モ、モンスターかよ
…雨?
もしかして私、外で寝てる?
家に帰って寝なきゃ…
エミーリアはううんと仰向けの姿勢からうつ伏せになって、体を起こした。
気配を感じて立ち上がり周りを見ると、血が出ている腕をハンカチで押さえているレンフェーンと、血の付いた剣を持って立っている隣のクラスのメンヘラモブが視界に入った。
…はい?
なんで私の最推しが流血してるの?
血を流してる姿もかっこよすぎるんだけど。まさか私の鼻血がかかっちゃったわけじゃないよね?
尊いレンフェーンのお腕が、何か知らんけどメンヘラモブに切られてるんだよね?
ならば、おいたが過ぎるモブにはヒロインが月に代わって天誅を下してやる。
エミーリアの眠気は一瞬で霧散した。
そしてメンヘラ君を視界に捕らえて、強く握った拳を振りかぶる。
ぼきゃぁぁぁぁぁぁん
メンヘラ君の一番近くにあった木が、メンヘラ君の目の高さで折れて吹っ飛んでいった。
大木を拳で吹き飛ばしたエミーリアがメンヘラ君の方に振り向いて、その細い手首をぐるりと回す。
メンヘラ君が「モ、モンスターかよ!」と叫んで体育館の方に逃げ出そうとする。
アミーリアは逃げたメンヘラ君の眼前までタッと駆けると、
ばきゃぁぁぁぁぁん
メンヘラ君の目の前をエミーリアの拳が横断し、彼の左横にあった倉庫に一突きで風穴が開いた。
そして拳を倉庫にめり込ませたまま、エミーリアはゆっくりメンヘラ君と目を合わせた。
にっこりと笑ってあげる。
皮肉にも、咲き乱れる花と見紛う程の可憐な微笑みが、頬についたレンフェーンの血を益々凄惨なものに見せていた。
それを見て暫く口をパクパクさせていたメンヘラ君だったが、やっと口を開いたかと思ったら、
「こ、こ、こんなモンスター女子と、こ、婚約なんてしたくない!」
メンヘラ君は心底恐ろしいという顔で叫んで、脱兎のごとく逃げていった。
…何それモンスター女子?
モンスターなんて、何処にもいないよ?きょろきょろ。
ここにいるのは純真無垢でみんなから愛されるヒロイン乙女だけだよ?うんうん。
エミーリアは、もつれる足で逃げていくメンヘラ君を見送ってから、血をぼたぼた垂らして体育館の壁に背中を預けているレンフェーンの元に駆け寄った。
レンフェーンの制服もところどころ血が付いている。エミーリアの親指を止血しても真っ白に見えていたハンカチは、今レンフェーンの血で真っ赤に染まっている。
エミーリアは急いでレンフェーンの脇に膝をついて回復の光魔法を使った。彼の腕の傷は一瞬で治る。
「エミーリア。お前はあの男には血をやったのに、まさか俺にはまだ差し出せないと言うんじゃないだろうな」
静かにしていたレンフェーンがエミーリアと目を合わせて、おもむろに口を開いた。
まだ血のことが気になっているようだ。
「モブ男君に血をあげた…んですか?私が?わ、私、献けちゅなんて生まれてこの方一度もしたことありませんけど」
レンフェーンという至高のイケメンの瞳に見つめられ、舌が上手く作動しない。
「献血じゃない。これだ」
レンフェーンがガッとエミーリアの手を握り、くいッと顎を動かして彼女の切られた親指を示した。
エミーリアの手をレンフェーンが握っている。
エミーリアはもう一度確認した。エミーリアの手をレンフェーンが握っている。
レンフェーンは相変わらず涼しい顔をしているが、エミーリアは血沸き肉躍る状態であった。
…っきゃああぁぁぁぁぁ!何これご褒美?
私がヒロインとして、どんな逆境にも負けなかったから、ヒロインよくやったで賞!?
ってか、イケメンがヒロインの手握ったんだから、責任取って結婚してくれるよね?
早く市役所に婚姻届け届けに行こうよ!それでエミーリア・フォン・ダグラスって苗字替えた名刺作って学園中に配らなきゃ!
「あの男はこれを使って、婚約の誓約書にお前の血判を押していた」
昇天し始めていたエミーリアを地上に引き戻すかのように、レンフェーンの声が真実を告げた。
エミーリアの顔は一瞬にして曇った。
…えええええ、何それお先真っ暗じゃん!
一寸先は闇過ぎるじゃん!
私、知らないうちに隣のクラスのメンヘラモブ男君と婚約しちゃったの?!
レンフェーンと結婚できないの?
じゃあ私の名前、エミーリア・フォン・メンヘラモブ子になるの?満遍なく地獄!
「どうした?顔色が悪いぞ」
「わ、私、モブ男君を捕まえて誓約書燃やしてきましゅ」
最推しのレンフェーンが綺麗な方の袖で、エミーリアの頬についた自身の血を拭おうとしているのにもかかわらず、エミーリアが震える足で立ち上がった。
その据わり切った瞳からはモブ男君ごと燃やしかねない殺気が放たれている。
そのエミーリアの垂れた腕が、ぐいっと下に引っ張られる。
おどろおどろしい殺気も意に介さず、レンフェーンが手を引いたのだ。
「あの男が誓約書に自分の血判を押して誓いを立てることはないだろう。
それより、お前が傷を治す前にここで採血させろ。本当は空気に触れてない血の方がいいが、研究がずっとお預けなのよりはマシだ」
エミーリアをすとんと自分の横に座らせたレンフェーンは、エミーリアの傷ついた親指を見ている。
もう血は止まっているようだ。
「あ…もう血止まってますね。
私、短剣持ってますけど、もう一回切りましょうか?注射じゃないなら耐えられますよ」
エミーリアは提案した。
最推しのレンフェーンが、傷口から出る血でもいい、そんなに血が欲しいと言うなら、もう少し皮を切るくらいいいかなと思ったのだ。
何度か頼まれて、最推しの為に挑戦してみたが注射は怖くてどうしてもだめだった。
だが親指の傷を少し広げるくらいなら、回復魔法も使えるし跡も残らないし全然耐えられるだろう。
エミーリアが短剣をすちゃっと取り出し、自らの親指にあてがうと、レンフェーンの手がそれを制した。
「いや、いい。ここで切るな。痛いだろう」
そしてレンフェーンは優しく首を振る。
…何それ神なの?
いつも注射を迫ってくるけど、私がべそべそしだしたら絶対やめてくれてたし、今、傷はこれ以上つけたら痛いだろうって心配してくれて。
何この推しは全知全能の神なの?私の最推し、スーパー尊過ぎる。私、毎日ハイパー崇め奉る。
人への思いやりにあふれている。かっこよすぎて可愛すぎて優しすぎて愛おしすぎて、その最推しが今私の隣にいるって、何これ最高過ぎる。
エミーリアはうとうとと甘い空気に浸っている。
その隣にいるレンフェーンはというと、エミーリアの手の甲を興味深そうに触っていた。
「あとお前の身体能力の高さにも興味が出てきた。麻酔をかけるし痛くしないから、お前の骨の研究もしたい」
「…へ?」
「あとは、細胞も研究したい。口腔内を少しひっかいてもいいか」
「へ?」
…何それ告白?
私のこと、骨の髄まで愛してくれるって意味にとればいいの?
シェイクスピア顔負けの文芸的表現に酔いしれればいいの?
それに、口腔内を引っかくって、キスの詩的表現だったりするの?
それとも接吻の学名?チューの医学用語?
『骨を研究したい』は文字通り骨を見たいという意味で、『口腔内を引っかく』というのも口腔粘膜は細胞が取りやすいだけであって、キスではないとエミーリアが思い知ることになるのはまた後日である。
その事実に気が付いた時、エミーリアは泣きながら全力で最推しから逃げていた。
…何これダメ絶対。
私ハムスターにはなっちゃダメ。
骨なんか見られたら、結婚してもハムスターとしてしか見てもらえなくなっちゃうじゃん。
細胞なんて研究されたら、ハムスターとキスなんてできないって言われちゃうかもしれないじゃん。
レンフェーンから逃げるエミーリアが角を曲がったら、いきなり最推しの顔が現れた。
エミーリアを待ち伏せしていたのだ。
そしてハッと息を飲むエミーリアの手首をつかみ、レンフェーンは最高の微笑みをその美しい顔に湛えて言った。
「エミーリア。ハムスターではなく、モルモットだ」
…はあん。
やっぱりハムスターでもモルモットでもいいから、結婚して。




