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村山くんは今頃何をしているのだろう。

 

 それから何年もが経った。僕は自分の生き方に苦しんでいた。不自然なところの無い、自分で得心のいく生活は、簡単には手に入らなかった。長い我慢が要ることは理解していた。だが僕には、その我慢ができそうになかった。今すぐにでも芸術を掴み取ろうと、僕は急いだ。

 その午後も、僕ははやる心に突き動かされて、闇雲に散歩に出た。初めはいつも通り公園を一周しようかと思った。湖の畔を巡る、気分のいい公園だった。普段ならそれでもう気が紛れるのに、この日は歩くごとに余計に焦った。芸術、芸術、と思いつめているうち、僕はふと村山を思い出した。その時の僕はもう、村山のけち臭い性格などまるで気にならなかった。ただ、彼のもたらす新しい世界が、今になって、僕の芸術を開拓してくれるように感じた。湖を半周した僕は、さらに数万歩を費やすのも難儀せず、迷いなく行き先を変えた。

 辿り着くまで、僕は深く考え事をした。村山は世間体の上で駄目な男でも、生命としては高貴だった。僕よりもよほど、真実に近い男だった。

 気がつくと潮の香りがした。本当に久方ぶりに行ってみると、僕の思っていた白土海岸と、実際の白土海岸とではだいぶ相違があった。まず海の深さが違う。海岸の浅瀬はどこまでも浅く、海の底に住まう生物が彷徨い出るようには思えない。母とタツノオトシゴを見つけたのは、ひょっとすると別の海だったのかもしれない。それに景色も記憶と違った。村山と釣りをして足を怪我した岩場は、実は砂浜から随分離れていたのか、どこにあるやら見つからない。来る度に漁った自動販売機ももう無くなっていた。その代わりに手洗いやゴミ箱は子ども向けに絵付けされて、目新しかった。海岸の入り口に老舗らしい洋食屋があるのは、子どもの頃は関心がなくて気がつかなかっただけだ。人っ子一人いない寂れた海岸だったはずが、浜辺を見れば、犬を散歩したり、テントを張って何人も炭火焼きを食ったりしていた。

 大海原は日光を反射して煌めき、美しかった。呆けたような気分でふらふらと波打ち際に寄っていくと、もう昔ほど海が怖くないことに気づいた。ふと足元を見ると、妙なものが落ちている。丸く平べったい石に、ヒトデの化石のような模様がある。もしや大発見かとぬか喜びして、しばらく記憶をたどるうち、どうもカシパンというウニらしいと気がついた。恐る恐る摘まんでひっくり返すと、真ん中に小さな穴が空いていた。この穴から食事をするのだろうか。排泄も同じ穴だろうか。生きているのか死んでいるのかも判らない。持って帰ろうかと思ったが、生きているなら申し訳ないと思って、もとの水溜まりに戻した。穴は下にして置いた。しゃがんだまま見回すと、引き潮に取り残された生き物は、他にもたくさんいるようだった。小さな貝殻がたくさん浮遊していると思ったら、あの時と同じ、小さなヤドカリが無数に動いているのだった。

 砂から黒い棒が突き出ているのは、下に貝が埋まっているのかもしれない。村山がこの貝の棒を見つけたら、どうしただろうか。躊躇なく手を突っ込んで、捕らえ、夢中に観察したかもしれない。それとも貝なんか放っておいて、もっと面白くて珍しい獲物を探し回っただろうか。僕は僕でない感性を用いて、海を眺めた。すると、何か自分の視野が広がるように感じた。僕の持つ印象より、砂は黄味が強かった。象牙のような色だと思った。打ち上げられて干からびた植物の骸が、波が寄せるのと同じ形に残り、砂浜に黒く波紋を描いていた。雲はただ白いばかりでなく、下の方が陰になって、立体の感があった。同じ向きに動くと思っていたヤドカリの中に、方向感覚の悪い奴が混じっているのにも気がついた。陸海空のあるがままが、僕の感性を繊細にしている気がした。

 村山は奇妙な生き物にも精通した男だった。図書室で危険生物の図鑑を借りては、満足げに広げていたのを、また思い出した。もしかすると、カシパンという怪生物を僕に教えたのも村山かもしれない。少年期に村山と関わったことよって、僕が自然界の不思議な動植物への興味を自覚したことだけは確かなように思う。村山のような芸術家が探究するものなら、自分も関心を持つことに、何らの後ろめたさもないと考えたのだ。

 潮が返ってきた。さっきカシパンを捨てた水溜まりは、もうどこだかわからない。同じテツは踏むまいと、僕は海に背を向けた。靴に砂が入らないように慎重に歩くと、砂地から朝顔のような形の花が無数に咲いているのに気がついた。蔓性らしく見えるのに、どうして地面から生えているのか、どうやってこの水捌けで生きていくのか、よくわからない植物だ。村山は、この植物のことを知っているだろうか。

 秋のはじめの細い風が吹いた。雲は見る見る流れ、その上の空を、傾きかけた日が薄黄色に色づけている。


村山くんはきっと小説を書いても上手いと思います。

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