第6話 目覚めたあとで
リゼットが目を覚ましたのは、四日目の朝だった。
白い天蓋の下で、二度、瞼が震えた。
「おはようございます、殿下」
青い目がゆっくりと動き、彼を探し当てる。
カイルは寝台脇の椅子に座ったまま待った。
やがて、リゼットは安心したように笑った。
「おはようございます、カイル」
「朝で合っています。睡眠は八十九時間と四半刻。呼吸と体温に異常なし。先ほど侍医を呼びました。起き上がる前に、まずは水を」
差し出した杯を、リゼットは素直に受け取った。
「あなたは眠りましたか?」
「傷の処置で眠らされました」
「どなたに?」
「侍医とラウルに」
「良い判断です」
リゼットは頷いた。
あの日、眠りの術が解けた直後に、カイルは寝台へと縛りつけられた。
そう言うと、リゼットはくすくすと笑った。
「あとで褒美を用意しましょう」
城内に味方を増やされた。カイルは眉を寄せる。
「私のことより、殿下です。どこか痛むところは。息苦しさはありませんか。手の紋様は消えたようですが。それから以前にも術を使ったことが?」
「一度に尋ねられても答えられません」
リゼットは水をさらに二口飲んだ。カイルが数えていることも、もう承知しているらしい。
「少し身体が重いだけです。手に違和感もありませんし、あれほど広げたのは初めてです」
「あれほど?」
「小さな範囲なら、何度か」
「正確には?」
「侍女を一人、十分ほど眠らせたり。庭の小鳥にお昼寝させたり」
カイルはますます眉を寄せた。
「聞いておりません」
「言っておりませんから」
「なぜ」
「言えば、あなたは本を取り上げ、禁書庫の扉に近衛を二十人並べたでしょう」
否定はできなかった。だが二十ではなく、三十人にしただろう。
「侍医はご存じだったのですか」
「三年前から。周囲に危険がないよう、見ていただいていました」
「私だけが何も知らなかった」
思ったより低い声が出た。
リゼットは杯を置き、困ったように眉尻を下げた。
「怒りましたか?」
「怒っております」
「ごめんなさい」
「謝罪で済む問題ではありません。ご自分の身体で呪いを試すなど」
「他に方法がなくて」
「二度と、あのようなことはなさらないでください」
言うと、リゼットは少しむっとしたような顔でこちらを見上げた。
「では、あなたも二度と、一人で危ないところへ行かないでください」
「話をすり替えないでください」
「同じ話です」
「違います」
「同じです」
リゼットは静かに言い切った。
「カイル。あなたは、わたくしを守らなければならないと。あなただけが一方的に、わたくしを守れると思っているのでしょう」
「私は殿下の騎士です」
「では、わたくしはあなたの主君です。わたくしには、あなたという臣下を守る義務がある」
そんな理屈があるものか。
反論しようとしたが、彼女の方が先に続けた。
「わたくしが逃げれば、あなたは危険に留まる。止めても聞かない。それなら、わたくしも聞きません」
「殿下」
「二度とあの力を使うなと仰るなら、二度とわたくしを置いていかないと約束してください」
青い瞳はずっと穏やかだった。
だが、一歩も譲る気がないことを、カイルはよく知っていた。
「……危険な状況では、殿下の安全が最優先です」
「一緒に逃げればよいのです」
「それができない場合もあります」
「できるようにしてください。あなたは優秀な騎士でしょう?」
それは、随分な難題だった。
「最善を尽くします」
「約束を」
「…………置いていきません」
ようやくそう答えると、リゼットは満足そうに頷いた。
「では、わたくしも、むやみに城全体を眠らせたりはしません」
「その『むやみに』というのは外してください」
「必要に迫られることもあります」
「殿下」
「でも、あなたが約束を守れば必要にはなりません。違いますか?」
そう言ってリゼットは細い首を傾げた。
侍医が来るまでの間に、事件の顛末を伝えた。
術で眠った城内の者たちは、半日ほどで目を覚ました。火事による被害は一棟で済み、死者は出なかった。オルバンと一味は全員捕えられ、内通していた衛兵も明らかになった。
「皆が無事で、よかった」
リゼットはほっと息をついた。
「そういえばカイル」
リゼットの目が、カイルの左腕へと向けられる。
「傷は何針縫いましたか?」
「三針です」
「嘘ですね。それならあなたは左肘をもう少し深く曲げます。五針でしょう」
「……五針です」
「脇腹は?」
「浅い傷です」
「何針ですか?」
「殿下」
そう言ってみたが、リゼットは少しも引かなかった。
「何針ですか」
「……七針」
リゼットの笑みが完全に消えた。
「今後一週間、訓練は禁止です。夜警もなりません。食事は毎回、わたくしと取ってください。食べた量を確認します」
「最後の条件はなぜ必要なのです」
「あなたは怪我をすると、食事を極端に減らすでしょう。夜は痛みで眠れないことも知っています」
「それは、いつから」
「十二年前から」
カイルは黙った。
リゼットが手を伸ばす。頬の傷へ指先が触れた。
「痛みますか?」
「いいえ、今はそれほどでも」
「それは本当のようですね」
指先が傷のすぐ横を確かめるようになぞる。
「わたくしが眠っている間、ずっとそばに?」
「当然です」
「これからも?」
「生涯、御前にと申し上げました」
「ええ、覚えています」
リゼットは嬉しそうに目を細めた。
「あなたの仰ったことは、たとえ一言であっても忘れません」
カイルはしばらくの間、リゼットを見ていた。
――重症だな。
ふと、夜会でラウルに言われた言葉を思い出す。
あの時は、疑うことなく自分のことだと思っていた。
今は、少し自信がない。
「どうなさいました?」
リゼットが不思議そうに首を傾げる。
「いいえ」
カイルは答え、彼女の肩へ掛け布をかけ直した。
「まだお休みください。侍医が来るまで、目を閉じて」
「では、手を握っていてくださいますか」
「もちろんです」
差し出された手を取る。
リゼットは安心しきった顔で目を閉じた。
その細い指は眠りに落ちても、カイルの手を離さなかった。




