、って──。
頭が真っ白になりました。
私を見て、リアム殿下が困ったような顔をします。
「……あなたと私の間には、大きな誤解があると思う」
「そ、そう……でしょうか?」
「まず、私は彼女をなんとも思っていないし、そもそも彼女との関わりだってない。以前、ここを訪ねようとしていたが追い返した。それに私は、他人の男に恋慕したあげく奪い取るような真似をする女は嫌いだ」
「は、はぁ……」
ほかに、何といえばいいか分かりませんでした。
私はもしかして、すごい誤解を……?
思えば、どうしてお姉様の言葉を私は鵜呑みにしていたのでしょうか。
いえ、でも、だって。
お姉様は優しくて、美しくて、魅力的で。
私の憧れのひと、で……。
「だいたい、あんな醜態を見た以上、百年の恋だって冷めるだろう」
「醜態……」
「醜態だろう。みっともない」
「…………」
もはや、私は何も言えなくなってしまいました。
確かに──そう、だ、と。
彼の言う通りだな、と納得してしまったからです。
「アメリア。これを」
その時、彼に名を呼ばれて私は顔を上げました。
見れば、彼の手にはちいさな花のブーケが。
可愛らしい白の花です。
これは……。
「スノーボール……?」
「知っていた?そう。スノーボール。これを、あなたに」
「私に……ですか?」
受け取ると、花の甘い香りがしました。
確か、スノーボールの花言葉は──。
「スノーボールの花言葉は、誓い。今の俺にピッタリだと思った」
リアム殿下は俺と言いました。
そういえば、出会ってすぐの頃は、彼は自分のことをそう呼んでいたような気がします。
彼は、私の前で跪いて、私に手を差し伸べました。
感情が追いつかなくて、整理がつかなくて、私はひたすら呆然とするばかりでした。
「生涯、あなただけだと誓おう。だからあなたも、私を信じて欲しい」
「信じて……」
「この手を取ってくれないか?」
「…………」
「アメリア。どうか、昔のように笑ってくれないか」
「昔の」
彼の言葉をひたすら繰り返す私は、ぽつりと呟きました。
「お姉様は……嘘を、ついていたのですね」
すごく今更だし、今言うことではないと思います。
それでも、今、私はそれを初めて知ったかのように、ようやく。
それを受け入れることが出来たのです。
すべてが完璧で、美しくて、正しい……ように見えていたお姉様。
それが、すべて紛い物で、偽りだった、と。
ようやく、理解したような気がするのです。
いや、あの一連の流れを見ていて知っていました。それでもどこかで、私はお姉様を信じていた。
ほんとうに。……ほんとうに。
「……どうしようもないです、ね」
お姉様も、それに気付けなかった、私にも。
ため息を吐くと、リアム殿下が私に言いました。
「返答を」
「あ……」
彼を信じたい、その気持ちはあります。
だって、彼が誠実なひとであることは誰より私が知っています。
民のため、国のため、難しい研究に乗り出し、それを何年も彼は継続しているのです。アーロン様に軽い方でないのは、私も知っています。
でも。
「私で……いいのでしょうか?」
ご存知の通り、私はひとを見る目がありませんし。
お姉様やアーロン様の本質を見抜けず、盲目的に慕ってしまいましたし。
だめだめすぎると思うのです。
躊躇う私に、彼が言いました。
「あなたがいい」
短い一言でしたが、それだけに、彼の本音であるように感じました。
私は──。
そっと、彼の手に自分の手を乗せました。
「……信じてみたい、です。信じさせて、くれますか?」
私は恐る恐る、リアム殿下に尋ねました。
ずるい言い方になってしまった自覚は、あります。
それでも、信じます、とは言いきれないのです。
リアム殿下は、幼い時に知り合って、お話して、彼のことは……多少、知っているつもりです。ですが、信じ切れるか、と問われると、それは甚だ疑問なのもまた、事実でした。
私の質問に、リアム殿下が微笑みました。
「もちろん。全力かけて、努めると約束する」
「ありがとうございます」
裏切られたくはない。
ひとを信じるのは、怖い。
疑心暗鬼になってしまうもの。
それでも、ひとを信じることが出来なくなってしまうのは、寂しいし、悲しいことだと……思うのです。
「これは……お義母様の受け売りなのですが」
私は、隣を歩くリアム殿下に言いました。
「ひとを信じるということは、とても勇気のいることなのだそうです」
「義母上……サラサ夫人か」
「はい。お義母様は、元は私の本当のお母様のメイドをしていた方なのです。……恋は、ないのだそうです」
「へえ」
リアム殿下は静かに相槌を打ちました。
「恋はないけれど、友愛はあると……以前、お義母様は仰っていました。ですが私は……ふたりが恋仲になっても素敵だと、思うのですけど」
「そればかりは。当人同士の問題だからね」
「そうですね。お義母様も、お父様も、私の本当のお母様が大好きなのですって。同士みたいなものだと、おふたりから聞いています。そういった形もあるのかと驚きました」
「あなたが曲がらずに育ったのは、サラサ夫人のおかげかな」
尋ねられて、私は微笑みました。
「そうだったらいいな、と思います。今回の件で思い知りました。私はきっと、すごく箱入りの娘なのでしょう。甘やかされて育ったのだと自覚しました」
それに、リアム殿下は答えない。
上辺の慰めを口にしないリアム殿下の気遣いが、とても有難いと思いました。
「だから、ひとを見る目をまずは見極めます。……頑張ります!」
「今後、あなたには俺がついているのだから気にしなくても構わないと思うよ?」
「いいえ。それでは変わりません。ひとまずは、殿下のおそばに仕えて、外の世界を知ろうと思います」
「相変わらずアメリアは面白い言い回しをするね」
「そうでしょうか?」
「ああ。一緒にいて全く飽きることがない」
リアム殿下が静かに微笑んで、私は妙にソワソワしてしまいました。
飽きることがない?
意図は掴めませんが……ですが、飽きると言われるよりはずっといいはず。




