第20話 予兆
学院を出たカナタは真っすぐにパン屋へ向かった。
王都の南――ベルダン通りにあるパン屋≪ロワィヨール・ドゥ・ブレ≫は通常の店より値が張るものの、他と違って夕方近くまで営業している事や種類豊富なパンを作っている事からカナタお気に入りの店だった。
「いらっしゃいませ!」
息を切らさない程度に走ってきたカナタが店内へ入ると、男性店員の元気な挨拶が出迎えてくれる。
店内こそ一般的なパン屋にしてはやや狭い約十二坪の面積だが、この世界では珍しく壁面が大きくガラス張りにされたショーウィンドウ形式になっており、廂によって直射日光を防ぎつつ多量の明かりを取り入れる事で明るい雰囲気を演出していた。
「あっ、カナタ!」
「ごめんごめん、遅くなっちゃった」
「ううん、わたしたちも今来たところだよ。ね?」
「はい」
「そっかそっか」
おっ? 早速いい感じじゃないの。
まだ何も説明していないのにアリスは自然体でユウに接している。優しさに満ちた彼女であれば、セヴン家のユウに対しても臆せずに居てくれるだろうという目論見は正しかったようだ。
「ユウちゃん、好きなパン……好きな味ってある? 甘いとか辛いとか」
「好きな味……」
これまでのユウを考えると食そのものに嗜好を向けられていない可能性がある。
食事とは人が生きる上で欠かせないものであり、朝昼晩と三食を摂る生活なのだから食の楽しみというものは多い方が良い。食の彩りは心を豊かにする一端を担ってくれるはず――というのが、カナタの持論だった。
「………………」
すっかり黙り込んでしまったユウだが、変わらない表情でも顎を引いて答えを導き出そうとしているのが見て取れる。
ただ、あまりに沈黙が長いのでアリスがそわそわとした様子でカナタの方を見遣っていた。
(まだ『好き』が何かもよくわからない、のかな)
こういう時は発想の逆転をする。
「嫌いな味は?」
「ありません」
「ん~……なるほど」
即答だった。
もしかすると、『好き』が分からないように『嫌い』も分からないのではないかとも思ったが、すぐに答えを返せたという事は少なくとも味覚に拒否反応が出る味は無いという事だ。
であれば後は簡単。チキンサンド、パニーニ、クリームパンなどなどなど、おかず系からデザート系まで幅広く取り揃えて試してもらうだけである。
「セヴンさん、食べてみたいパンはある?」
む、本人の直感を頼る手もあったか。さすがアリス、わたしも鼻が高いよ。
「……なんでカナタはちょっと自慢気な顔してるの?」
「そりゃ誇らしいからよ」
全く意味不明の言動を繰り出すカナタにも慣れたもので、アリスはそんなカナタをスルーしてユウの瞳の先を追う。
棚から棚、様々な種類のパンを物色していたユウが停止したのはクルスティヨン――穴が空いていない球状のドーナツの前だった。
「これ」
「オーキードーキー」
ジャム入りとレーズン入りは売り切れてプレーンの物しか残っていなかったが、ユウは自ら興味を持って選んだパンに釘付けになっていた。
匂いか形か、はたまた名前か。
なんでもいい。ほんの小さな食指の動きでも、きっかけが出来れば後は自ずと世界は広がっていくだろう。
あらかた選び終えたので木製トレーにどっさり乗ったパンを会計に持ち込み、三袋に分けて詰めてもらう。パンだけで二十四個、消費し切れない分は持ち帰って、食べきれないようなら誰かに配ってしまえばいい。
締めて四百二十二フィデスの支払いを終えて近くの噴水広場へ向かう。
南通りのど真ん中、複数の街道に分かれる円状の広場にある噴水は王都のトレードマークとして機能している為に人通りも多い。
ただ、噴水の中央にある女神の像は今のカナタにとっては心中複雑な気持ちにさせられてしまうものだった。
「どれでも好きな物から取っていいよ」
「はい」
噴水の縁に腰かけて紙袋の中身を検める。う~ん糖質が山盛りだ。
早速自分が選んだクルスティヨンを手に取ったユウは、小さな口でそれに齧りつく。
黙々と、もぐもぐと。
そうして一口を終えたユウは、ほんのわずか、目を見開いた。
「甘くて、おいしい」
悪くない感触だ。
「甘いのどう? 好き?」
「……好き……と思う」
セヴン家がまともな食事を出さない訳もなく、恐らくユウの意識がそこまで食に向いていなかっただけなのだろう。最低限の味覚情報を摂取して来ただけに、食事自体を〝味気ないもの〟としか認識していなかったに違いない。
好きな味を訊いただけだが、多少は食そのものに意識が向かったのだろう。
「セヴンさん、ほっぺについてるよ」
「?」
「ちょっと待ってね……はい」
ユウの口の端にこぼれたパンの欠片をアリスがハンカチで拭いとる。
微笑ましい光景だった。できればこの調子で交友が育まれるとありがたいなぁ、と考えながら背筋のぞわりとした感覚にカナタは反射的に顔を上げた。
(――――?)
思い違いだろうか。誰かに視線を向けられていたような気がする。
広場はベルダン通りが南の中心街道なのもあって元々人通りが多い。周辺も居住区画ではなく商業区画なので、色々な人間が行き来をしている。学院から離れていてもローブを羽織った学生が珍しいという事はない。
学院を出る際にレイベリーから忠告された事で神経が過敏になっているのかも。
そう思い、一応周辺だけざっと見まわして怪しい人影が無い事を確認してから二人へ意識を戻した。
「か、カナタ! 紙袋……!」
「うおっとぉ!?」
ちょっと目を離した隙にユウの齧りついたベーコンレタスタマゴサンドがチョココロネの如く後方大噴射を起こし掛けているではないか。
慌てて自分が持っていた紙袋の上半分を素手で千切って簡易包みにし、崩壊寸前サンドのお尻に挟み込む。自分の紙袋に入っているのが背の低いパンだけで助かった。
危うく具の大半が道端に放出されてしまう所だったがギリギリで阻止に成功する。道の食料に喜ぶのは虫たちだけだ。
「いっひっひ、セーフ」
「よ、よかった……」
「……ごめんなさい」
口に含んでいた分を咀嚼し終えたユウが謝罪の言葉を口にする。
サンドがたっぷり具材を含んでいたのもあるが、この手の食べ物に彼女が慣れていないのだから無理からぬ事だ。
「こういうのはコツがいるんだよねぇ。具材を食べる前にパンでしっかり押し潰さないと、どんどん中身が端に行っちゃうから……こう、ギュッと」
「こんな感じで……」
はみ出しそうになっていた具材を簡易包みで器用に押し戻し、サンドを保持するユウの代わりにアリスが上下両面を押し潰す。
棒状だったものが楕円形の板に見えるくらいにまで潰れ、ユウが再びBLEサンドを口にした。先ほどと違って圧縮されたバゲットは具材をはみ出させない。
「ありがとう、アリス」
「どういたしまして」
それから一心に食べ進めていったユウのペースは驚くほど早かった。
少し目を離した隙にどうしてBLEサンドを手にしていたのかと思ってはいたが、一口は小さいのに噛んで飲み込むまでの工程がとても短い。噛んでいるのか不安になる。
が、そんなカナタの不安を差し置いて喉に詰まらせる事もなく次々とパンを手にしては消化していったユウは、ついに半分ほど食べきった後でアリスからストップをかけられる。
「す、ストップストップ! そんなに食べたら夜ご飯が入らなくなっちゃうよ!?」
「……はい」
無表情……のように見えるが、言葉の調子から彼女がややしょぼんとした様子なのが窺えた。残念がっている、とでも言うべきか。
ここまでカナタの推したパン屋のものを気に入ってくれたのは素直に喜ばしいが、いくらなんでも食べ過ぎである。昼時との落差が凄まじい。
「ほーらいっぱいお食べ~」という気持ちが、「健康に悪い……! それ以上はっ……!」という気持ちに早変わりだ。
「い、一日くらいは置いてても大丈夫だから、気になるのだけ選んで後は明日にしようね」
「わかりました」
カナタとしては一口ずつくらいでシェアしてユウの気に入った味を探り当てようというつもりだったのだが、とんだ誤算になってしまった。ただ、ここまで齧りつきになってくれたのは嬉しい誤算でもある。
そんなカナタの心境を言わずとも察していたアリスは、同じく予想外の展開に困惑しながらも無言のサムズアップを決めた。やだかわいい。
この後もちょっとした食い歩きツアーを開催する予定だったが、撤回して適当な商店を歩き回った方が良さそうだ。でないとユウの胃に優しくない。
「……………………」
穴が開くほどパンを見つめて選別にかけるユウを、二人は他愛の無い話を繰り広げながらゆっくり待つ。
じっくり時間をかけて選んだのは意外にも素朴なパンドミ――歯ごたえのある食パンで、彼女にそれだけ分け入れた紙袋を渡すと大事に両手で抱えていた。
―――― ★ ★ ★ ★ ★ ――――
「計画は続行?」
とある建物の地下で、レヴァレンシア学院のローブを羽織った生徒――マスキス・グレゴリッツは疑問の声を上げた。
むき出しの地面からもたらされる湿気で壁面の一部に苔が生えるほどの地下空間は天井も大人の身長ほどしかなく、そんな部屋に木製のボードや机が無理やり詰め込まれているという様相だった。
学院のローブと似た黒い装束を身に纏った数人の内の一人は、マスキスの焦燥感を感じさせる声色に対して極めて落ち着いた態度で言葉を返す。
「一番警戒の薄い所から魔導図書館の杖を回収できなかったのは仕方ない。だが残りの二つ、騎士団と魔導団は守りが堅固で人目も多い。君の伝手も活用できないからには、その学院生を狙うのが穏やかに事が済む」
「センサルティオとラプスカリオンに目を付けられたかもしれない! もしかしたら、動く前に内通がバレて捕まるかも……!」
「だから今日中に決行しようと言う話だ。あなたの父上は亡命の前倒しに同意してくれたぞ?」
黒装束の男の言葉にマスキスは下唇を噛んだ。
グレゴリッツ家は由緒正しい侯爵の家柄ではあったが、代々の当主は資産をすり減らすばかりで目立った功績も上げられずに今代まで続き苦しい立場にあった。
各領地の貴族が領民から直接税を徴収できていた時代では耐えられていたが、その後は事業だけでなく人脈の構築にも失敗し侯爵としての立場は形骸化してしまったとさえ言っていい。
マスキスの父親、十六代目当主のアーシュガルト・アンネー・ド・グレゴリッツは家名が今代までである事を自覚しながらも、大した仕事が回ってこないのを愚痴にして妻の実家であるブリドカット家に援助を無心していた。
大した成果もないまま援助も打ち切られ、いよいよ後が無くなったという場面で接触して来たのがレヴァレンシア王国の西に位置する国――フォルクブルク合衆国である。
「情報を得ながらも実態を掴めなかった物がようやく現れてくれたんだ。王国が密かに開発していた蒸機機関の新技術……あなた方に頼んだのはその全容の解明だが、これまで我々が調査した以上の成果は無かった」
フォルクブルク合衆国に限らず、諜報活動というものはあらゆる国が相互に行っている事だ。当然、レヴァレンシア王国でも周辺国の諜報員が活動していた。
人介諜報、科学諜報、共同諜報……様々な諜報手段の中、基本的な方法として国の中枢に近い人間を懐柔するというものがある。
フォルクブルクの諜報員は落ち目でありながら侯爵という上位の立場に居るグレゴリッツに目を付け、杖に関する情報の見返りとして合衆国への亡命手引きと亡命後の地位や資産を約束して協力を取り付けたのである。
「約束を達成できないのであれば、我々としてはこれ以上あなた方に協力できる事は無いんだ」
「…………わかった」
マスキスは父親が勝手に始めた内通に巻き込まれた形ではあったものの、今の爵位が自分の手に渡った所で先が行き詰っているのは理解していた。
父親、祖父、代々の先祖が家の土台を構築できなかった怒りはあるものの、では自分が家の為に何ができるかと言われると答えに窮する。
深く友人と呼べる者もおらず先に繋がる人脈を確保している訳でも無い。
魔術の心得があっても戦場で武勲を立てるのは現代では望むべくもない。
商売で名を広げて資産を構築する才覚も持ち合わせているとは思えない。
マスキスの中に確かなものは何も無かった。
幼少期からただただ父の愚痴と母の嘆きを聞かされて育った人格に生まれたのは猜疑心と虚栄心ばかりで、己の誇る気位が何一つとして無い。
彼の心は既に新天地での救いを求めてしまっていたのだ。
「バルベル、ゴットン、待たせたな」
フォルクブルクの諜報員と打ち合わせを済ませたマスキスは、適当な理由をつけて建物の外に待たせていた学院生と合流して行動を開始するのだった。




