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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
三章
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彼女の事情

 再会とは涙が自然と溢れるような感動的なもの。

 とある絵本の王様と騎士だって、意にそぐわぬ別離の果てに再会したときは涙を流していた。数々の苦難を超えて焦がれたその人と再び見える。それはきっと、誰もが感動の涙を流す、物語のラストシーンに相応しいお約束だ。


(まだ、そういう方が良かったなあ……)


 そんな感動は求めていない。しかし、今の状況ならまだそちらの方が良かったとテルスは心の中で嘆いていた。


 お約束という幻想は遥か彼方。


 怪我も治ってないのに王都に行かねばならず、魔動気球では不運にも盗賊と遭遇し、なんか出場していた騎士選定(セレクション)の予選を勝ち抜き、場違いな貴族の屋敷に来て、ようやく会えた白いお姫様。


 しかし、待っていたのは感動の再会ではなく、お姫様からのお叱りだった。


〈なんで、いるの!? どうして、いるの!? 私の伝言聞かなかったのかな!?〉


 二週間も経っていないというのに、懐かしく思える光の玉が宙を踊る。暗い繁みの中に浮かび上がる白い軌跡は、ルナの感情を表すように勢いよく文字となっていく。


「ここにいるのは成り行き。まあ、会いに行こうとは思ってたけど」


〈だから、状況が分かっていないんだよ、テルスは……危ないんだよ? 私だって会えるのは嬉し――〉


 慌てた様子でルナは宙に書かれた文字を手で振って消した。

 その様子は大道芸に似ていて、ホラーな赤いピエロがやっていたパントマイムで子供を泣かす芸を思い出す。

 恐怖の記憶にそぐわぬ可愛らしいそれに、思わずテルスは噴き出してしまった。


〈もう、心配してるのに……〉


「ごめん。どうしても、ルナに言いたいことがあってさ。それを言わないと駄目だと思ったから、会いたかったんだ」


 一転して真剣になったテルスの様子を見て、ルナは落ち着かなそうに耳にかかる髪を弄り始める。


〈な、なにかな……?〉


「ルナ……」


 煌びやかな屋敷から離れ、美しく整えられた庭の中で二人は向き合う。

 薄暗く植物に囲まれるこの場所は、魔瘴方界(スクウェア)王域で一夜を明かした『籠』のようだったが、あそことは違い馥郁ふくいくたる花の香りが漂っていた。


 ルナの銀の目を真っ直ぐに見つめ、テルスは心からの言葉を紡いだ。


「えーと、ありがとう」


〈………………〉


「………………」


〈…………そ、それだけ?〉


「うん」


 ほっ、と安堵したような、でも、どこか残念そうな様子で息を吐くルナに首を傾げながら、テルスは言葉を付け足した。


「それだけ。ルナがいなかったら、シュウを助けられなかった。おかげで、ベア婆もハル、ナッツ、フゥも笑っていられる。俺も何度も助けられたし、ルナがいたから約束を守れた。本当に感謝してる……ありがとう。あのとき会えた浄化師がルナで良かった」


 そう言って、テルスは頭を下げた。

 目覚めてから、ずっと伝えたかった。


 貴族に会うように面会をして、知らない人々に囲まれながら、他人行儀な綺麗な言葉で感謝を告げる。それは何か違うと思った。そうではなく、自分が思っている素直な言葉で「ありがとう」と言いたかった。


 シリュウに頼んで貴族のルナに会いに行くのではない。

 テルスは一緒に戦った仲間として会って話したかったのだ。


 テルスの胸の中で燻っていた心残りがようやく消えていく。どこか、すっきりとした面持ちでテルスは頭を上げようとするが、その前にテルスの頭を温かな感触が押さえた。


「あの、ルナ……この姿勢ずっとはきついんだけど……?」


〈ちょっと……ちょっとだけ待って。そんなこといきなり言うから……〉


 待つこと数十秒、そろそろ腰がきつくなってきたテルスが解放され顔を上げると、少しだけ目が赤くなったルナが柔らかな微笑みを浮かべていた。


〈私こそ、ありがとう。助けてくれて、私を浄化師でいさせてくれて、一緒に戦ってくれて、ありがとう。本当に嬉しかった〉


 文字と共に向けられた花が綻ぶような笑顔。不思議なことにその笑顔からは文字よりもはっきりとルナの想いが伝わってきた。


 完全に不意打ちだった。


 多分、顔が赤くなっている。嫌でも分かるその熱に気恥ずかしさが湧き出てきたテルスは、話を逸らそうとポケットをまさぐる。


「あ~、そうだ! ソルも連れてきてたんだった」


 こんなときに限って、ソルは中々ポケットから出てこない。引っ張り出した白いネズミは手の上で、テルスとルナの二人を交互に見ると、おずおずと切りだした。


「もう……いいのかい? 邪魔なら、少し席を外そうか? ほら、僕は空気が読めるネズミ兼精霊だからね。遠慮しなくていいんだよ」


 どこで覚えたのかソルは空気を読んでいた。出会ってから初めての気遣いや遠慮というべき行動にテルスは即座に言葉を返した。


「その気遣いはいらない……忘れよう」


〈うん……えーと、こんばんは、精霊のネズミさん。じゃなくて、ソルって呼べばいいのかな?〉


「その通り。テルスが付けてくれたんだ。是非、その名で呼んでくれたまえ、ルナ嬢。うん、元気そうでなによりだ」


 身を屈めたルナはソルと挨拶を交わす。ソルはやけにテルスが付けた名前を気に入っているようで、自慢げに胸を反らしている。そんなソルをつつくように撫でながら、ルナは唇を尖らせる。


〈ソルはちゃんとテルスに伝えてくれたの?〉


「伝えたさ。伝えたうえで、テルスは来たんだ。まあ、一番の目的は今のお礼だろうけどね……」


「厄介そうなことを知ったみたいだから、困っているならできる限り力になろうと思ったんだけど……えーと正直、ルナの知り合い・・・・・・・がそうなら、まずくない?」


 テルスのわざとぼかした言葉にルナは驚く。


〈知らないから来たのかと思ったら、知ってて来たの?……じゃあ、仮にそうだとしたら、ここが今、どんな場所かは分かるよね?〉


 木々の隙間から覗くブルードの屋敷を一瞥し、ルナは文字を並べる。その文字の色はいつの間にか目立つ白から、近くにいても目を凝らさなければ分からない深い青に変わっていた。


「……ソル、近くに誰もいない?」


「安心したまえ。一番近くにいるので、テラスの三人だ。料理を食べながら、楽しそうに騒いでいるね。魔法の気配も屋敷に防御用の魔法がかかっている以外はないよ。あと僕の声は精霊に頼んで遠くまで聞こえないようにしておいた。君たちの分は魔力が必要になるし、魔法となれば気づく者もいるかもしれない……もしかしたら僕の裏をかく者もね。注意して話したまえ」


 精霊のソルが言うならば安心できる。魔動気球の中でも、感覚が鋭いタマよりも正確に敵の位置を把握できていたのだ。あとは魔法を使った盗聴などが不安だが、ソルは精霊だ。魔法の気配なら察知できる。


 それでも、ソルの言う通り万全を期すべきだ。

 テルスはソルを持ち上げると、ルナの肩にそっと乗せる。


「分かった。ソル、ルナに俺たちの考えを伝えてくれ。その間、俺とルナは話しているふりをする。ルナもそれでいい?」


 テルスの囁くような言葉に一人と一匹が頷いた。


「じゃあ、そんな感じで……話題、話題……ないなあ……あー、じゃあルナ、屋敷の浄化師方は派手なドレスなんだけど、君はああいうのは着ないの?」


〈えっ、派手って……そんな露出が多い服は無理かな……〉


「いや、服の形のことじゃなくて、色の方。皆、赤だの青だの極楽鳥みたいだ……なんか顔が赤くない?」


〈……き、気のせいだよ。服はシスターから浄化師ならば白を着るべし、って教えられたからで……〉


 静かな、夜空に浮かぶ星からしか見えないような場所で、演技が始まる。道化の喜劇のように馬鹿らしいことかもしれない。

 しかし、そっと裏で進んでいく話の重さは、これくらい慎重でなければ喜劇よりもあっけなく、命を落としかねないものだ。

 

 ほんの数十メートル先の屋敷の中に、何千、何万の死を招きかけた者がいるかもしれないのだから。











 ルナは小さく、しかし、確かに頷いた。

 同時に、すぐ近くにいるテルスですら分からないくらい、細かい文字が宙に書かれていく。それは、テルスに向けたものではない。ルナの肩に乗る小さなネズミに向けてのメッセージだ。


 ソルがその文字を読み終えると、ルナはテルスの肩へと手を伸ばす。その手を伝ってソルがテルスの肩、いつもの定位置へと戻ってきた。


「……残念ながら、概ね、あの考えは正解らしい」


 戻ってきたソルの囁きに、テルスはゆっくりと頷いた。

 テルスの表情に大きな変化はない。だが、驚きは大きかった。人々の希望と謳われる浄化師がその人々を裏切った。正直なところ、テルスは何かの勘違いだと思っていたのだ……ルナが頷くまでは。


 だって、何のメリットがあるというのだ?


 魔瘴方界(スクウェア)の活性化を黙っていれば魔物が増え、人が生きていける世界は消えていく。もしかしたら、このセネトという盤上全てが黒く染まる第一歩になるかもしれないのだ。そうなれば、いくら浄化師だろうと生きてはいけない。


 そもそも、隠れて魔瘴方界(スクウェア)に行く理由はなんだ? 偶然、その魔瘴方界(スクウェア)を調査中に活性化に気づき、何らかの理由があって、それを黙っていたというなら流れとしては自然だ。

 ただし、それだと痕跡が残っているはず。

 いつ魔瘴方界(スクウェア)に入ったかも、どの町にいるのかさえ、浄化師は報告する義務があるのだから。

 そう。その報告の義務を無視して誰にも悟られず活性化している魔瘴方界(スクウェア)に行くなど、


 まるで最初から・・・・後ろめたいことをするつもりだったみたいじゃないか。


 偶然ではないか?

 何か理由があるのではないか?


 そうやって考えれば、考えるほど、澄んだ水にこぼれた黒い滴が広がっていくように、明確にその浄化師の悪意が見えてくるのだ。


(……あまり、信じたくはないなあ)


 幼き頃、魔瘴方界(スクウェア)で倒れていたテルスを救い出したのはシリュウだ。

 そして、シリュウを含めた騎士団を魔瘴方界(スクウェア)王域へと導いたのは浄化師。テルスに浄化師や騎士団への尊敬や、憧れに近い感情があることも事実だ。


 押し黙ったテルスを気遣ったのか、ソルの小さな手が頬に触れる。頬に感じる小さな温かさはどこかくすぐたかった。


「その浄化師が誰なのか、何の理由があってこんなことをしたのかは、ルナ嬢にも分からないそうだ……」


 テルスは少し考えて、ルナに話しかける。


「そういえば、この前のあれ、ルナの知り合いにも教えた? 結構おすすめだったんだけど」


〈……うん、私もそう思ったよ。でも、教えるとちょっと大変かな。ああいうのを伝えると私が怒られちゃうよ〉


 かなり迂遠な言葉だったため伝わるか不安だったが、ルナはしっかりテルスの考えを汲んで答えを書く。そして、ソルにもテルスの考えは伝わっていた。


「そう……ルナ嬢は王や騎士団にこのことを今は伝えられないってさ。私の方がよっぽど疑わしいそうだ。でも、信頼できる人、確実に関わっていない人を見つけて話したいと思っているみたいだよ」


 確かにルナの言う通りでもある。そもそもの発端は黒い妖精型魔物の言葉だが、普通の人ならば喋る魔物というだけで眉唾物だ。それに喋る魔物の存在を信じてもらえたとしても、魔物の言葉を鵜呑みにしていると思われればそれまでだ。


 加えて、緊急だったとはいえ許可なく魔瘴方界(スクウェア)に入ったのはルナも同じなのだ。場合によってはルナの方が疑われてしまう。確たる証拠がなければ公的な権力を動かすのは難しく、むやみに動けば自分たちの首を絞めるだけ。


 それにテルスは――おそらくはルナも――まだ、この話を信じ切っているわけではない。例えば、浄化師は極秘に魔瘴方界(スクウェア)を調査していた、といった線もある。もっと詳しく調べる必要があるのだ。


「大変そうだなあ。頼りになる人は?」


 それならば、ルナの考えている通り、まずは味方を増やすのも手。だが、客観的に見て、信憑性の欠片もないこの話を信じてくれる人がいるかどうか。

 とりあえず、マテリアルなしの駒者ピーセスと若い浄化師がたった二人で魔瘴方界(スクウェア)を解放しかけた、なんてことは誰も信じてくれないだろう。


〈ここに来てるかも。ちょうど、そのことを考えてここに来たんだ〉


 なるほど、とテルスは相槌を打った。ブルードの屋敷に浄化師が来ているなら、この機会に、浄化師の誰が信じられるか見極めることができるかもしれない。

 問題は、


「分かるの?」


〈……ちょっと、難しいかな〉


 例えば、最近何をしていたか聞いて、その答えが真実だとどうして分かる?


 ルナなら浄化師という立場を利用して、それこそ浄化師の所在報告の記録なども確認できるかもしれない。それと擦り合わせればその人の言っていることが真実か否か確かめられる。

 そうやって信頼できる人を見つけられる可能性はある。だが最悪、その所在報告が偽装されている可能性もあるのだ。完全に信用できる人間を見つける手段なんて、テルスには思いつかなかった。


「そっかー……」


〈難しいね……〉


 八方塞がりになりかけ、気を落とし悩む二人。そこに助け舟が入った。


「うーん、なら僕がルナ嬢につこう。僕なら瘴気の残滓が分かるから、どの浄化師が最近、魔瘴方界(スクウェア)に入ったかくらいは分かるかもしれない。テルスとルナ嬢に少しだけ瘴気の匂いが残っているように、これはそうそう消えるものではないからね」


 ソルの言葉に思わずテルスとルナは顔に手を寄せ、匂いを嗅いだ。


「違う違う。物理的なものじゃないから安心したまえ。なんていうか……精霊が嫌がるんだよ。瘴気の影響がないと分かっても少し遠巻きにするんだ。仲のいい友達がばっちいものを触ったから、ちょっと離れよう、みたいな感じだ。ああ、これはとあるエルフの例えだよ」


 それはなんとも、精霊に申し訳なくなってくる例えだ。精霊に聞いたエルフの人もさぞ複雑な思いだったに違いない。ルナもソルの話を聞いて『浄』をその身に流し始めたようで、白い魔力が少しだけ体から零れていた。


「あくまで気持ちの問題だよ。君たちの身に瘴気自体は微塵も残っていない」


 深い青の光球がソルの目の前で小さな文字を書き出す。テルスには何が書いてあるか分からなかったが、ソルには伝わったようでくすくすと笑っていた。


「うん、大丈夫だよ。影響を受けるほど存在が小さくないしね。だから、数日間は僕がルナ嬢と共に浄化師たちを探れば、まだ瘴気の残滓がある者が分かるかもしれない」


「分かった。なら、任せた」


「ああ、任された――っ、テルス、誰か来る! かなりの速度だ」


 一転して、ソルの声が緊張したものに変わった。

 その警告はルナにも届いたのか、二人は一瞬だけ視線を合わせる。それと同時に一陣の風が吹き、繁みを揺らし葉を巻き上げた。


「――ああ、ルナ・スノーウィル様。貴方を待っていたというのに、こんなところで何をしているのでしょうか?」


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