第19話 不穏な影
事態が急変したのは午後の授業が始まってからだった。
レヴァレンシア学院では精神鍛錬の一環として剣術の授業が設けられている。授業数こそ少ないものの、元来は貴族が戦場の最前線に立って戦っていた事から貴族の嗜みとして剣の扱いを継承するようにしている。
言ってしまえば武術というより武道。授業で取り扱うのは剣道や柔道の形式に近しいものである――はずだった。
「では、バルベル・マハベリとカナタ・オルレックの両名は前に」
平民であるアリスは剣の心得には縁遠い。
そんなアリスの為に剣の何たるかをおさらいの意味も込めて説明してくれた剣術担当の先生は、お手本として一般的な王国兵士流の剣術を披露してくれた。
剣の持ち方や構え方といった基本的な扱い、型や体裁きといった動きの流れ。
懇切丁寧な指導の中で全員が同じ動きをする中、先生が「お前は体の芯に筋が一本通っているな」とカナタを褒めたのがきっかけだった。
「無色だから剣以外に修める道がないのでしょう。しかもありきたりな王国式を」
これでもかという直球ストレートな嫌味に真っ先に反応したのは指導をしていた先生で、剣の鞘を地面に突く音で周りが微妙な空気になるより早く自分に視線を誘導した。
先生は若干考え込むような素振りを見せ、カナタと嫌味を言った生徒――バルベル・マハベリを生徒たちの前に呼び出してこう告げたのだ。
「二人にはみんなを代表して模擬戦をしてもらう」、と。
そんなこんなで予定にはなかったであろう一対一での模擬戦が始まろうとしていた。
カナタは呆れより困惑が大きく、剣を立ててこめかみの右当たりに構える――八双の構えを拵えながらも、どうするべきか思考を巡らせる。
(そんなに恨みを買うようなことした覚えが無いんだけど……根に持つタイプなのかねぇ)
バルベルという女生徒はカナタが今朝寮の浴場で遭遇した舌打ち女だった。
学院にはわざわざ一人ずつ自己紹介をするような習慣がないもので、同じクラスの人間だったと知った瞬間には驚いたものだ。
そして、湯浴み一つにいくらなんでも執着しすぎではと思わなくもない。
「はじめ!」
「はァッ――!」
こちらを射殺さんばかりに睨みつけていたバルベルが瞬時に踏み込んで突きをお見舞いしてきた。
彼女の型は華やかしい細剣術であり、肩から腕、手首にかけて水平に構えられていた剣が急所を狙った素早い突きを可能にする。
「しッ!」
「!? いッ……!!」
が、剣術の授業で扱う木刀というのはそういったスタイルをそのまま出力するのには向いてない。
なぜなら、素早く相手の弱点を突くという型で標準とされる細剣よりはるかに重いからだ。
「そこまで!」
ガラン、とバルベルが手にしていた木刀が地面を転がる。勝負は一瞬だった。
右足で一歩踏み出し突きを繰り出した彼女に対し、カナタは右足を下げて左足に踏み込み小手を打ってそのまま刃を彼女の首筋に滑らせたのだ。
元々が左足を前にした半身である八双の構えだ。真正面から相手が突いてくるのなら、回避は容易で反撃にも移りやすい。相手が懐に飛び込んでくるようならなおさらである。
「見ての通りだ。私が指導しているのはマハベリの言うようなありきたりな……使い古された王国式だが、ありきたりになるほど使われる理由がここにある」
「今のは! 細剣であれば私が勝っていました!」
随分と熱くなっている。
負けたのが悔しいのはわかるが、負け惜しみも過ぎると恥だ。
事実、周りの生徒は先生の話を遮ってまで文句を言うバルベルに呆れている様子だった。
「異議があるのなら何回でもやってもらって構わない。しかし、自分の得意な型に合わない剣を握ってろくに知らない剣術相手にまともに立ち会う力量がお前にあるか?」
「っ……!!」
完全に沈黙させられてしまった。
ああも鼻っ柱をへし折られたのではプライドの高そうな彼女も反論の余地がない。
その怒りがますます自分に向くのではないか、とカナタは気が気でなかった。
「いいか、我々には魔力がある。実戦の場ではお行儀よく一対一の剣による決闘で勝負が決まることなどない! しかし、だからといって魔術の撃ち合いだけが戦いのやり方でもないのだ! お前たちの体が単に蒸気を出すだけの煙突でないことを忘れるな!」
ある意味では自分の言葉を生徒へ染み込ませるには絶好の機会だったのだろう。先生の言葉に全員がぴしりと姿勢を正す。
己の体は最大の資本である。魔導のみに傾倒したのでは、いざ魔力が尽きた時などに立っている肉塊になるだけだ。
カナタは外辿血系ゆえに一早くその事を認識していた。
「すごかったよ、カナタ!」
「いえ~い」
お手本のご褒美に内申点をゲットしたカナタは、小さく歓声を上げるアリスに出迎えられピースを返す。急な勝負だったが勝って悪い気はしない。
これ以上バルベルを刺激したくないのでわざと負けようとでも考えたが、先生には手を抜いたのを見破られてしまうだろうし、やはり勝負をするからには勝ちたかった。
「代表してオルレックに出てもらったが……言うまでもなくルブリエールも見事なものだ」
「お~ほっほっほ! このルブリエール家の長女、シャルレーヌ・ローズ・ラ・リブドラック・ド・ルブリエールの家名に恥じぬ剣裁き、ご用命とあらばいつでも皆さまにお見せいたしますわ!」
「シャルレーヌさんでは乱雑……失礼、豪快すぎて皆さんのお手本にはならないのではないかしら」
「あら~? しょ・う・に・ん・の! アレクサンドラさんには剣は早かったようですわねぇ。算盤でも握っていらした方がお似合いでしてよ~!」
「言いましたわね?」
戦場の功績で騎士爵から侯爵にまで成り上がったルブリエール家の長女だけあって、シャルレーヌは群を抜いて剣術の能力に秀でている。
対して、同じく平民からの商売で侯爵を位を与えられるまでに上り詰めたシトロエン家のアレクサンドラも、カナタの見立てではなかなかの筋を持っていた。
「あ~……じゃあ二人にもお手本を見せてもらおうか。くれぐれもはしゃぐなよ」
先生の忠告も空しく果し合いかと思うほどの激闘が繰り広げられたりしつつ、その後の授業はつつがなく進行した。
「腰が逃げとるだろうがァッ!!」
「はいぃっ!!」
「お前は砂糖から生まれてきたのか!? そんな甘い剣筋で、クリームでも斬る気か!!」
「すみません!!」
そうしてヘトヘトになるほど熱の入った先生の指導を受け、魔術の授業を寝そうになりながら過ごしての放課後。
ユウに断りを入れた上でアリスにも放課後にパン屋へ行くという約束を取り付けていた。まだ事情は説明していないが、アリスにもユウの友達になってもらいたかったのだ。
「君がカナタ・オルレックかな?」
そうしてこれから三人仲良く買い物に洒落込もうとした矢先、見知らぬ上級生の男子生徒が教室に乗り込んで来てカナタに声を掛けて来た。
接着剤でも塗りたくっているのかというくらい濡れて見えるビッチリとつけられた整髪料で右に流した髪をしていたその男子には見覚えがある。植物温室の付近でユウに絡んでいた三人組の筆頭だ。
「そうですが」
「少し話があるんだ。いいかな?」
猫被りしているのが丸わかりである。
昨日の彼の口調を思い出して今の話し方とのギャップに吐き気すら感じるほどだ。
「……どうぞ」
「ここじゃ少し……別の場所で」
周囲に聞かれたくないともなれば、昨日の件についての謝罪だろうか。
こうして接触して来たのはセヴン家に対して角を立てないよう、わたしを通して謝罪を申し入れる為かもしれない。昨日のユリウスの素振りでは、改めて謝罪をしようにも門前払いされるのがオチだ。
貴族としての立場上セヴン家に関わる役職にいるのであれば、子どものミスが原因で家に影響が出れば大問題になるのは明白。
果たしてユリウスがそういう事をする性格かどうかはともかく、可能性として考えられるのはそれくらいだった。
自分にだけお礼参りという事もあり得るが、その時はその時だ。
「アリス、先にユウちゃんとパン屋の方に行っててくれない?」
「う、うん。わかった」
何事かと心配そうにしていたアリスに声を掛け、ユウを待たせてしまわないように先に行かせる。
約束した側が遅れる訳にはいかない、と手短に済む事を祈りながら学内で人気の無い教室へ移動した。
「うわっ! ……どうしてマハベリさんが?」
到着して自分の背後からするりと姿を現して男子生徒の隣に立ったのは、なるべくお近づきにはなりたくない同級生バルベル・マハベリ。
彼が特別反応を示さないというのは彼女の存在が織り込み済みだったという事だ。
無言で睨みを利かせるバルベルの存在が非常に鬱陶しい。
「気にする必要は無い。それより話なんだが……その杖を貸してくれないか?」
「嫌です」
何を言うかと思えばそんな下らない話だとは。
にべもなく断ったカナタに、男子生徒は早々に猫を被るのを止めた。
「少しでいいから頼むって。別に何かするわけじゃない、個人的に興味があるんだ」
「貸すだけの信用がないです」
ぴくり、と男子生徒の頬が引き攣る。
もしや昨日ユウに絡んでいた所に割り込んで来たのがわたしだと言うのを忘れているのではあるまいか。だとしたら相当おめでたい頭をしている。
「……あんた、無色のくせに態度が悪いんじゃないの?」
んなもん関係あるかい。
なぜか同席していると思ったら急に男子生徒に代わって因縁を付けてきたバルベルは、偉そうに腕を組んで高説を垂れた。
「マスキス先輩はグレゴリッツ侯爵家の長男。あんたの家みたいな無名の伯爵と違って誉れ高い家柄なの。ただでさえ魔力も無いような外辿血系が普通の人間の手を煩わせないでちょうだい」
馬鹿馬鹿しすぎて話にならない。なぜこんなにも彼女に突っかかられるのかとは思っていたが、どうやら権威主義に加えて魔導至上主義者だったようだ。
家だの魔力だの、結局自分たちのわがままを通す為に権力を振りかざしているだけ。力の無駄使い、貧弱な振るい方。
そこまでしてこの上級生の男子生徒――マスキス・グレゴリッツとやらが魔導図書館の杖を欲しがる理由はわからないが、勅命だと突きつければ黙るだろうとカナタが口を開いた刹那。
「「馬鹿馬鹿しすぎて話にならないな」」
カナタたち以外は居なかったはずの教室に二つの声が重なる。
カナタの思考と全く同一の台詞を発した声の主へ視線を向けると、なんとそこに居たのはレイベリーとラザーだった。どこからか様子を窺っていたらしい。
不本意そうにレイベリーをねめつけたラザーだったが、彼が肩を竦めて教室の敷居で端に体重を預けると、代わりと言わんばかりに前に進み出てきてカナタの前に割って入る。
「マスキス、君がどういうつもりかは知らないが、今朝の急報を見なかったのか?」
「い、いや、どうだったか……」
侯爵だろうが≪御三家≫相手には分が悪く、途端にタジタジとなるマスキスとバルベルにラザーは畳みかけた。
「ではオレが急報の中身を簡潔に教えてやろう。『開発された魔導図書館の杖は試験運用中のため、使用者には最大限配慮すること』だ。これは何の配慮だ?」
急報――レヴァレンシア王国には一週間周期で出回る週刊新聞と、全土に関わる大事な知らせや王のお触れが出た際に発行される緊急日報がある。
昨日工房でロスリックが言っていた通り、マルスェルは今日の朝に全土へ杖の存在を明かす声明文を発表していた。
配り手が国民に配布したり、街の掲示板に張り出されたりと緊急日報は様々な方法で広げられる。今日の学院にもそこそこ張り出されていた。
「ただ、好奇心で……深い意味は何も無い!」
「だったら断られた時点でやめろ。それとも、杖を持ち出さなきゃいけない事情があるのか?」
「っ、いや……」
問い詰めるラザーの言葉に先ほどより明らかに動揺を増したマスキスは、腰巾着のバルベルを連れて反論も無しに早足で教室から出て行った。
カナタは小さく息をつく。
「ふぅ……ありがとうございました、先輩」
「偶然、通りがかったものだからな」
「そう、偶然」
「黙れ」
なんでもないように言ったラザーに合わせ、レイベリーは『偶然』という単語を強調して重ねた。
またもや中庭のように一触即発の二人の視線を遮るように間に立ったカナタは、場を誤魔化す為に教室に設置してある時計を指す。
「おおっと、もうこんな時間だー! 友達と約束があるんですっごく助かりましたー!」
「君…………」
誰が見てもお粗末なとぼけた態度にラザーが呆れ半分感心半分といった微妙な表情を向ける。
さすがのレイベリーもこれには苦笑いだ。
「あー、そういうわけなので失礼しても……?」
「どうぞ。――――オルレック」
促されて教室を出ようとしたカナタを、通り際にレイベリーが呼び止める。
「あいつには用心しておけよ。侯爵とはいえ今は名ばかりの没落一歩手前だ。溺れている奴は藁でも掴むぞ」
用心しろ、という意味なのはわかったが、杖を入手したところで一介の貴族には分解しての解析も難しいはずだ。
無論、みすみす杖を渡すような真似をするつもりはないが、一体どういう意味を込めた言葉なのか。
「……約束に遅れるんじゃないのか?」
「あっ、はい。……失礼します」
その時立ち止まったカナタは、真意を測りかねていた。
この後――レイベリーの放った言葉の意味を、思い知らされる事になるまでは。




