1話
「なぜ誰も来ないんだぁぁぁあ」
旧校舎四階、校舎の角に追いやられた風紀委員会室に俺の声が虚しく響く。
それに対して返事はない。
当然だ。ここにいるのは俺一人だけなのだから。
中庭でゲリラ勧誘演説をぶちかましてから既に早いところ一ヶ月。
「打倒! 恋愛至上主義。爆破! リア充」という崇高にして気高き理念に共鳴し、共に手を取り、共に戦ってくれる同志が現れる。――そう信じていた。
しかし結果はどうだ。
ゼロ。
誰一人としていない。
それどころか廊下を歩けば「あの変な演説してたやばい人だよ」とヒソヒソと囁かれ、声をかけようものなら露骨に距離を取られる。
あのとき、演説に真剣な眼差しを向けてくれていたあの女子生徒。
鴨宮天音。
あれはどう考えても“何かが始まる目”だったはずだ。運命的な理解者、あるいは未来の同志。
……にもかかわらず彼女からの音沙汰は一切なし。
あれは完全に風紀委員会に入ってくれる雰囲気だったじゃないか。
くそっ……。
やはりこの湊北高校は未だに恋愛という洗脳から解けていない生徒が多すぎるということか。俺の理想とする世界への道のりは長く険しい。
そのとき。
ガン、ガラッ。
勢いよく扉が開く。誰かが飛び込むように入ってきた。
「せ〜んぱい♡ 今日もやっぱりここに居た〜。かわいい後輩が遊びに来ましたよ〜」
現れたのは小柄な女子生徒。
明るい茶髪をポニーテールにまとめ、制服は少し気崩気味。表情はキラキラと無駄に眩しい。
藤沢茉莉。
一年生の後輩だ。
「あのな藤沢、入る時はノックしてから入ってくれって何度も――」
「もー細かいこと気にしてるとモテないですよ♡」
悪びれる様子もなく、ウインクまで飛ばしてくる。
こいつは人の話を聞かない才能に関しては天才だ。
俺は呆れながら、諦めのため息を漏らす。
藤沢はからわざわざ俺の正面にある席を選んで腰を下ろす。
距離が近い。ふわっとした甘ったるい香りが漂う。
「あれ? もしかして照れちゃってます? まぁ私、可愛いですもんね。見惚れちゃっても仕方ないですよ」
「そんなことはない」
「またまた〜。小田原先輩って素直じゃないですよね〜」
したり顔でこちらを覗き込んでくる。
このあざとい後輩め。でも顔が実際に可愛いのが癪に触る。
さっきからずっとあいつのペースを握られっぱなしだ。
だが、されっぱなしの俺ではない。これでも男だ。
だから決意を決めた。
ここは男らしくこの後輩に今まで秘めてきた思いを伝えようと思う。
俺は覗き込んでくる後輩に正面から向き合う。
そして両肩を掴む。吐息さえ聞こえるそうなほど近い。
「え! せせせ先輩? 急に積極的ですね。どど、どうしたんですか?」
藤沢の華奢で小さな体がびくりと跳ねる。
さっきまでの余裕は一瞬で消え、明らかに動揺しているのが分かる。俺から目を逸らすように視線が泳いでいる。
「俺、ずっと…… お前に言いたいことがあったんだ」
「え、えっと、まだ……ここ、心の準備が…… 」
制服の長めの袖をギュッと握って耳の先まで赤くしている。
だが逃げるような素振りはない。俺の気持ちを聞く覚悟を決めてくれたようだ。
ならばこちらも応えねばならない。
「ここ最近ずっとこの気持ちを伝えたいと思っていた」
「はい…… 」
「言いたくて言いたくて、でもずっと言えなかった。でも先伸ばしにしていても何も解決しない。だから今、この場で伝えようと思う」
「はい…… 」
腹をくくる。
「俺はお前のことをしゅ…… 」
「しゅ…… ?私のことが」
「そうだ。お前のことがしゅ…… 」
「え、なんですか。……もしかしてしゅ…… き??」
「しゅくせい」
「……え?」
一瞬の沈黙。
「分からないのならもう一度言うぞ。粛清」
「……粛清?」
「そうだ。粛清だ。お前のことを粛清する」
藤沢の顔からは血の気が引き、表情は困惑に変わる。
「先輩、えーとっ…… それはどういう意味ですか?」
さっきまでの恋する乙女は、見る影もない。
「粛清された意味も理由も分からないと言うのならば、今ここで教えてやろう」
俺は服のブレザーの内ポケットに手を突っ込み、小型の電子機器を取り出した。
「なんですかこれ」
「これはボイスレコーダーだ。おおよそ一週間のここでの会話が記録されている」
一瞬、藤沢の目が見開く。
「もしかして声を録音するほど、私のことが大好きでたまらないってことですか」
「そんなわけあるか」
即答すると藤沢は明らかに不満そうな顔をした。
構わず俺は再生ボタンを押す。
「私は小田原先輩のそういうとこ、好きですよ」
「小田原先輩と付き合ったりとかデートとかしたら楽しそうですね」
藤沢のここ一週間の甘ったるくて腐り落ちそうな声が流れる。
「ちょ、ちょっと! こんなところでいきなり流すなんて恥ずかしいじゃないですか〜。もう先輩のい・け・ず」
わざとらしい言い方に心底イラッとしたが俺は構わず続ける。
「この一週間の自らの言動を振り返れ」
「何か問題がありましたか?」
藤沢は不思議そうに首を傾げる。
「大問題だ。風紀委員会内規の第二条、『恋愛を想起させる言動の禁止』に抵触することは明白。重大な規則違反だ。よって――」
俺は淡々と告げる。
「粛清」
「粛清だなんて……あんまりですよ」
「処分は現時刻を持って出禁」
「……出禁?」
固まった藤沢の肩を掴み、そのままその場で回れ右。
「はい、出口はあっちだ」
有無を言わせずに廊下に押しやって追い出す。
そして扉の鍵を閉めて完全閉鎖。
「ふぅ……」
一仕事終えた俺は額の汗を拭った。
「これで風紀を乱す者は消えた」
直後。
扉をバンッバンッと強打する音が聞こえる。
「ちょっと待ってくださいよ」
外から必死に叫ぶ藤沢の声が聞こえる。
「よーく考えてください。もう一度考え直してください」
「何がだ、藤沢。お前は処分は考え直しても出禁だ」
「処分内容じゃないですよ。話を聞いてください」
必死に嘆く藤沢。
……ふむ。
無慈悲に冷徹に粛清したが、これでもこいつは一応風紀委員のメンバーなんだよな……。スパイだけど。
少しくらいなら話を聞いてもいいかもしれない。
俺にだって情が湧く。ほんの少しだけだけど。
「分かった。話を聞こう」
鍵を開けて、扉を開く。
そこには涙目になって肩を上下させる藤沢がいた。
「まず考え直して欲しいのは今の状況です」
「今の状況?」
「考えてみてくださいよ。放課後、旧校舎、可愛い女の子と二人きり。全国の男子高校生の誰もが妄想するシチュエーションじゃないですか」
「……考えによってはそうだな」
「ですよね!? そこから告白っぽい展開になって恋人みたいな関係になる。……これって完全にラブコメが始まる展開でしたよね。甘酸っぱい青春がスタートしてもおかしくなかったはずです」
「そうかもしれないな」
「だから小田原先輩が言うべき言葉は『粛清』じゃないんです。もう一度、その答えを聞かせてください」
「粛清」
「即答!」
「そして出禁」
「いや、なんでそうなるんですか」
藤沢は頭を抱えた。
「まぁ藤沢の言い分も理解できる。並みの男子高校生ならその場の雰囲気に流され、ラブコメルートに突入していた可能性は高い」
「そうですよ。じゃあ始めちゃいましょうよ。ラブコメ!」
「『もしかして俺のこと好きなのかも』と勘違いして『ここで告白したら、彼女が出来るかも』と舞いあがる」
「そう! それです」
「――だが! 残念ながらそうはならない」
きっぱりと切り捨てる。
「藤沢には一つだけ致命的な誤算がある」
「……なんですか?」
「その男子生徒が俺だからだ。俺をどこの誰だと思っている」
藤沢は言葉を詰まらせ、絞り出すように答える。
「……風紀委員会の小田原先輩です」
「そう! そこだ! そこの目論みが甘い」
俺は胸を張った。
「俺がそんな安易なシチュエーションに流されて恋愛に陥落されると思ったか?」
「……もしかしたらとは思いましたけど」
「残念だったな。俺は恋愛至上主義のラブコメに屈しない。風紀を守る者だからな。」
後輩に対して容赦ない勝利宣言をかます。藤沢は呆然と立ち尽くしていた。




