↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国凌華伝 ーあなたがくれた、もうひとつの時ー  作者: 隆月 アン
第一章 異世界・江東編 〜凌華と陸議の出会い〜
1/77

第一話 その剣に呼ばれて

本作は三国時代を題材とした歴史IF作品です。史実を参考にしていますが、人物の生没年・出来事の時期や順序・人間関係など、史実とは異なる設定・展開があります。


「……孫策、か」


ガラスケースの前で、凌華は小さく呟いた。


平日の午後。


大学の講義が休講になったことをいいことに、凌華は一人で博物館へ足を運んでいた。


目的は、現在開催されている『三国志特別資料展』。


遊びに来たわけではない。


一応、これでも卒業論文のための資料集めだ。


「写真撮影不可……だよねぇ」


スマートフォンを片手に、展示ケースの横に置かれた説明書きを覗き込む。


凌華は文学部の大学四年生。


卒業論文の題材に選んだのは、中国の三国時代――その中でも孫氏が治めた呉だった。


三国志といえば、世間一般では劉備や曹操の方が人気なのかもしれない。


けれど凌華は、昔からなぜか呉が好きだった。


豪快な孫策。


若くして兄の跡を継いだ孫権。


周瑜、魯粛、呂蒙。


そして――


「陸遜……」


展示されていた人物相関図の中にその名を見つけ、凌華の目が少しだけ柔らかくなる。


陸遜伯言。


夷陵の戦いで劉備の大軍を破った、呉を代表する名将。


派手さという意味では、他の英雄に一歩譲るかもしれない。


それでも凌華は昔から陸遜が好きだった。


理知的で、冷静で。


それでいて、最後まで呉のために尽くした人物。


「……まぁ卒論に、推しだから選びましたなんて書けないけど」


自分で言って、少しだけ笑う。


友人たちからは、


『また三国志?』


『凌華って意外と歴史オタクだよね』


なんて言われている。


別にそこまで詳しいつもりはない。


戦の年号を全部言えるわけでもないし、武将の系譜を暗唱できるわけでもない。


ただ、人並みよりは少し知っている。


それだけだ。


凌華はノートへ簡単なメモを書き込んでから、次の展示室へ進んだ。


そして。


足が止まった。


部屋の中央。


照明を落とした展示スペースの中で、一振りの長剣だけが静かに照らされている。


「……綺麗」


思わず口から漏れた。


他の展示品より、特別豪華なわけではない。


むしろ装飾は少ない。


黒ずんだ鞘。


長い年月を経た金属。


柄にはわずかに赤い装飾が残っている。


それなのに、凌華は目を離せなかった。


吸い寄せられるようにガラスケースへ近づく。


説明文を読む。


――後漢末期から三国時代初期のものと推定。


――江東地方より出土。


――所有者不明。


「江東……」


呉の土地。


凌華はもう一度、剣を見る。


妙だった。


胸の奥がざわつく。


初めて見たはずなのに、どこか懐かしい。


まるで。


ずっと昔から知っているものを、ようやく見つけたような。


「何これ……」


思わず自分の胸元へ手を当てた。


鼓動が少し速い。


疲れているのだろうか。


最近は卒論も進まない。


就職のことも考えなければならない。


周りの友人はどんどん進路を決めているのに、自分だけが置いていかれているような気さえする。


凌華は昔からそうだった。


大きな失敗をしたことはない。


でも何かを成し遂げたという自信もない。


何かを選ぶたび、


――本当にこれでいいのかな。


そう考えてしまう。


大学を選んだときも。


学部を選んだときも。


卒論を三国志に決めたときでさえ。


「……私、何してるんだろ」


卒業して。


就職して。


その後は?


自分がどんな大人になりたいのかも、よく分からない。


ガラス越しに長剣を見る。


その刃だけが、まるで迷いなど知らないように真っ直ぐだった。


「羨ましいな」


剣に話しかけてどうするんだ、と自分で少し可笑しくなる。


その時だった。


――ドンッ!!


腹の底まで響くような轟音。


「……え?」


床が揺れた。


直後。


遠くから悲鳴が聞こえた。


「な、何……?」


展示室にいた人々が一斉にざわめき出す。


もう一度、爆発音。


今度は先ほどより近い。


館内放送が何かを告げようとする。


しかし。


『――ただちに――』


途中で音声が途切れた。


そして廊下から、誰かが叫んだ。


「逃げろ!!」


次の瞬間。


人がなだれ込んできた。


「えっ……!」


凌華は押され、よろめく。


「テロだ!」


誰かが叫んだ。


「武器持ってるぞ!」


「警察は!?」


「出口塞がれてる!」


何が起きているのか分からない。


理解する暇もなかった。


悲鳴。


足音。


割れるガラス。


凌華の身体が人波に押される。


「痛っ……!」


肩が壁にぶつかった。


スマートフォンが手から落ちる。


拾わなければ。


一瞬そう思った。


でも周囲を見る。


誰も他人を気にかける余裕はない。


皆、必死に逃げている。


「……私も……」


逃げなきゃ。


頭では分かっている。


なのに足が震える。


怖い。


何処へ行けばいい?


出口は?


こっちで合っている?


まただ。


こんな時まで。


――これでいいのかな。


考えている。


「何してるの……!」


自分を叱るように呟いて走り出した。


その時。


乾いた破裂音。


目の前にいた男が倒れた。


凌華の身体が硬直する。


「――っ」


何が起きたのか。


理解したくなかった。


床に赤いものが広がっていく。


「いや……」


息ができない。


周囲の悲鳴が遠く聞こえる。


足が動かない。


「いや……いや……」


逃げなきゃ。


逃げなきゃ。


そう思っているのに。


身体がいうことを聞かない。


その時。


誰かが凌華の腕を掴んだ。


「こっち!」


見知らぬ女性だった。


凌華は引っ張られるまま走る。


展示室の出口へ必死に足を動かした、煙が立ち込める中で光が見えた。

非常口へ向かう人の群れ。


もう少し。


そう思った瞬間。


背後で再び爆発が起きた。


「――!!」


凄まじい衝撃。


身体が宙へ浮いた。


何かに叩きつけられる。


「……っ……!」


音が消えた。


耳鳴りだけがする。

視界がぼやける。


床に倒れたまま、凌華は指先を動かそうとした。


動かない。

身体が熱い。


でも、同時に寒い。


「……いや……」


死ぬ。


唐突にそう思った。

そんなの嫌だ。

まだ卒業もしていない。


やりたいことだって――。


そこまで考えて。

凌華は気付いた。


やりたいこと。


自分は、何がしたかったのだろう。


「……私……」


涙が滲む。


こんなところで死ぬの?


何も決められないまま?


何者にもなれないまま?


「嫌……」


消え入りそうな声。


視界が暗くなっていく。


その時。


瓦礫の向こうに、何かが見えた。

割れた展示ケース。


そして。


床へ落ちている――あの長剣。


「……剣……」


なぜか。


あの剣だけが、はっきり見えた。


赤い光が見えた気がした。


凌華は無意識に手を伸ばす。


届くはずなどない距離。


それでも。


「……たすけて……」


誰に言ったのか、自分でも分からない。


神様かもしれない。


誰かかもしれない。


あるいは。


あの剣だったのかもしれない。


指先が床を擦る。


そして。


意識が消える、その寸前。


確かに聞こえた。


男の声だった。


低く。


どこか不機嫌そうで。


けれど不思議なほど力強い声。


『――やっと見つけた』


「……え……?」


それが。


凌華が現代で聞いた、最後の言葉だった。


***


風が吹いていた。


草の匂い。


鳥の声。


頬に当たる、柔らかい土。


「…………」


凌華の指が僅かに動く。


ゆっくり目を開く。


見たことない青い空が目の前に広がっている。


「…………ここ……どこ……?」


身体を起こそうとして。


凌華は固まった。


自分の右手が――何かを握っている。


見覚えのある黒い柄。


「…………」


ゆっくり視線を下げる。


そこにあったのは。


資料展のガラスケースに飾られていたはずの、


あの長剣だった。


「…………え?」


凌華の声だけが、誰もいない野原に響いた。


――第一話・了

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


凌華たちの物語を少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。


本編は毎日更新しています。


続きが気になる方は、ぜひブックマークして、これからの凌華たちを見守っていただけると幸いです。


★評価や感想も、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。