美術館の噂
「幸せを運ぶ壺?」
執務室の隣にある応接室に通されたサリカは、エリナが入れてくれたお茶を飲みながら目を瞬かせた。
「壺というのは、陶器とかで作られた花瓶としても使われる、あの壺の事ですか?」
「ええ、それで間違いないはずです。先日、この王都にある美術館の館長が、私に相談したいことがあると言ってやって来たのですが、相談内容というのが『幸せを運ぶ壺』の件だったのです」
「幸せを運ぶって、壺に何を入れて運ぶのですか?」
壺なのだから、何かしら物を入れて運ぶことはできるだろう。だが、『幸せ』といわれても、漠然としすぎている。そもそも、壺に入れられるような物体であるかも不明だ。
「中に入れるのは、自分の願いを書いた手紙だそうです」
「手紙?」
「願いを書いた手紙を壺に入れると、その願いが叶う。そんな噂が流れているらしいのです」
それならば『幸せを運ぶ壺』ではなく、『願いを運ぶ壺』ではなかろうか。だが、そう名付けられた相応の理由はあるのだろうと、大人しく口を閉じておくことにする。
「壺の中に手紙が入っている事に職員が気付いたのが、今から半年程前。それ以降、少しずつ手紙の数が増え、今では三日放置すると壺から手紙が溢れるそうです」
「そりゃ凄い……」
壺いっぱいの手紙を想像し、サリカは顔をしかめた。
手紙を投函していくのは、来場者しか考えられない。だが、来場目的が芸術作品の鑑賞ではなく手紙投函だとしたら、美術館側からすると些か微妙な心持ちだろう。
「手紙の処分という余計な仕事が増えて、職員の方々も大変ですねえ」
勝手に壺に入れられた手紙だ。燃やそうと埋めよと、文句を言われる筋合いはない。そうだとしても、他人の手紙を処分するというのは、気持ちの良いものではないだろう。
「館長の悩みも、手紙の処分に関する事でした」
「処分するにあたり、何かあったのですか?」
わざわざ大神殿まで相談に来るのだ。投函者から文句を言われたなど、ごく普通の悩みではない事ぐらいは、事情を知らないサリカでも分かる。
「手紙を処分をした職員の体調が、必ず悪くなるらしいのです。一晩ゆっくり休めば回復するそうですが、それでも皆、壺の傍には寄りたがらなくなったと、館長が嘆いていました」
「そりゃそうですよねえ」
「手紙を放置するわけにはいかないし、手紙の処理だけのために人を雇うわけにもいかない。一晩寝れば治るからと、今は館長自らが処分しているようです」
「色々大変ですねえ」
「王立美術館ですからね。職員と揉めた末、回り回って変な噂が国王陛下の耳に入るのだけは、何としても避けたいのでしょう」
色々な事情があるのは分かる。だが、各国のお偉い方々の事情を考えつつ行動するのは、サリカには到底無理である。
神殿長として役目を果たしているソニヤを思い出し、改めて感服するものの、自分には自分の出来る事をやるしかない。
「何だか分からない手紙が山積みなら、瘴気が立ち込めている可能性はないのですか?」
人が集まる場所には、負の念が溜まりやすい。そこから瘴気が生じる事はよくあることだ。手紙にどんな願いが書かれているかは知らないが、書いた人物の欲の念が手紙から染み出していてもおかしくはない。
「私も最初はそう思いました」
「という事は、違ったのですね」
困ったような表情を浮かべるエリナを見ながら、やはりという思いが湧き上がってくる。
どんなに酷い瘴気であっても、場の調整が上手い『操り手』が二人もいれば対処は可能だ。わざわざサリカを呼び出して、話を聞かせる必要はない。
「確かに瘴気はありました。ですが、大した量ではなく、場の調整も難なくすぐに終了しました」
「でも、状況が改善しなかったと……」
「ええ。瘴気は消失しているにもかかわらず、手紙を処分した後の体調不良は相変わらずだそうです」
「ならば、原因は瘴気以外ですね」
「そういう事になります。しかも、現場に赴いた神官達の話によると、その場にいると何とも言えない嫌な気持ちになるらしいのです」
「体調は?」
「胸の奥がザワザワとするような嫌な気分になるだけで、体に支障をきたすことは無かったようです」
自分が界壁の穴の傍に行った時の感覚を思い出し、サリカは心の中で大きな溜息をついた。全く同じではないものの、似ている気がする。
「分かりました。とりあえず、現場に行って状況を確認してきます」
「そうしてもらえると助かります」
エリナが深々と頭を下げるのを見て、サリカは一瞬目を見張った。
現在の立場がどうであれ、子供の頃から幾度となく説経されていた相手である。自分が頭を下げるならまだしも、頭を下げられるのは非常に落ち着かない。
だが、ここで動揺すると、そのまま説教コースに突入するだろう。
「……最善を尽くします」
サリカはヴァルマに教え込まれた微笑を浮かべ、冷めかけたお茶を口にした。
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ガラガラという音と共に、獣車の振動が体に伝わってくるのを感じる。三十年ぶりの懐かしい感覚に、サリカの口から小さな溜息がもれた。
外を見ようと窓に掛けられたカーテンに掴まっているカミルは、獣車の動きに合わせてゆらゆら揺れている。
神殿長用の箱獣車だ。座り心地も素晴らしいが、カーテンも豪華である。
「サリカ様、ご気分は大丈夫ですか?」
向かいに座る護衛騎士のヨハンナが、心配そうに声をかけてきた。
ちょうど今日が美術館の休館日だったため、急遽現場に向かう事になったサリカの体調を心配しているようだ。
「ありがとう、大丈夫だよ」
クラネオスに初めてきたサリカは、地理に疎いだけでなく、クラネオス独自の習慣も分からない。そのため、エリナの護衛騎士であるヨハンナが、護衛と案内を兼ねて同行してくれる運びとなった。
執務室でサリカ達の会話を聞いているので経緯を説明する必要もなく、人選としてはこれ以上ない程完璧だ。ヨハンナも快く了解してくれたのだが、問題はカミルである。
サリカの護衛は自分だから他の護衛は必要ない、そう言い張ったのだ。
そんなカミルの言い分が、エリナに通用するはずがない。笑顔でこんこんと説教され、容赦ない言葉の嵐に涙目になりながら、ヨハンナが護衛として同行するのを納得させられていた。
だが、護衛としての心得をヨハンナから学ぶよう厳命された事で、カミルは俄然やる気になった。執務室から獣車に乗るまで、真剣な様子でヨハンナの指示に従っている。
おそらく今も、カーテンにぶら下がったまま外の様子を確認しているのだろう。
「エリナ様も仰ってましたが、あまりご無理はなさいませんよう。何かありましたら、すぐに仰って下さい」
「分かった。何かあったら、すぐに君に伝えるよ」
サリカの言葉に、ヨハンナの口元にほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
目の前で揺れる銀色の髪が、かつて自分の傍にいてくれた心配性の護衛騎士を思い起こさせ、懐かしいような淋しいような気持ちが湧いてくる。
(感傷的になってる場合じゃないな)
これから向かう美術館で、何が待ち受けているのか分からないのだ。
サリカは目を閉じると、静かに息を吐き出し気持ちを切り替えた。
「これから向かう美術館だけど、君は行ったことがある?」
「はい。十年ぐらい前に一度だけ行ったことがあります」
「へえ、どんな所だった?」
サリカの問いかけに、ヨハンナが眉根を寄せて困ったような表情を浮かべた。
「え、どうかした?」
「いえ、どう説明したら良いものかと」
「どういう事?」
「王立美術館は、クラネオスにおいて芸術の庇護者と名高い、今から三代前の公爵家当主が設立したものです。国内の芸術作品を中心に展示されており……と、美術館で購入できる小冊子の情報なら覚えているのですが」
「なるほど。鑑賞した時の印象は覚えてないのか」
「すみません。芸術作品を鑑賞するより、体を動かしている方が好きなもので……」
恥じ入るかのように身を縮めたヨハンナの姿に、サリカはプッと小さく吹き出した。
おそらく誰かに連れて行かれたのだろうが、興味のない美術館の中を巡るのは苦行だったに違いない。
「大丈夫だよ。芸術作品の鑑賞に行くわけではないからね。私も美術館には縁がないのだけど、普段から混み合っている場所なのかな?」
「私が行った時には、入館者はごく僅かだった気がします。一緒に行った友人の話では、特別な企画がある時以外は、人の少ない静かな場所だそうです」
「それなら、こっそり壺の中に手紙を入れるなんて、造作もないね」
「ええ。そう思います」
界壁の穴が原因であれば、サリカ一人で対処可能かもしれない。だが、原因が穴以外だった場合、変な噂のある壺を見て帰るだけという、特殊な芸術鑑賞になる可能性もある。
(穴がある気がするんだよねえ)
何の確証もなく、そう思う理由も分からない。だが、エリナの話を聞いている時から、街道脇で見た細長いのっぺりとした穴の様子が、幾度も頭に浮かんでくるのだ。
カデウスの時のような事は起きなくても、もし街のど真ん中に穴が開いているなら、早々に塞ぐ必要がある。
自分の感覚が当たってほしいような、外れてほしいような、そんな複雑な気持ちを抱えたまま、サリカは次々と流れ去る景色を眺めた。
『そろそろ到着します』
獣車内に設置された魔道具から、御者台にいる神殿騎士の声が聞こえてきた。
サリカは両目を閉じると、ゆっくりと大きく深呼吸をし、気持ちと身体を整えた。




