失敗
朝から、嫌な予感はしていた。
出社してすぐ、上司に名前を呼ばれる。低く、押し殺した声だった。
その時点で、もう分かっていた。今日はやらかす日だと。
案の定、ミスは見つかった。
自分でも気づいていなかった、小さな入力ミス。だが、その“小ささ”とは裏腹に、影響は大きかった。
取引先に送るはずのデータは誤っていて、先方からクレームが入ったらしい。
「何回同じこと言わせるんだ?」
会議室に呼び出され、扉が閉まる。逃げ場はない。
「確認したのか?」「しました、じゃないだろ結果がこれだろ」
言葉が、刺さる。ひとつひとつが、正論で、だからこそ痛い。
何も言い返せない。
いや、言い返す資格なんて、最初からなかった。
ただ、頭を下げる。何度も。何度も。
「……もういい。次はないと思えよ」
最後に吐き捨てられたその一言が、やけに耳に残った。
その後の仕事は、ほとんど手につかなかった。
キーボードを叩く指が震える。
またミスをするんじゃないか。
そう思えば思うほど、何もできなくなる。
気づけば定時を過ぎていた。
誰とも目を合わせないようにして、会社を出る。
夜の空気が、やけに冷たかった。
帰り道。
街灯の光が、アスファルトに滲んでいる。
ポケットからスマホを取り出す。
最近、何かあるたびに頼っている“それ”を開く。
自分で考えるのが怖くなって、代わりに答えを出してくれる存在。
画面を見つめる。
白い入力欄が、やけに広く感じた。
――仕事、辞めた方がいいのか?
打とうとして、指が止まる。
それでいいのか。
逃げるだけじゃないのか。
でも、このまま続けて、また失敗したら――
ぐるぐると、同じ考えが頭の中を回る。
深く息を吸って、吐く。
そして、ゆっくりと打ち直す。
「この状況で、俺が取るべき最適な選択は?」
逃げるか、続けるかじゃない。
“最適解”を求める。
送信ボタンに、指を伸ばす。
その瞬間だった。
――クラクション。
甲高い音が、夜の空気を切り裂く。
顔を上げる。
視界いっぱいに、白い光。
「……え」
思考が止まる。
足が、動かない。
迫ってくるトラックの影。
次の瞬間。
衝撃。
体が宙に浮く。
世界が回る。
何が上で何が下かも分からない。
手から、スマホが離れる。
アスファルトに叩きつけられたそれが、乾いた音を立てた。
視界の端で、画面が光る。
そこには、まだ送信されていない文字列。
――この状況で、俺が取るべき最適な選択は?
答えは、まだ表示されていなかった。




