557 王女の根回し
「今、何と申した」
儂の問いに、報告を持ってきた騎士が跪いたまま同じ言葉を繰り返す。
「は、ライワ伯爵家の『使節官』殿は、三日前に王都を出られた由に御座います」
三日も前だと、いくら王都が混乱しているとは言え、なぜこれほどにまで情報が遅いのだ。そもそも、もう何日も前から当家が面談の席を設けようと手配を進めていたというのに、約束を取り付ける事はおろか、動向すらまともに掴めなかっただと。
あ奴が釈放されたばかりの時には、積極的に諸貴族家と交渉を進め社交の場にも頻繁に顔を出していたというのに、気が付けば交渉を進めている相手以外とは殆ど会う事も無くなり、当家が渡りを付けようとしたときには……
「旦那様、やはり開戦初期に当家も『使節官』殿と接触を図るべきだったのでは」
会議室に居並ぶ家臣共の中から、ふざけた言葉が聞こえるが、今更そのような事を言ってどうするのだ。
「出来る訳が無かろうが、あの状態で我がミュデュシュン家から交渉を持ち掛けておれば、ライワ家の圧力を背景に足元を見られるのは目に見えていただろうが。現に交渉を行っていた主戦派貴族達の殆どが、ライワ家から法外な要求をされ受け入れざるを得なかっただろうが」
マインのクラスター家と縁戚で有り、更には息子のブラインドがやらかしている以上、こちらが下手に出るようなマネをすれば、どれほどの権益を奪われていたか分からなかった。
「伯爵閣下のおっしゃる通りだトーネー卿。そもそも、あ奴はライワ家の家臣としてこの王都に滞在していたのだ、たとえ渡りが付けられたとしても、神殿との交渉になったとは思えぬ」
「そうは言っても、『使節官』殿が神殿から高位僧侶の位階を授けられていたのは事実、であれば彼に伝手を作れていれば神殿と交渉する事も可能であったろう。結果として、事態がここに至ってから交渉を始める方が不利となったではないか。既に神殿軍はミュデュシュン領へ指呼の間にまで迫っている。でありながら王都から本領へと向かう途中の貴族領が陥落したために、本領との繋がりもほぼ途絶え、我らは命懸けで敵占領地を突破して来る伝令の知らせでしか状況を知る事が出来ぬのだぞ。この王都にしても、ムルズ湖が抑えられている以上いつ戦場となるか分からぬ。今までのように、派閥の家々と足並みをそろえている余裕などない、今すぐにでも当家だけでも神殿と講和せねば、待っているのは破滅ですぞ」
「だが、遅すぎるではないか、時機を逃した今になって単独講和などとなれば、あの神官長の事だ、どのような無理難題を押し付けて来る事か。それに抜け駆けでの講和である以上は、主戦派の諸家、諸派閥からどのような制裁が有るか分かった物ではないぞ。こうなった以上は講和するにしても次の好機を待たねば、せめて幾つかの家と合同して一戦しかけた上で勝利し神殿の意を挫かねばまともな交渉など出来ぬ。閣下どうか御考え直しくださいませ、今は時期が悪うございます」
「ここまで追い込まれて、局地戦でとは言えまだ勝てる目が有ると申すか。貴殿は遅すぎると言われるが、そもそもピロホンの敗戦の際に、まだ盛り返せると言っていたのは貴殿等であろうが。それがどうだ、徐々に押し込まれているばかりか、頼みの綱の秘薬までほとんどを失ったというではないか、挙句の果てには王都までいつ陥落するか分からぬ状況、これ以上どうよくなるというのだ。貴様たちは本領が陥落し、我らが軒並み斬首される段になっても、時機を待てと言うつもりか、その頃にはもはや命乞いすら聞いて貰えぬだろうよ。閣下、日数を費やせばそれだけ事態は悪化し、交渉条件は厳しい物となりましょう、いやこれ以上手を拱いていれば、講和自体できなくなるかもしれませぬ、皆殺しにしてすべて奪える状況で、話し合いなど時間の無駄でしかないのですから。『使節官』殿が王都を去られても諦める事無く交渉の窓口を探されませ」
「言葉が過ぎるぞ、言うに事欠いて」
「ならば、貴様らでムルズ湖を奪還できるのか、すでに何度も敗退し多くの軍船が漁礁になり果てたというのに」
「ぐ、だ、だが、今更、神殿が当家との単独講和を受け入れるのか。開戦の原因となったマイン様、いやクレイモア子爵令嬢は伯爵閣下の姪御だ、更にはブラインド様もあの冒険者、いやライワ家と揉めている。あの場にはシェル男爵家に仕官した我が息子もいたが、王女殿下の不興も買い死を賜りかねぬ状況だったという。今は戦争に伴ってその話は止まっているが、このまま講和、いや降伏となれば当家はともかくシェル男爵家はタダでは済みませぬぞ、貴殿らは伯爵家の分家を閣下の御子であるブラインド様や男爵家に仕える我らの親族を見殺しにする気か。クレイモア子爵令嬢がどのようになったか、貴殿らも伝え聞いて居ろう」
「だからこそではないか、ライワ家は『使節官』殿の身に何かあるか、或いは『使節官』殿が開戦を宣言しない限りは直接参戦しないと明言していたからこそ、当家は静観する猶予が有ったが、神殿相手の交渉にそのような時間はない。講和を結ばねば分家だけではなく、御本家までも報復を受けかねぬのだぞ。現状のままでは、当家は神殿の優先目標にされかねぬ。シェル男爵家には、御本家の為に犠牲となって頂こう。御家が第一という事はブラインド様もご理解されて居りましょうぞ」
「もう良い、神殿との単独講和は儂が決めた事、貴様らが議論しても仕方なかろう」
いつまでも同じ議論を続ける家臣共に、思わず声を荒げてしまう。講和しかない事は、もう分かり切っておるだろう、主戦派などという沈む船にいつまでもいれば、儂が人身御供にされかねぬ。
ブラインドの事は諦めねばならぬだろうな。聞けばあの子は王女殿下の護衛として付いていた、『使節官』を賊と断じ剣を向けた上に、奴の私物の女奴隷にも手を出そうとしたとか。しかも、王女殿下の純潔まで疑ったために、殿下が御自ら素肌を晒す事態にまでなった以上は、死を賜るのは避けられぬであろう。
当初の予定通りならば、開戦に際したマインの策が上手く行く事で、全てを帳消しに出来たはずなのだが、もはや望むべくもない、せめて苦しむ事の無いよう手配するしかないか。建国より続くミュデュシュン家を儂の代で潰す訳には行かぬのだから。
開戦のきっかけとなった例の事件に際し、事前にマインから送られていた書状に有った、王女殿下への無礼は、開戦の大義名分を作ったマインが他の王族方にとりなして、ブラインドたちは無罪となるよう手筈が取れているという文面を信じ、ブラインドを始めとしたシェル家の者達を王都へ呼び寄せていたのも、逆効果となってしまった。
「して例の『使節官』に追手、いや引き戻す為の使者は送ったのであろうが」
いくら神殿の高位僧侶の位を受け、ライワ家の家臣格の扱いを受けているとは言え、一冒険者風情にここまで煩わされるのは業腹ではあるが、それでも家を残す為には、恥を忍んで頭を下げねば……
「そ、それが王宮のクローニ子爵のお話では、既に王領を抜けられ、恐らくは神殿側の部隊と合流しているのではと、現状では当家の者が接触を試みれば、捕縛される恐れが高いかと」
たった数日移動しただけで、もう神殿の勢力圏になるだと、幾ら湖とそれに繋がる河川が抑えられているとは言え、陸上でもそこまで攻め込まれているなど、やはりもはやこの戦に勝ち目はないか。
ライワ家や『使節官』を介した交渉が無理ならどうすれば、王都のライフェル神殿は複数の家の兵達が封鎖しており、許可が無ければ出入りは出来ぬし、監視も多い以上はすぐに他家に知られ、妨害や場合によっては講和する事への報復などもあり得る。
かと言って、神殿と繋がりのある家は殆どが既に王都を出て領地に戻っておりすぐには渡りを付けられぬ。間違いなく神殿との交渉手段を持っているであろう第二王女殿下は、ブラインドの事がある以上は……
「会議中失礼いたします。伯爵閣下に急ぎお伝えする必要がありましたので」
会議室の戸が開けられ使用人が入って来るが、このような無礼をするとは何が有った。何か書状を恭しく掲げているが、あのような扱いをするとなると、王家やそれに類する御家からの物か。
「どうしたのだ」
「たった今、王宮より先触れの使者が参りまして、まもなく王女殿下がミーラ・ティア・ムルズ殿下が、当家へと御来訪なさると」
当家の謁見の間の下座、中央の赤絨毯の両脇脇に家臣共々跪き首を垂れると、入口より殿下付きの宦官が声を上げる。
「ムルズ王国第二王女、ミーラ・ティア・ムルズ殿下、御入来」
声の響く少し後に、謁見の間の扉が開かれ、下げた目線に絨毯の上を進むスカートの裾と、それに続く幾つかの陰が差し込む。
本来であれば、幾ら王族であろうとも、王位継承の目がほぼ無い継承権第7位で役職も持たない第二王女、それも後見人や派閥に有力な貴族がほとんどいないどころか、以前には落ち目とみられていた和平派しかいないミーラ王女に、ここまで下手に出て謁見の間の上座を譲る必要などなく、応接間などで十分なはずなのだが、今の情勢下で神殿との繋がりを持っているであろう唯一の王族であり、ブラインドの一件もある以上、最上位の出迎えで対応するのは致し方ないか。
「楽にさせよ」
「御意、皆の者面を上げい」
先ほどと同じ宦官の言葉に、下げていた頭を上げると、階の上の椅子に座られた殿下とその横に立つ見知らぬ女、それと階の下に控える宦官が更に言葉を続ける。
「ミュデュシュン伯、殿下はそちの直答を許される」
「お許しありがたく、王女殿下、御自ら当家へ御来訪頂き、恐悦至極に存じます」
「うむ、急な訪問であったが伯爵家の礼を尽くした出迎え大義である。これに居るのは、ライフェル教、フレミアウ法師の高弟キリア・ミカミだ」
ライフェル教のミカミ、あの『臓華師』か最近で言えば『鬼軍荘園』や『人狗銀鉱』での戦闘で活躍し、南方域では遊撃戦で幾つもの家が被害に遭っていると聞くが、その女が王女殿下と共にいるとなれば、やはり神殿と殿下は繋がっているのか。
「ミカミ殿、よしなに願います」
「して伯よ、そちに内々の話がある、他の者を下げよ」
人払いの指示に、背後で跪いている家臣共が動揺したのか、小さな呟きが幾つも聞こえる。神殿の武闘派ともいえる相手が居る状況で、護衛となる家臣や供回りを下げろとなれば儂の首を、いやそれならば殿下が連れて来る筈はないか。
王都の貴族邸を訪問した状況で、同行者がその館の主を討った等となれば殿下の立場は無くなる。
だが、一体何が目的なのか、いや今はそれよりもこの機会で何とか当家と神殿の繋ぎを付けねば。
「承知いたしました、下がれ」
家臣共が部屋から出ていくと、儂と殿下、それに殿下の連れてきた二人だけが残される。
「楽にしてよい、ちこう寄れ」
「御意」
殿下の言葉に従い立ち上がり、階のすぐ下まで進み、首を垂れる。
「よい、もっとちこう」
視線を下げたままで階を登り、殿下のすぐ目の前で止まると、左手が差し出される。両手でそれを頂き、中指に填められた指輪の宝石へ口付ける。
「実は、伯に良い知らせがあり、それと共に頼みたき用が有り参った」
「殿下のお役に立てるなど、望外の喜びではあります」
この状況下であれば、神殿も絡んだ話の筈。
「まずは、先日ライフェル神殿より内々の報せが有ったのだが、ミュデュシュン領近くに展開する神殿の部隊だが、戦略上の理由で、近日中に転進する事となった。ミュデュシュン領軍からの手出しが無い限りは、戦闘にはならぬとの事だが、万が一の事が無いよう、伯も書状を用意するとよかろう、必要があればこちらのツテで届けさせよう。予としても不幸な行き違いで、貴族領が一つ消えるのは望まぬ」
これは、こちらから手を出さぬ限り、当家の所領は見逃されたという事か。
「それと、以前あった、シェル男爵家の一件であるが」
ぐ、いきなりか、どうなる、何処まで連座が広がる。ブラインドやシェル家の者共の首だけで済ませられるのか、それとも当家にも、いやここまでの流れで有れば……
「神殿とライワ家からは、男爵が心より悔やみ反省しているのであらば、不問としても良いとの事であった。予としても先方がそう言うのであれば、事を荒げるつもりはない。名誉にかかわる話となるからな。当然のことながら、ミュデュシュン伯爵家も関係は無かろう」
首がつながったのか、確かに王族の肌を見たとなれば重罪ではあるが、殿下の名誉も傷つくこととなるから、なかった事にしたいというのはあり得るのか。
「ありがたきお言葉をお伝えいただき、伏して御礼申し上げます。当家と我が分家にとっては、まさに良き報せに御座いました」
だが、これほどの話を先にしてくるという事は、頼みというのはよほどの内容ではないのか、当家の失態に関して神殿からの譲歩を持ってきたという事は、神殿に絡んだ話であろうか。となれば講和、いや降伏に関しての事前の手回しなどかもしれぬな。比較的まともな要求で主戦派の何割かの家を切り崩せれば、残りの家もそれ以上戦う事は難しくなろうし。
それならば、この機会を逃さずに講和を結べば最小限の譲歩で済ませられる、いや上手くすれば神殿との講和の仲立ちをしたとして、他家に恩を売れるか。
「喜んでもらえたようで何よりだ、して、伯への頼みであるが、伯は今の王都の現状をどう見る」
「どう、と申されましても、臣には殿下の御心は皆目見当もつきませぬ……」
王都での事を聞かれるとなればやはり……
「既に神殿の軍はその気になればいつでも王都を奪える態勢を整えつつある。だが、神殿はいまだ動くことはない、いや動けずにいる」
そうだ、王族の方々が参戦されたとは言えあくまでそれは個人としての物で、王家はムルズ王国自体は中立、故に神殿は王都を攻める大義名分が無い、我々主戦派貴族が王都に居るという理由で、王領であるムルズ湖に展開している状況が、今の限界だろう。
これ以上は、王都を討つ大義名分が新たに出来ない限り神殿側も進む事は出来ない筈、それこそ国軍が一方的に攻撃を仕掛ける様なヘマでもしなければ。
「だが、神殿は此度の戦のような事が、二度とムルズで起こらぬよう、根本的な解決を望んでいる。どれほどの血が流れようとも、それが最後の一滴となるのであれば必要な犠牲であろうと」
「そ、そこまで……」
根本的な解決、という事はこの国の貴族達がもう二度と刃向えないように徹底的に叩いて力を奪う、いや、禍根の残るような家は一族郎党皆殺しも辞さないということか。
危ない所だったのか、もしもこのまま主戦派に居れば、家臣共の叫んでいた通り当家の者の悉くが首を失う事となっていたやもしれぬ。
「だが、神殿とて情けが無い訳ではない。我がムルズの者共が自ら過ちを正し、自らの手で膿を出す事で、自浄作用を示すのであれば、ライフェル神はその決断を祝福されるだろうと」
過ちを正す、膿を出すだと、まさかそれは、貴族達を説得したうえで講和に持ち込むなどではなく、我らの手で主戦派貴族達を……
「そして、真に国を治めるべき者が、その役割を自覚して付くべき立場に付き、成すべき事を成すが為に行動する時、助けを求められれば神殿はいかなる支援も惜しまないと」
真に国を治めるべき者だと、その言い方では現王陛下とは別に、王となるべき者がいると、そしてその者が王になろうとするという事は、殿下は本気なのか、本気でそのような。
まさかこのような話が飛び出て来るとは、このような話を聞かされた以上、もしも断れば『臓華師』が儂を殺しに動くか。謀反の誘いなど断れば口封じするしかなくなるだろう。だが、王女殿下が至尊の位に付かれ女王となられれば、それを助けた当家の権勢は。
まして、神殿がいかなる支援も惜しまないとなれば、王女殿下が支援要請すればそれを大義名分として、王都に神殿軍が乗り込んでくるという事か、その戦力を背景にすれば簒奪など容易ではないか。
「他にも、幾つかの家に頼もうと思ってはいるが、今後我が国が神殿と上手くやっていく上でも、『手土産』は必要であろう」




