私
時間を置いて、冷静になった。反省した。ここを出てしまえば私なんかを拾ってくれる場所はどこにもない。謝ろう。謝ってなかったことにしてしまおう。
で、土曜の練習に行ってみると水守さんが降板していた。
私はあのあとすぐに戻ってきて練習に戻ったのだそうだ。
そのあとなにかわがままをいった水守さんに吉永さんがキレて「じゃあもう君なしでやるよ」と言ってしまった。「誰が代わりやるっていうのよ!」と叫んだ水守さんの前で吉永さんが舞台袖にいた私の手を取って真ん中までこさせてサロメを演じさせた。
私は見事にサロメを演じて祝宴の舞踏で踊って見せてユダヤ王ヘロデに預言者ヨカナーンの首をねだった。拒絶して他の物ならばなんでも与えるというヘロデにそれ以外に欲しいものはございません、首をください、あの男の首をください、ヨカナーンの首をくださいと繰り返した。
私の演技を見た水守さんは悔し涙を流して練習場を飛び出していき、そのまま戻ってこなかった。……ことになっていた。
ドッキリは継続中らしかった。わけがわからないうちに着替えさせられる。
「水守のサイズにあわせてるからちょっと大きいわね。大丈夫?」
「ええ、はい」
サロメの恰好をさせられた私を「さぁ」ヨカナーンに扮した吉永さんが舞台に導く。私は舞台の上からみんなを見る。中央。夢見た場所。タチの悪いドッキリではあっても私はいまここに立っている。
私は緊張と歓びがないまぜになって頭の中がぐっちゃぐちゃになる。
これから地面に叩きつけられて粉々になる妄想と、うまく演じ切ってみせてみんなの拍手が私を包む瞬間の妄想で脳内が二極化されていって、爆発する。
セリフは全部覚えている。水守さんの所作だって覚えている。他の劇団がやっていたDVDだってたくさん見た。どうすればいいかは目の中に焼き付いている。実際に家で一人でサロメになり切ってみて悦に浸ってたことがある。形式上はできる。魅力的に見えなくていいならできる。みんなの視線が怖い。でもやらないと。ここに立った以上はやらないと。
私は声を張り上げた。
ユダヤの王女、若く美しいサロメ。
高慢で自分の魅力を知っている。
ヨカナーンに恋をするけどヨカナーンは母の不貞によって生まれたサロメの生い立ちをなじる。
傷つけられることを知らないサロメはヨカナーンの罵りが我慢ならない。
手に入らないヨカナーンを憎む。
私は自分の中に眠るサロメに近しい部分を呼び覚まそうとする。
でもダメなのは自分でもわかった。
私は美しくなく、傷つけられることになれていた。
誰かが本当に自分の手の中に納まったことなんてなかった。
望んだものが手に入ったことなんてなかった。
激しい恋に陥ることなんてなかった。
何にも不自由しなかったサロメの気持ちなんてわかるはずがない。
たった一度の邂逅でヨカナーンに恋をして、憎んだサロメの気持ちなんてわかるはずもなかった。
吉永さんが手を叩いて、舞台を止めた。
みんなの落胆が聞こえた。私は羞恥で窒息しそうになった。
「今日は調子が悪いみたいだね?」
吉永さんが言った。優しい声だった。
「違います。これでも調子はいいんです」
私は言った。
「これが私の実力なんです」
心が切り裂かれる感触があった。
これが私の実力。
知っていた。わかっていた。できない。やれない。もういいでしょう? 自覚してるんですよ。
でも言葉にするのは辛い。伸びしろありません。才能がありません。がんばりました。何冊も本読みました。練習しました。ここが限界でした。これでいいですか。満足ですか。端役に戻っていいですか。それともクビですか?
私は俯いた。屈みこんだ。
泣きそうになったけどそれだけは堪えた。あまりにも惨めだったから。
「そうか」
吉永さんが私の頬に触れて、その手を顎へと滑らせた。優しい手つきで私に顔をあげさせた。
もういいだろ。ドッキリ大成功だよ。私はもうボロボロだよ。立ち上がる気力もねーよ。粉々だよ。
「水守に気を使ってるんだね? 君は優しい子だな」
……私は劇団をやめた。