向こう側
収穫はなかった。
よし、と気合を入れて大学の敷地内をうろついてみたけれど、それらしき人とは会えなかった。塗料だらけの服を着た謎の男性とか身長より大きそうな楽器を背負っている女の子とか口元に手をやってオホホホホホとか言ってそうなお嬢様とか口笛でやたらと達者な演奏をしている不思議な青年だとか、変わった人の見本市みたいな大学だったけれど私の絵を描いたあのきれいな顔した男の子はいなかった。
私はとぼとぼ帰る。まあ見つけたところでなんて言えばいいのかわからないし。「絵を返せ」ってそもそも私のモノじゃねーし。
そうこうしている間に、劇団の方は本格的な公演が始まった。「私」が主役でサロメを演じているらしくて「へー、そう」ってすっげえ冷めた気分になる。
水守さんは別の劇団のオーディションを受けてて、通ったらしい。
あの人ならまあそうだろう。つえーもん。
私はバイトを終えて芸大と絵を描かれたベンチのある公園を往復する毎日を続けていて、ノドが渇いたなとコンビニに立ち寄ったら自分の名前が週刊誌に載っていて唖然とする。
なんじゃこりゃ。
なんの冗談だ。
パラパラ捲ってみると「私」の演じたサロメが話題になってインタビューとか載っちゃっていた。雑誌によると私は「停滞した演劇の時間を進める超新星、天才、来島寄」らしい。おぞけが登ってきて私は雑誌を閉じる。まじで意味わかんねえ。
私はコンビニを出て吉永さんに電話をかける。
「はい、もしもし」
「もしもし、ダメな方のヨリです」
吉永さんはちょっと笑った。
「なんかとんでもないことになってませんか?」
「君の実力が正当に評価されたね」
私じゃねえよ、ドッペル氏だよ。
吉永さんは雑誌に載ったことで客が激増してることを話す。私は頭が痛くなってくる。吐き気がして、眩暈がした。ドッペル氏は一体どこへ行こうとしてるんだ。私をどこに連れていくつもりなんだ。吉永さんは劇団がうまくいって嬉しそうで私の焦りをまったくわかってくれない。これからの劇団と私たちの明るい未来について語ってて私はイラついて適当なところで通話をぶち切る。
立ち眩みがしてコンビニの看板に寄りかかって座り込んだ。
私の人生が私の手から飛び出そうとしている。
状況はもしかしたら私が思っていたよりずっと深刻だったのかもしれない。
早く絵描き男を捕まえないといけないと思うが、私には芸大に通う学生のどれがそれなのかわからない。詰んでる気がする。
そのうちバイト先のドラッグストアで私は「ねえ、あれヨリじゃない?」と女子高生が囁いてるのを聞く。「まっさかー。ヨリはあんなに野暮ったくないよ」女子高生は私を通り過ぎていく。男性客から「握手してもらえませんか?」と言われる。断ると「そっか、そうですよね。失礼しました」頭を下げて去っていく。その頻度が段々と増えていく。
ていうか私は公演のある日に普通にバイト入れてるのに、なんで誰もその矛盾に気づかないんだよ。
「来島くん、こういうとあれなんだけど、ああいうのはうちとしては困るんだよ」
店長に言われる。
「ああいうの?」
「ほら、最近客がさ」
私のせいじゃねーよ。
「君も本業に集中した方がいいんじゃないかね?」
やんわりと退職を促される。
意地でもやめるか、バーカ! と思っていたところにSNSで「ヨリが働いている店、発見」とバカがぶちあげる。変な客が殺到してそいつらのマナーが最悪で、とうとう店長が頭下げてきて「頼むからやめてくれ」と言われる。
いーよ、わかったよ、やめてやるよ。
アパートに戻った私は一人で号泣する。明日からどうやって生活するんだよ。ゆうちょ銀行のATMで金を下ろそうとしたら、貯金の額が七桁に増えていた。何かの間違いだと思って銀行に相談すると、たしかにそれは正規の方法で振り込まれていてあちらさんから間違いじゃないことのお墨付きをもらう。振り込んだのはわりと有名な芸能事務所だった。
私がドラマに出演することになっていた。
整形したのか? ってくらいにメイクで顔の変わった私がテレビドラマの予告編に映っている。
このころにはマスクなしで外に出れなくなった。道行く人が「あ、ヨリだ」私を指さす。怖い。
新しいバイトが決まらなくて元々の貯金が尽きて私はいつのまにか八桁になっていた金に手をつける。
最初は戦々恐々と。あとは雪崩みたいに金を使い始める。
ろくに着もしない服とか化粧品とかで部屋がいっぱいになってその無駄に包まれて。でも金の増える勢いはそれを遥かに超えている。金が減らない。どれだけ頑張って私が金を減らそうとしても減らない。私は意味もなくさみしくなってむなしくなって自分が否定されている気がして吉永さんを部屋に呼び出す。吉永さんは結構すぐにやってくる。山盛りの服とか化粧品を見てちょっと驚く。私は泣きながら愚痴る。
テレビのバラエティ番組の中で気の利いたことを言ってみんなを笑わせる私。かろやかに出演しているドラマの番宣をする私。ドラマの中で増田貴久と共演してにっこにこの笑顔を見せている私。全部くそ気持ち悪い。全部全部死ねばいい。返してくれ。劇団で端役やってた私の生活を返してくれ。私の役を返してくれ。泣きじゃくる。虚無感でいっぱいの私の延々とした愚痴を吉永さんは文句の一言も言わずに聴いてくれて私を抱きしめてくれる。
持っていたはずの触れられる嫌悪感はさみしさに呑まれて負ける。「大丈夫、恐がることはないよ。君はちゃんとやってる。大丈夫だよ」多重人格説をまだ支持している吉永さんの慰めはピントがずれている。「僕に任せて」吉永さんは私の体に触り慣れていて、どこに触れられると心地よくてどこに触られるのが嫌いなのかばっちりわかっていて結局私は家で飼われているネコみたいな気分で吉永さんに身を任せてしまう。
吉永さんは仕事中と練習中以外で私が呼び出すとすっとんできてくれる。
それが唯一の慰めな気がして私は吉永さんに抱かれたり抱いたりする。
成功したかった。
金が欲しいと思っていた。
バイト辞めたいと思っていた。
男だって欲しかった。
でもそれらは全部、私の演技が認められての話だった。
何もせずにポンと成功と金と男を与えられてバイト辞めさせられても困るだけだった。
なんなんだ、これは。夢でも見てるのか。悪夢寄りの。
ヨリだ! と指差されるのが怖くて、イヤで、ろくに外にも出れずに何か月か経ったある日、水守さんから電話がかかってくる。
「あんたとんでもないことになってんね? あれやっぱりドッペルの方よね?」
ただ一人、私の状況を正確に理解してくれている水守さんの声に私は泣きそうになる。
「芸大の文化祭あるんだけど、あんた来る?」
水守さんが言う。




