新藤くん
マスクをして眼鏡をかけて帽子を被って玄関を出る。九月の空気はまだ暑くてマスクの内側に熱が籠ってうざい。
合流した水守さんに「ヨリが、変装してる! ぶふっ。まじかよ。ひひっ。おっかしぃ」爆笑される。こういう反応が久しぶりで私はなぜか意味不明に安心する。「あー、笑ってごめんなさいね。……ぶふぉっ」やっぱちょっと腹立つな。
芸大の前の上野公園では小物を売ってたり、似顔絵を描いたりする売店が立ち並んでいる。今回はそっちはスルーして学内の展示の方へ向かう。途中でバカデカい全長で10メートルぐらいありそうな馬の御輿とすれ違う。
「すごいですね、あれ。協賛の企業とかが作ったんですか?」
「違う違う。学生の手作り」
え、まじで?
私はその馬を見つめる。メインカラーは白で、黄色の花の飾りがたくさんついている。多分モチーフはなんかの神話に登場する馬なんだろうけど、ユニコーンとかの繊細で神秘的な感じじゃなくて儀典用ではあっても力強さを感じる。その力強さは筋肉の張りとか陰影とかから醸し出されている。目は知的で人間に争いの醜さとか説いてそうだ。これ作ったのが学生なのか。私は「若者の人間離れ」というテニプリかなんかから流行りだしたツイッターのタグを思い出す。
「なつかしーわー、この空気」
「来た事あるんですか?」
「卒業生よ、あたし」
……東京芸大って倍率が東大より高いんじゃなかったっけ。
「直で絵いく? それとも他のもの見て回る?」
「すみません、ちょっと心の準備が」
「おっけー。じゃあいろいろ見ましょうか。あたしも現役生の作品みたいし」
水守さんが先導して人ごみの中をずかずか進んでいく。私は一緒にきてもらってよかったと思う。一人だったら身動きが取れなくなっていただろう。
立体芸術やら彫刻やらなにやらを見て回る。最初に思ったのは、は? ジャパンってこんなやつらゴロゴロしてんの? だった。
「知ってる? ここの卒業生って半分は行方不明なのよ。ウケるでしょ」
嘘でしょ? こいつら行方不明になるの? それ社会の損失じゃないの?
どうなってるんの?
「まー変な奴ばっかりだから。社会と折り合いつかないのよねー」
私は水守さんの顔を見て「なるほど!」と思う。
「……あんたがいまなに考えたかだいたいわかったわ」
一通り見て回って水守さんが「そんじゃ、絵画行こっか」と言う。
水守さんは緊張で青い顔をしている私を引っ張って絵画の展示棟に放り込む。
そうして、わりとすぐにその絵は見つかる。
タイトルは「内側」。大きな絵だった。私が両手を広げたよりも少し余るぐらい。遠くから見ると疲れた女がベンチに座ってるように見える。座っているのは私だった。モザイクみたいな荒い感じの絵だ。顔つきは眠たげで表情は薄暗い。体から力が抜けていてなにかに敗れたあとのように見える。
近づいてみるとその絵の背景を除く部分はすべて別々の小さな絵を切り合わせたようにして作られていることがわかる。細かい方の絵には男と一緒にいておしゃれしたりプレゼントを渡されたりで喜んでいる女とか、男と喧嘩したり理不尽な上司に内心でキレて怒ってる女とか、レジ打ったりで疲れてたり一人で夜の海を見たり哀しそうな女とか、踊ったり歌ったりで楽しそうな女とかが描かれている。
遠くから見るのと近くで見るので印象が全然変わる不思議な絵だった。「ギャザリングアート」という、たくさんの写真を使って一枚の絵を作る手法を絵画に持ち込んだものらしい。
「あ、お姉さん!」
男の子の声がして白い手が跳ねた。
子犬っぽい、感じのいい男の子が私の隣に立つ。
「その節はどうも! モデル、ありがとうございました!」
「マスクしてるのにわかったの?」
「え? はい」
丸わかりですよ、あたりまえじゃないですか、なんでそんなこと訊くんです? みたいな感じで新藤くんというその子が私の全身をさっと見てうんうんと頷く。
「絵、どうですか?」
……私は素人だしよくわかんないけど、わかんないなりに。
「いいと思う」
新藤くんはパッと表情を明るくする。それから自分が何に影響を受けてどんな風に考えてこの絵を描こうと思ったかとかをこっちが訊いてもいないのに「オタク特有の早口」って感じで捲し立ててあとに「みんなこれ、“ヨリに似てる”って言うんですよね」ふくれっ面になる。
「イヤなの?」
「心外ですよ! ヨリってあれじゃないですか。新品! って感じ。生まれたてほやほやで苦労知らず、ちやほやされるために生まれて武装しました! みたいな。そこがウケてるんでしょうけど。お姉さんのが全然素敵っすよ! 見てくださいよ」外側の線をぐるりと指でなぞる。「この輪郭からにじみ出る人生に疲れてる感! いや、もう憑かれてるって感じっすね! 人間ってこうじゃないですか! こうだから魅力的なんだと思います。あ、本人前にこういうこというと失礼だったかな?」
新藤くんはぺろりと舌を出す。
「これ、買いたいんだけど」
「え、ほんとですか。やったぁ。俺、作品売れたのってはじめてなんですよ。うれしいなぁ」
作品の売買自体はその場で可能なのだけど、デカすぎて持って帰れない系のモノなので梱包して送ってくれるらしい。手続きを終えたら、水守さんがやってきてポンポンと私の頭を二度優しくたたいた。
「飯食って帰るか」
水守さんは私を昼間から焼き肉屋に連行する。
しこたま注文してジュージュー焼いてうまそうに食う。バケモノみたいな頼み方しててこんだけ食ってどうやって体型維持してるんだろうと訝しんでたら見透かされて「食う時と食わないときを使い分けてるのよ」と言う。
私は最近食欲が死んでたんだけど、水守さんが美味そうに食ってるのを見てたら食わないのが勿体ない気がして水守さんに負けず劣らず肉を食い散らす。くそ高い肉は信じられないくらい美味かった。
一生分食ったぐらいの気分になって焼き肉屋を出る。
食いすぎてちょっと気持ち悪くて腹をさする。
私も水守さんも下腹が出てて私たちは顔を見合わせて爆笑する。
「じゃ、またね」
電撃みたいに急に現れて私に救いをくれた水守さんが去っていく。