水守さん
「要約すると」
私が散々泣きわめいた内容をどうにかこうにか拾い集めた水守さんが人差し指を立てた。
ようやく少し落ち着いてきたけどまだぐすんぐすんひっくひっくやってる私が三角座りで膝を抱えて水守さんを見上げる。
水守さんは勝手に冷蔵庫をあけて麦茶を取り出してコップに注いで飲む。
私の分をテーブルに置いて、勧めてくる。私も一口飲む。水守さんが椅子の上に座る。
「あんたは私の知ってるあんた。いっつも端役。演技力なし。表現力なし。でも練習はしっかりやるし、セリフも覚えてくる。だから下手なりに」
傷つくから演技力なし表現力なし下手と連呼するのはやめてほしかった。
「あたしが気に入ってたあんた。それなりに好感持ってたあんた。台詞は覚えてても、当然サロメなんてできない。劇団のみんながやってるのはドッキリ。きっとあんたをやめさせたいから。と、あんたの認識はこうなわけね?」
私はこくこくと頭を上下に動かす。
「でもあたし、あんたのサロメ見たわよ?」
「……なんかの比喩ですか」
「いや、ガチで。そりゃもうめちゃめちゃ上手かったわよ。あたし、あぁ、サロメってこういう娘だったんだって感動しちゃったもん。あんたがやるなら主役降りてもいいなって思っちゃったもん」
私は水守さんの顔を見つめる。悪意はなさそうに見える。水守さんは基本的に舞台をよくすることしか考えていない。尖っていてみんなと衝突することが多いけれどそれは全部「舞台をよくする」という方向に向いている。なんの得にもならない馬鹿なドッキリに付き合う人ではない、と思う。
「でもあんたはそんなことやってない、できないっていうのね?」
私は一度大きく頷く。
水守さんはちょっと考えたあとで「やってみてくんない? サロメ」と言う。私はとぼとぼと立ち上がり近所迷惑にならない程度に声量を押さえてサロメを演じる。水守さんがすぐに演技を止めた。
「うん、間違いなくあたしの知ってるあんただわ」
「……」
だから自覚しててもはっきり言われたら傷つくんだっての。くそ、できる人族め。
それから不意に水守さんが半笑いになって「あんた似顔絵を描かれたなんてことないわよね?」と訊いてくる。
似顔絵? 一か月くらい前にバイト帰りにカンバス抱えたきれいな顔した大学生に声を掛けられて「キャッチセールス? ツボ買わされる!?」って警戒してたら「千円あげるからそこのベンチに十分だけ座ってモデルやってもらえませんか?」って言われて、千円せしめたことはあったけど、それが何?
そのことを話しながら、私はようやく水守さんがなにを考えたのか思い当たった。
「ドリアン・グレイの肖像?」
『ドリアン・グレイの肖像』は1890年にオスカー・ワイルドによって書かれた小説だ。劇作家であるワイルドが書いた唯一の長編。私は小説には決して明るい方じゃないけれど、『サロメ』を演劇にまとめたのはワイルドだから、ワイルドがなにを考えてたのか知りたくてこの本だけは読んだ。
あらすじはドリアン・グレイという美しい青年がいて、彼がバジル・ホールワードという画家に肖像画を描かれる。ドリアンは肖像画の中の若く美しい自分の姿を見て、これから歳を取って醜くなっていくことに強い恐怖を覚える。ところがドリアンは決して老いることなく肖像画の中のドリアンが代わりに歳を重ねていく。
この作品は「ドッペルゲンガー」が登場する代表的な作品の一つだと言われている。
でもそんな馬鹿な。と私は思う。けど水守さんは「あたしが見たのは間違いなくあんただったし、あんたが違うっていうんなら、ねえ?」と引き攣った顔で言う。
「一応訊いとくけど、双子とかじゃないのよね?」
弟はいるけど私とは似ても似つかない顔だ。
「ドリアンは肖像画に“僕の代わりに絵が歳をとればいいんだ!”って願ったけど、あんたは絵に何を願ったの?」
「特別なにも考えてなかったけど、演技が死ぬほどうまくなってみんなからちやほやされてうなるほど金稼ぎてー。バイトしたくねー、男ほしー、とは常々思ってますね」
「……それじゃないの?」
「え」
「あんたのドッペルゲンガーがやろうとしてること」
「はぁ」
私は気のない返事をした。
たしかに見方を変えてみて「私の演技が下手である」という一点を外しさせすれば、吉永さんは私をちやほやしていた。他の団員も、水守さんという暴君で自分に拮抗する演技力のある人の言うことしか聞かないくそ性格の悪い人間に演技力で対抗できる人が表れたことを喜んでいるように見えた。そっか、あれは嫌がらせじゃなかったんだ。よかった。……と、ここまで考えて「これまで含めて全部ドッキリの一環では?」という思考が頭をもたげた。私の顔をしたドッペルゲンガーが現れて見事にサロメを演じて見せた! というわけのわからない話よりは現実的な結論のような気がした。
私は水守さんを見る。
「?」
そんでこの「ドッキリ説」をようやっと否定する。この頭の隅まで演劇が詰まっている、劇と関係ないドリアン・グレイをきちんと網羅しているこの水守さんって女が、吉永さん達と一緒にニコニコ笑って「あいつ破滅させたらおもしろくなーい?」と言ってる絵面が私には想像できなかった。水守さんはもっとストレートな人だ。この人は「やる気ねーんならやめろよ、ドヘタクソ! てめえがいると舞台がしらけるんだよ!」と首根っこ掴んで怒鳴りつけるタイプの人だ。こっわ。
というか、そもそも水守さんと吉永さんはそんなに仲がよくない。水守さんは他人と仲良くできるほど性格がよくない。頭の中に演劇しか詰まってなくて、気遣いとか優しさとかそういうものを母親のお腹の中に置いてきてしまった人なのだ。
……さっき水守さんにあやされてた私が考えることじゃねーな、これ。
「なんかあたしの悪口考えてる?」
「そんなまさか」
「ならいいんだけど。ってかあんた、どうするの?」
「えっと」
「止めるの? あんたのドッペルゲンガー。このへんでカンバス持ってて絵を描いてる若い男って言ったら十中八九、あそこの」水守さんが東京芸大のある方向を指さす。「学生でしょうけど。関係あるかわかんなくても絵だけ取り返してみる?」
「……いまちょっと混乱してるんで、あとで考えます」
「そう」
水守さんが立ち上がった。
「じゃ。あたしそろそろ帰るわ。急にきて悪かったわね」
「なにごとかと思いました。投げ飛ばされたし。服伸びたし」
私は自分のスウェットの襟に触れる。
「……悪かったわ」
実際そんなに気にしてないけど普段居丈高な水守さんをやりこめるのはちょっと楽しかった。
水守さんが靴を履いて出ていく前に立ち止まって振り返った。別に言わなくてもいいんだけど、みたいな感じで「ちょっとだけ残念だわ。あたし、あんたががんばってるのだけは知ってたから。あ、この子、芽が出たんだ、よかった。ってどっかで思ってたのよ。才能と顔だけでやってる吉永なんかよりあんたのが好きなのよ」と言った。
それから「芝居、やめんなよ」と付け足す。
水守さんが出ていった。
扉が閉まる。
私はまた少しだけ泣く。




