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45 求めていたこと


 瞼を閉じる前に見たフェリクスの勇敢な微笑みが瞳に焼き付いて離れなかった。


 集中力が切れぬよう、ダリアニは石に術力を溜め込んで脳裏にまじないを巡らせる。真っ暗なはずの視界が煌々とした真白の光に包まれて眩しかった。ぼわぼわと体温が上がり、石を握る指先が炎に投げ入れた鉄のように熱くなっていく。

 ぱちん、ぱちんとダリアニの顔の周りで光が弾けていく音が絶え間なく響いた。その音が激しくなっていくとともに触れていると苦痛を覚えるほどに石は熱を帯び続けていく。

 もはや指の感覚はなく、石と一体化していた。どろどろとした液体となって溶けていく石は地面に落ちる前に気化してしまう。

 徐々に欠けてゆく石はそのうちに完全に気体となって消え去った。


 指先に何もなくなったのを察したダリアニがゆっくりと瞼を開ける。すると、フクロウがいたはずの場所にピンクブラウンの長い髪が広がっていた。

 豊かな髪の上に横たわるのはダリアニよりも若干背の高い女だった。彼女の裂けた袖から覗く腕には傷痕が残る。が、治癒のおかげか大事には至っていない。土で汚れた頬には傷一つなく、瞼を閉じてはいるものの顔色は良好だ。

 初めて見る彼女の姿にダリアニの瞳孔が僅かに開く。と、健やかに眠る彼女の傍らにちょっこりとした動きをする小さな影が見えた。


「きゅう」


 ダリアニと目が合ったシマリスは、彼に向かって丁寧に頭を下げてから一鳴きする。ありがとう、と言っているようにも聞こえた。


「──ああ……なんてことを……」


 シマリスを見るなりダリアニは自らの手をシマリスの頭上にかざして嘆く。ダリアニの手のひらが温かなオレンジの光を放つと、シマリスの耳がピン、と立った。


「君はほんとうに、これでよかったんだね……?」

「当たり前だ。ダリアニ、君の力は本当に凄い。知ってはいたが……いや、本当のところ、俺も君の真の姿など知らなかったのだろうな」

「そうやって……我のことなんてどうでもいいの。フェリクス、彼女の呪いを引き受けた君はもう永遠にシマリスの姿でいることになるんだよ。彼女を助けるためだってのは分かるけど──やっぱり、なんだか寂しいよ」

「何を言う。ダリアニはこのふわふわが好きなんだろ。存分に楽しめばいい」

「──まったく」


 地面に座り込んだまま肩を落としたダリアニは半ば呆れた様子で息を吐く。しかしシマリスを見つめるその眼差しはどこか誇らしげだった。シマリスがダリアニの手に小さな手を重ねて慰めるような仕草をすると、ダリアニの背後で衣が擦れる音がした。


「────んん……う」

「サディア──?」


 微かなその音に素早く反応したフェリクスはダリアニの腕を駆け上る。肩まで登ったシマリスが眼下に見えるサディアを覗き込めば、彼女がゆっくりと瞼を開けた。


「フェリクス様──? 一体、何が……」

「無理に起きなくてもいい。グラハムはもういない。もう逃げることも隠れることもない」

「グラハムが……?」


 フェリクスの声を頼りに徐々に意識を取り戻していくサディアは気絶する前のことを思い出そうと頭を巡らせる──と。


「フェリクス様──⁉ え? どうして……あれ……?」


 上半身を起こしたサディアは夜空に浮かぶ満月と自らの手を交互に見た後でシマリスに目を向ける。驚きを隠せない彼女の瞳は、自らが見ている光景が信じられないといった具合に大きく丸まっていく。


「まだ夜は完全に明けていないはず──それなのに、どうして、フェリクス様──?」

「端的に言うと、君の呪いを解く代わりにフェリクスは君の呪いを受け取った。要は、これが新しいフェリクスってところ」

「えっ……?」

「言っておくけど、我も精一杯やったからね」


 困惑するサディアに結論を伝えたダリアニはシマリスを手のひらに乗せて彼女の前に彼を運ぶ。


「フェリクス様、どういうことですか。私の呪いを受け取ったって……そんな」

「君の呪いを解くにはそうするほかない。君を拘束するものはもうなにもなくなった。それもこれもダリアニのおかげだが」


 一人と一匹に遠慮してか少し距離を取った場所に移動したダリアニを見やりフェリクスは柔らかに笑った。逃がしたはずの蜘蛛が戻り、ちょうどダリアニが手に乗せているところだった。


「それじゃ……フェリクス様は、もうずっと、その姿に……? 皇帝はどうなるのですか」


 混乱のままに言葉を詰まらせながらサディアはどうにか声を発する。まだはっきりと事態を飲み込めてはいないらしい。異常なまでに高鳴る鼓動を拳で押さえ、パニックになりそうな心を抑えているようだ。


「俺がいなくてもミンカがいる。多少癖に懸念はあるが──政の才は見事だ」

「でも……どうして──? どうして、フェリクス様がそこまでして私の呪いを……私の過ちなのに。フェリクス様も私と同じ立場だったはずです。だから、きっと私に同情してくれたのですよね。その分、苦しみも知っているはず……なのに。私が──もっと冷静であれば、グラハムとの約束を破ることもなかった。そうすればフェリクス様を巻き込まずに済んだ。私のせいなのに。それなのにフェリクス様を──」

「サディア、それは違う」


 気を失っている間に起きた出来事を受け止めきれず、感情が昂るサディアの息が荒くなると、フェリクスがすかさず首を横に振った。血の気が引いたサディアの顔を見上げ、フェリクスは静かな声で言い切る。


「君と俺は同じ立場なんかじゃない。俺は自らでダリアニと契約したのだから。だが君は違うだろう。君には魔術師の力など必要ない。君は賢く、強い人だ。君は本来であれば魔術師に頼ることなどなかったはず。ほら、まったく違うだろ。君は呪いを受ける人じゃない」

「フェリクス様──」

「混乱させたことを謝ろう──泣かないで、サディア。君を泣かせるのは辛い。君が責任を感じる必要はないのだから」


 サディアがシマリスを両手に乗せると、彼は困ったような笑みを見せた。愛くるしい表情に胸が痛み、サディアはシマリスを両手で抱きしめて顔に近づける。近くで見れば、フェリクスの決意が現実味を帯びてくる。何を言えばいいのか分からなかった。言いたいことはたくさんあるのに胸が詰まって声にならない。堪え切れず、ほんの少しの涙がサディアの頬を濡らす。フェリクスは小さな手でそっとそれを撫でた。


「この決断に悔いはない──が、涙を拭えないことは悔しいな。少しみっともない」

「どんな姿でもあなたは素敵です」


 情けなく笑うフェリクスに向かってサディアは何度も首を横に振ってからようやく想いを言葉にする。サディアの一言にフェリクスは嬉しそうに頬を寄せた。しかしサディアはまだ自責の念が拭えないようだ。シマリスを抱きしめたままサディアは胸の内を打ち明ける。


「城も、あなたの願いも、皆の希望をも壊してしまった。私がこの国に来てしまったせいで。それを想うと、自分の望みが叶ってもどうしても苦しい。嬉しいのに、苦しいの──フェリクス様、こんな無礼を許してください。どうか、どうか──」

「サディア、構わない。君の想いは君のものだ。強制などできないよ」

「ううっ……フェリクス様」


 シマリスの短い腕がサディアの頬を抱きしめた。すると堰を切ったようにサディアの瞳から涙が溢れていく。静かな泣き声に嗚咽が混ざる。


「ねぇ、二人」


 哀惜に沈みゆくサディアの様子を見ていたダリアニが口を開く。感傷に浸ってはいるが、控えめな口調だった。


「粗削りで無謀な君たちだけど……望みは捨てないでほしいなって。長く生きているだけの我の意見だけど、どうか耳を貸してほしい。希望はどこかへ消えたわけじゃないよって」

「ダリアニ、ありがとう。君の言葉はいつも背中を押してくれる」

「ううん。へへ……いいって」


 ダリアニはそわそわとした具合で肩をすくめてはにかむ。彼を振り返っていたシマリスの顔が正面に戻る。サディアと目が合えば、フェリクスは彼女の頬に顔をうずめた。


「大丈夫。サディア、君は、もう自由だ」


 悲しみに彼女の心が奪われてしまいそうで、シマリスはどうにかそれを阻止したかった。懸命にサディアを抱きしめる力は、その小さな身体からは考えられぬほどに頼もしいものだった。



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