追い詰められるヴィンス、その末の算段
「宇宙……この装置が宇宙まで飛び立つのか?!」
さすがに宇宙にまで行くとは予想しておらず、どうやって大気圏を突破するのか疑問に思うより先にヴィンスは驚いた。
色々尋ねたいことがある中で、ヴィンスは一つずつ尋ねていく。
「どうして宇宙に出ないといけないんだ?」
『地球を覆う規模でオゾンシールドを張るのは地上では不可能だ。この木がオゾンシールドの中心になって地球を回り続けなければいけない』
「装置はわかるとしても、どうして大木まで一緒に飛ばないといけないんだ? あの木はいったいどういう木なんだ?」
『ワープゲート事故から生き残り、その何らかの影響で呼吸の必要がなくなった植物だ。オゾンシールドはあの木の酸素がエネルギー源になるので一緒に宇宙へ飛ばさないといけないんだ』
「装置に取り込まれたらそいつはどうなるんだ?」
『装置のコアとして厳重に守られて、オゾンシールドを解くか寿命が尽きるまで使命を果たしてもらうことになっている。その間は麻酔であの場所に眠ったままだ』
博士が指差すと装置の内部が開いて、一台の椅子が現れる。
手術台を思い出させるようなその椅子の周囲は個室ほどの広さしかなく、麻酔で眠らされるとしても人間が暮らすには狭すぎる。
機械に取り込まれると同時に人権まで失われるかのような酷い場所だった。
ところがヴィンスが注目したのは別のことだった。
「その麻酔ガスをここで使うことはできるか?」
麻酔ガスを何に使おうというのか、ヴィンスはディートリヒ博士にそう尋ねた。
「使うことはできるが」と博士は答えるが、用途まではまだ博士に予想が付かない。
「オゾンシールドの犠牲は俺だけじゃなくて、フンベルクでもいいんだろう? ちょっと酷な気もするが、セリカの仇でもあるんだ。逆恨みして追ってきたことを後悔させてやるぜ」
装置の起動に必要なのは特殊なオキシゲンナーを持っている者の体だった。
それならばヴィンスだけじゃなくてフンベルクでも務まることになる。
ここまで執拗に襲撃されたこと、セリカを失なわされたことなど、ヴィンスにもフンベルクを憎む出来事は多々あるのだ。
フンベルクの足音が再び近付き、問答する余裕もなくなってきた。
しかしヴィンスは逃げずに戦う決意をし、博士に打ち上げの準備を済ませておくように言う。
まだ不利な状況にあるというのにフンベルクの前に姿を現した。
「なんだ? もう逃げるのはいいのか?」
フンベルクが尋ねるがヴィンスは黙っている。
二人の距離は20メートル。
近付くには遠く空気弾を連射できる方が有利な距離を保ちながらフンベルクは更に続ける。
「俺の酸素玉が底を尽きるタイミングで畳み掛ける算段なら甘いぞ。交換は既に済ませた」
ヴィンスは黙ったまま前を見詰める。
白い肌が赤く爛れ、残った片目も白く濁っているフンベルクは、余裕そうな表情で不気味な笑みを浮かべている。
「酸素玉の数がフェアじゃないとでも言いたいのか? それならこれをやるよ」
フンベルクはオキシゲンスフィアを取り出してヴィンスの方へ放る。
放り投げられた酸素玉は甲高い音と共に軽く跳ねるとヴィンスの足元に転がる。
しかしそれは使用済みのもので、酸素がほとんど入っていないものだった。
「お前にはそれがお似合いだ。俺は満タンの酸素玉を使わせてもらうぜ」
二、三個のオキシゲンスフィアが入ったポーチを見せながらフンベルクは冗談混じりのからかった言葉を言う。
その戯言を真面目な表情で聞き流しながらヴィンスは冷静に返答した。
「そんなことより早く決着をつけたらどうだ? じわじわと嬲り殺しにして苦しむ姿を楽しむのもいいかもしれないが、殺せる時に殺すのが無難だぜ」
「ふん、言うじゃないか。だが、どっちみちお前が俺に殺されるのは変わらねえんだよ」
フンベルクが手の拳銃を構える。
ヴィンスも眉間に皺を寄せて睨み、攻撃に備える。
二人共黙ったまま対峙し、しばらく緊張の時間が流れた。
先に動きを見せたのはヴィンスだった。
空気で光を屈折させて透明化する技術を使い、身を隠す。
フンベルクとは違って空気弾を連射する訳にいかないヴィンスは、どうにかして不利な距離を縮めたかった。
しかしその力は空気を大きく消費してしまう。
これまで酸素を節約しながら戦ってきたヴィンスがどうしてこのタイミングで透明化を選択したのか定かではない。
空気弾で銃撃戦をしていた方がまだ酸素の消費は少ないのだ。
「姿を眩ましても空気の流れで探れると言っただろう。光を屈折させても俺には通用しないぞ」
どこから襲ってきても迎え撃てる自信のあるフンベルクはナイフを取り出して構える。
すぐに接近してくると予想していたフンベルクは周囲だけ注意を向けていたがヴィンスはしばらく攻撃に来ない。
何をしているかと考えていると、ヴィンスは予想外にも真上から姿を現した。
装置の上からジャンプしてサバイバルナイフを突き立ててきたのだ。
フンベルクはそれを躱し、ヴィンスは離されないように斬撃で畳み掛ける。
撃たれた左肩を庇いながら右腕だけの攻撃だったが、ヴィンスは圧していた。
このまま押し切れるのではないかと思うヴィンスだったが、覆されたのはその刹那のことだった。
突然、フンベルクの周囲から風が吹いてヴィンスの足が宙に浮いた。
風が激しい音を立て、嵐よりも凄まじい圧力にナイフを飛ばされ、体自体もフンベルクから吹き飛ばされてしまった。
フンベルクを倒すチャンスをようやく作ったというのに全く無為になってしまったのである。
風で十メートルほど飛ばされるもヴィンスは何とか体勢を保って着地する。
それから冷静になってようやくフンベルクが空気で距離を取ってきたことを理解し、奥歯を噛み締めた。
「俺に接近しても無駄だということがわかっただろう。酸素量で有利なら接近戦に持ち込まれても風で追い返せるのさ」
最早ヴィンスもフンベルクと同じように酸素を使わなければ対等に戦えなかった。
「諦めて殺されろ。恨むなら俺の片目と女を奪った自分を恨むんだな」
酸素を使わなければいつか致命傷を負ってしまうかもしれないし、酸素バトルを続けてもやがてこちらが不利になる。
何も打つ手はなく諦めるしかないのかとヴィンスは挫けかけたが、一つだけフンベルクの不意を突く策があることを思い付いた。
ヴィンスを追ってやってきたフンベルクだったが、ここがどういう施設なのか全くわからず、ただの遺跡か何かだとしか推測していないのだ。
その場所が大きく動き始めたら気を取られて一瞬の隙ができるはず。
ヴィンスは肩を押さえながら戦いの詰め方を推し量っていた。だとすれば次の手はただ一つ。
「ディートリヒ博士、打ち上げを始めてくれ。フンベルクは後でオゾンシールドの犠牲になってもらう」
『わかったヴィンス。今すぐ発射シーケンスを始動する』
装置に向かって伝えると、声だけで博士が返答した。
そして装置が何やら駆動し始める。
電気モーターが回転を上げていく音が響き始め、格納されていた機関部が稼動を始める。
無機質な声のアナウンスも鳴り響き、打ち上げのカウントダウンまで始まった。
「何だ……何をしたんだヴィンス?!」
驚いたフンベルクだったがヴィンスから目線は外れなかった。
しかし施設の地響きはその慎重さも揺らがせて、ヴィンスから注意を逸らしてしまうのも時間の問題だった。
そしてフンベルクが周囲に気を取られた瞬間、ヴィンスは酸素を使って地面を強く踏み込む。
足から旋風が生じるほどに強力な瞬発力を得て距離を詰める。
数日前、トラックから飛行機に飛び移った時のように1秒にも満たない早さでフンベルクに接近戦を強いた。
それどころかまともな反撃も許さずフンベルクの懐に潜り込む。
腕で防御する余裕も与えず、その勢いのまま胴体に両足を叩き込んだ。
ヴィンスの蹴りによって吹き飛ばされてフンベルクは部屋の壁にぶつかる。
どうやら咄嗟に空気で攻撃を押し返そうとしたので、致命傷だけは避けたらしいが衝撃は臓器にまで伝わっていた。
更に背中を強打したことで酸素玉にひびが入って中の酸素が音を立てて漏れ始めた。
まだ酸素量は残っていたものの、こうなってしまえばあと数十秒のうちにオキシゲンスフィアを交換しなくては窒息してしまう。
『亀裂発生! 亀裂発生! 至急オキシゲンスフィアを交換してください!』
フンベルクのオキシゲンナーが慌しく警告を始める。
ところがポーチに入れていた酸素玉を先程の衝撃で落としてしまったらしく、そのうちの一つと思われるものをなんとヴィンスが持っている。
「これがないとお前はもう生きていけない。苦しい戦いだったが俺の勝ちだな」
ヴィンスを苦しむ姿を楽しみながら嬲り殺そうとしていたフンベルクにとってその言葉は怒りを煽る。
募らせていた憎しみを再び爆発させるのには十分な言葉だった。
フンベルクは怒りに任せてヴィンスに飛び掛かって拳をがむしゃらに放った。
ヴィンスは何度か躱すも、頬にパンチをもらってしまい、持っていた酸素玉を落としてしまった。
それにフンベルクが飛び付き、すぐに交換に入る。
ジャケットを脱いで裸になるとオキシゲンナーを開いて酸素玉を取り換えた。
「ふ……ふはははは……勝ったと思って油断したなヴィンス。あともう少しで俺を窒息させられたのにな」
オキシゲンスフィアのストックはまだ見付からないがまだヴィンスと対等に戦える。
危ないところだったがチャンスならまだ残っているのだからこれからは全力で殺しにかかればいい。
フンベルクはそう考えて構えたつもり……だった。
途端に目の前の視界が揺らぎ始め、体から力が抜け始める。
腕に力が入らず、足もふらふらと踊って体が崩れ落ちそうになり始める。
まさか――と思って、殴り飛ばしたヴィンスを見る。
その直感は当たっていて、意識が朦朧としてきているのはヴィンスの仕業だったのである。
「お前が奪った酸素玉はさっきお前が捨てて寄越したものだ。それを拾って麻酔ガスを仕込んでおいたんだ」
いつの間にそんなことをしてたのかとフンベルクは疑問だったが、すぐに透明化していた時だと気が付いた。
ヴィンスは攻撃するためでなく酸素玉に麻酔ガスを仕込むために姿を眩ませていたのである。
「俺の勝ちだフンベルク。酸素玉に亀裂が入ってストックも奪われた時点で負けなんだよ」
勝利を確信したヴィンスだったがその表情は険しいものだった。
これまで散々追い掛け回されて死線をさまよい、今は肩も撃たれて憎しみが募っているが、ヴィンスにしてはようやく責任を果たせてよかったという感覚だった。
肩の感覚や失った者の痛みがヴィンスの心に圧し掛かっていたのだ。
捨て台詞を述べるヴィンスにフンベルクの怒りはピークに達する。
意識が薄れ行き、倒れそうになりながらも鬼の形相を浮かべながらヴィンスを攻撃しようと近付いてくる。
ヴィンスの足元に弱々しい拳をぶつけようとしたが、そこで意識は途切れてフンベルクは崩れ落ちる。
その様子をヴィンスは冷たい双眸で見ていた。
ここに来るまでに失った一人の女のことを目蓋の裏に見ながら、発射シーケンスのカウントダウンがゼロに近付くのを聞いていた。




