43 欲望
目の前でフクロウがぼろぼろになっていく様を見せつけられたフェリクスは短刀を構え、目にも止まらぬ速さでグラハムに攻め込む。
「──いい加減にしろ」
静かな声がグラハムの鼻先に落ちる。
フェリクスの短刀を腕で受け止めたグラハムは刃の食い込んでいくその腕を振り払う。
「フン。加減を知らぬのはそっちだ。身の程を知れ。皇帝、お前はやはり王座を得るのに相応しくない。目の前の獣一匹も守れぬ。魔術師も、市民も。誰もお前には守れないんだよ」
グラハムは呼吸の浅いフクロウとひっくり返ったままの大蜘蛛、そして廊下の入り口で寝ているダリアニとロザリアを順番に見た後でフェリクスを嘲笑う。
短刀が刺さっていた腕から血が流れることはなく、グラハムは何事もなかったかのような涼しい表情をする。術で立派な剣を召喚したグラハムは、続けざまにフェリクスに向かって剣を振るう。フェリクスは攻撃をかわしつつ短刀で剣を迎え撃った。
刃が交わう金属音が朽ちかけた城内に響き渡る。
「人体売買組織を壊滅させたと聞いたが、所詮それも怒りに任せてのこと。お前個人の恨みがあるからな。お前はただ自分のためにやったまで。誰かを守るためなんかじゃない。それで皇帝を名乗るなどなんと横暴な」
「──確かにあんたの言うことも間違いではない。俺はあいつらが憎かった──それに呪いを受けた俺には昼がない。夜しか動けぬ皇帝など、皆の期待とはかけ離れたものだろう。だが、例えその資格がないと言われようとも俺は皆の希望に応えたい。望みのためなら何もかもを捧げると誓った。俺の身体はもはや俺のものじゃない。そうだな。お前の言うように、誰かを守るなど格好つけて生意気なことを言うのは止めよう。それは違う」
「ハッ‼ 認めたな。ワタシはいつだって正しいんだよ」
「誰かを守るのではない。俺は自分の欲望を守る。俺は寂しがりなんだ。独りは嫌だ。そのためには友人や家族、市民……そう、皆が必要だ。ついでに言えば俺は我儘だから、その皆が笑ってくれなければ満足できない。何か悲しいことがあれば共に解決し、彼らの不安を取り除きたい。彼らの自由が奪われることがあればその原因を見つけ、何事にも縛られぬよう彼らの夢を共に追いたい──そうだ、すべては俺のためだ。痛みは苦しい。それを知ったからこそ、俺はもう戻りたくない。皆に同じ思いをしてほしくもない。そうなれば俺はまた苦しむだけ。それは望まない。俺が嫌だからな。俺は俺の望みを守る。そのために、自らを捧げることに一切の悔いはない」
振り下ろされた剣を弾き、合間を取ってから姿勢を下げてグラハムの懐に割り入ったフェリクスは短刀を彼の首元へ突きつける。
「あんたはどうだ。ヴェネシアのこと、本当はまだ後悔してるんだろ」
「────何を言う。さっきも言っただろ。ワタシは彼女を愛していなかったと」
「それは嘘だ」
「なに──?」
眼下の発言に気を取られ隙を見せたグラハムの剣をフェリクスは蹴り上げる。剣はグラハムの手を離れ、カンカンと寂しい音を立てて床へ落下した。
「残念だ。グラハム、君は確かに優秀な魔術師だったんだろう」
グラハムが顔をしかめると、フェリクスは自分の胸元のポケットに手を入れ何かを握りしめる。
「な──っ!」
フェリクスの手が目の前で開かれると、花飾りに連なる真珠がふわりと揺れた。ヴェネシアの耳飾りだ。ないはずの場所にそれを見たグラハムは平静を失って自分の服をまさぐる。が、しまっていたはずの耳飾りはどこにもない。
「おのれ────‼」
グラハムの視線が虫の息のフクロウへと向かう。顔を傷つけられたことに必死になり気づけなかったが、きっとあの時にサディアが耳飾りを奪ったのだ。
「悪いが、愛を認められぬ奴にこれは渡せない」
「なっ! やめろ──! その汚い手で耳飾りを触るな‼ やめろーーーーッ‼」
グラハムの絶叫がこだまする中、フェリクスは連なる真珠を引き千切った。ばらばらになった珠はころころと床に転がり、やがて音もなく静かに艶めく。
「クソ野郎‼ なんてことをした⁉ 愚か者が‼」
喚くグラハムにフェリクスは淡々とした口調で告げる。
「彼女を解放しろ。愛する者をこれ以上愚弄するな」
「は? 何を言っている」
フェリクスの訴えにグラハムは意味が分からないといった様子で首を傾げる。困惑と怒りで捻じれた表情だった。
「番人は見透かしている。だからあんたも呪いを受けた。ヴェネシアはあんたが真に愛した人だったのだろう。彼女への愛を捻じ曲げ自己へ利用するな。彼女の苦しみが分からないのか。愛と偽って彼女のことを縛り付けようとするな」
「なにを……」
グラハムが怒りに任せてフェリクスの胸元を鷲掴みにすると、二人の足元から乳白色の光が滲む。
「──なんだ?」
フェリクスが視線を下げると、転がっていた珠にほのかに光が宿っていることに気づく。その光は次第に大きくなり、雷鳴の如く弾けたかと思えば、光の渦の中心にぼうっとした人影が浮かぶ。
「ヴェネシア……?」
廊下の方向からダリアニの声が聞こえてきた。どうやら意識が戻ったようだ。
ダリアニの言葉にグラハムもまたその人影に目を向ける。珠から現れた女の霊は、天女のような柔らかな微笑みを湛えていた。が、霊の姿が金白色から銀、錆色へと順に移ろうと、彼女の表情もまた悍ましいものへと豹変していく。
「おお! ヴェネシア、久しぶりじゃないか。どうしたんだそんな顔をして。ワタシに会えたのが嬉しくはないのか?」
ホールが冷気に包まれていく中、グラハムだけが楽観的な表情を浮かべて飄々と彼女に話しかける。ヴェネシアと呼ばれた亡霊は確かにその名に反応してグラハムをじっと見やる。美しいが同時に般若の形相にも見える彼女の無感情な面持ちは徐々に錆に隠されていく。
「フェリクス──! 離れて‼」
ダリアニの懸命な呼びかけにフェリクスは一歩ずつ後退する──と。
ヴェネシアの唇がゆっくりと動き出し、何やら話を始める。その声も錆びつき、何を言っているのかはまったく聞き取れなかった。
「どうしたヴェネシア。ワタシだぞ? このワタシが、君を守っていたんだよ。感謝したまえ。君をくだらないこの世界から隔離してあげた。どうだ? そっちの世界は楽しかっただろう?」
恐れ知らずのグラハムは段々と近づいてくるヴェネシアに臆することなくぺらぺらと口を動かし続ける。蛇の鳴き声にも似たヴェネシアの嘆きは彼には聞こえていないようだ。やがて光の渦から出てきたヴェネシアの姿を見てダリアニは声にならない悲鳴を上げる。
彼女の下半身に足はなく、魚の尾のような形をしている。尾の先は二つに割れ、まるで牙を持つ口だ。背筋の凍る彼女の虚ろな眼差しに嫌な予感がしたフェリクスはサディアを抱き上げてヴェネシアから距離を取ろうとする。サディアの身体はまだちゃんと呼吸を続けていた。
フェリクスが屈めていた身体を立ち上がらせたちょうどその時、グラハムの苛立った声が耳に届く。
「ヴェネシア。せっかくの再会だというのに、挨拶の一つもなしか?」
無神経な語調の彼に対しついにヴェネシアが声を張り上げる。が、それもまた人の発する音ではなく、どこか地の果てから沸き上がるような断末魔だった。彼女の叫びにホールを突風が駆ける。すると。
「ヴェネシア⁉ なっ、なにをする……‼ ちょ、やめろ‼ ぎゃあああああ‼」
グラハムの絶叫が風にかき混ぜられていく。強風に目を凝らすと、台風の目ではヴェネシアの下半身がグラハムを縛り、牙で噛みつきながら食らっているところだった。
「なんて……なんてことをしてしまったんだ……」
か弱い声で泣いているのはダリアニだった。
悲鳴とともにグラハムがヴェネシアに食べられていく光景を前に、ダリアニは愕然とした様子で膝から崩れ落ちる。彼の涙は亡霊に飲み込まれる同胞を嘆いているわけではなかった。愛する人の変わり果てた姿に自責する後悔の涙だった。
「我は──ヴェネシアを……愛する人を壊してしまった──長生きは我への罰だ。彼女の受けた痛みを抱え、これからも永遠に苦しむ──それが、我に出来るたった一つの彼女への弔いなんだ──」
ダリアニの繊細な泣き声は彼の傍で恐怖に怯えていたロザリアの興味を誘う。彼女もまた、ヴェネシアが現れる少し前に目を覚ましていたようだ。
ダリアニはロザリアを見やり、一筋の涙を頬に流す。
「愛が暴力に変わってしまうのはどうしてだろう……我、間違えちゃったよ……」
ダリアニと目が合ったロザリアの耳に再びグラハムの絶叫が響く。
「ヒィ……ッ」
小さな悲鳴を残し、真っ青な顔をしたロザリアは恐ろしい空間から逃げ出した。ドレスを踏み、転びながらも必死に走っていくその背中をダリアニは寂しそうに見守る。ロザリアの姿が消えた直後、ダリアニの背後にフクロウを抱えたフェリクスが駆けつけてきた。
「ダリアニ、城の様子がおかしい。ここから逃げた方がよさそうだ」
フェリクスに言われホールを見回すと、ヴェネシアの霊とグラハムを渦巻く暴風が徐々に大きくなり、天井からは小さな光の粒が降り注いでいた。
幻想的な絶景にも見える。が、星の欠片の塊が触れた箇所は熱せられたチョコレートのように溶けて消えていく。欠片が降り注ぐたびに城は溶けていた。ダリアニはひっくり返った大蜘蛛を元の姿に戻し自らの手のひらに引き寄せた。
「あいつは痛みを受け入れられずに裁かれた。力には相応の責任がある。愛が通じないのは痛いよ。苦しいよ。でも、あいつは最期まで、ヴェネシアの気持ちを理解してあげられなかった」
力の入らない脚をどうにか立たせ、ダリアニは切ない面持ちでホールを振り返る。
「さよなら──我のたった一人の君」
名残り惜しさを振り払い、ダリアニはフェリクスに続いて城を後にした。




