1. 目に入らぬか
「お前の代わりはいくらでもいるんだよ」
蔵持課長の口癖だ。俺は安西、三十一歳の会社員。朝礼で聞き、残業中に聞き、熱で休ませてくれと電話したときにも聞いた。代わりがいるなら代わってくれよ。終電で帰った翌朝、机に伏せたきり動けなくなった――――。
気がつくと、まぶしい所で女神が泣いている。俺の勤務表を読んだらしい。
「かわいそうに! 鑑定も魔力も、全部あげる! 次は幸せになるのよ!」
使い道の説明は無かった。鑑定は人や物を見ると文字が浮かぶ力で、俺にしか読めない。魔力は使っても減らない。生まれ直した先は王様の娘で、名前はピピン。
やった――――今度こそ働かなくていい。
三年は天国だった。起きて、食って、昼寝して、また食う。中身が三十一のおっさんだとは、誰にも言っていない。言えるかよ。毎晩「おやすみ、ピピン」と頬にキスしてくれる人に。
三歳の春、王宮から賢者の石が消えた。聖女が使えば強い結界を張れる。心の汚れたやつが使えば、欲望が暴走して悪逆非道になる。国の存亡にかかわる一大事だ――――。
「あらまぁ、大変ねぇ……」
大人たちが走り回る足の間で、俺はビスケットをかじっていた。そこへ神託が下る。
【回収できるのは王女ピピン】
「――へ?」
広間じゅうの目が、粉だらけの俺に集まった。パパが玉座から転げ落ちる。
「ならん! ピピンはまだ三歳だぞ! ひとりで靴も履けんのだぞ!」
稟議は俺の頭の上を通っていった。
三歳で出張?! マジかよおい。女神! 話が違うじゃねーか!!
◇
旅に出て七日目の午前、川べりの村に着いた。川風に染料の匂いが混じり、土手には茜や藍の布が旗みたいに干してある。なのに、機織りの村で機の音がひとつもしない。
旅の一行の名目は『商家の娘の療養』だ。石が消えたのは国の秘密で、大勢で動けばすぐ漏れる。だから連れは四人きり。石は欲の深いやつに寄っていくらしいので、偉そうな悪党を順に当たる。俺の席は、短く刈った赤毛の騎士ボルグの肩の上。見上げるような巨体のおかげで、見晴らしだけは役員級なんだよな。
「キャーー! やめてぇ!!」
広場で、手下に引かれた亜麻色の三つ編みの娘が足を踏ん張っていた。織り手のカタリン、二十二歳だと、ささやき声で分かる。手下の抱えた布の束から一枚が泥へ落ちた。
油でなでつけた黒髪の村長ボドーが、胸を反らし、短足で道をふさぐ。カタリンは澄んだ青い目を上げた。
「その布は私が織ったんです! 盗んでなんかいません! 糸も染めも、私がやったんです。機を返してください、私の仕事なんです!」
村人たちは足もとばかり見て、ささやき合う。
「カタリンで七人目だよ。布も機も取られて、次はうちかもしれない」
ボドーはえらの張った顔を傾け、金歯を見せた。
「盗人の織り手の代わりなんぞ、いくらでもいるんだよ」
「ん?!」
その言い方を知っている。背骨が勝手に丸まり、肩の上で頭を下げかけた。死んでも、この癖が抜けねえか。そのあとで腹の底が煮えてくる。俺は三角の黒い目をにらみ、鑑定する。
【ボドー 職:村長 したこと:濡れ衣七件・横領 今夜の予定:牢の娘に夜伽を命じる 女神の一言:こいつ嫌い】
村に機の音がしないはずだ。しかも今夜の予定がこれかよ。今すぐ焼いてやりたいが――鑑定は俺にしか読めないし、魔法には乱発しないとの母との約束がある。泥の布が、手下の靴に踏まれかけていた。俺はボルグの肩をぎゅっとつかむ。
「ボルちゃん、おりる。いま。ぴぴん、あるくの」
ボルグはしゃがんだ。岩みたいな四角い顔を寄せ、団子鼻の上の小さな緑の目で俺を見る。
「おう、お嬢、あわてちゃいけませんぜ。そのまん丸の顔に小さな鼻、うちの末娘にそっくりなんでさ。転んだら、おれが泣きますぜ」
俺は支えられて地面に足をつけ、息をつく。
「よっこらせっとぉ」
先頭の騎士が振り向いた。王国一の剣で、笑わない男、アルヴィドだ。首の後ろで束ねた長い黒髪を揺らし、アルヴィドは細身の長身を折る。
「お嬢様、いま何と? お体が痛むのですか? まだ旅の途中です。無理をなさる必要はありません」
しまった、腰から年がばれる。俺は慌ててクマを抱き直す。
「……よっこ、ちょ!」
大人の足の林をくぐって、俺は泥の布を拾い上げた。指が沈むほどやわらかい。
【亜麻の布 織り手:カタリン 女神の一言:いい仕事】
そばの水桶ですすぐと、ひよこ色の巻き毛の二つ結びが水面に揺れた。まん丸の若草色の目が精いっぱいにらんでいる。手足は短く、三頭身じゃ決裁印も持てない。アルヴィドが隣に立ち、細い背を折って、俺にだけ届く声を出す。
「お嬢様、いま紋を出しても、証拠が無ければ村長はしらを切ります。今はお待ちください」
分かってるよ。俺は布をクマの腕の下へ挟みこんだ。国王にもらったこのクマは、前掛けをめくれば金糸に七色の縁取りの王家の紋がある。見せれば、その場は王の代理として裁ける。指輪は飲みこむ、短剣は危ない、クマなら離すまいと、パパが泣きながら縫わせた代物だ。名前は〈蔵持〉。俺がつけた。夜に殴るためだ。
◇
午後、酒場の前。段取りは簡単で、ベッポを敵の近くへ放す。以上だ。てっぺんの禿げた茶色の髪の小男が、手下たちの目の前でバターを踏んで転ぶ。
「へへぇ、すいやせん! バターで滑りやした!」
手下たちが腹を抱える。
「おっさん、商家の荷物持ちも務まらねえぞ! 転ぶたびに地面がバターを食っちまう!」
ベッポは垂れた茶色の目を回し、頭をかいた。
「へへぇ、よく言われやす。あっし、おっちょこちょいでやんして……」
手下たちは涙をふいて酒をあおる。
「今夜は村長様の屋敷に近寄るなよ。奥の間に牢の娘を呼んであるんだ。邪魔したら放り込むぞ。牢はまだ空いてるからな」
「ひゃぁ! 恐ろしい恐ろしい」
ベッポは頭を抱えて震えた。芝居じゃない。天然ボケなんだよな。おかげで敵がよく喋る。
裏へ回ると、元アサシンのスパイ、マルレーネが腰まで流れる紫の巻き毛を払っていた。先に村へ入って半日で、酒場の男どもを手のひらに乗せた女だ。マルレーネは金貨を噛み、猫みたいな金色の目を向ける。
「牢の鍵の在りかと、書き損じの証文。お酒二杯で喋る男って、かわいいわよね」
アルヴィドは琥珀色の鋭い目で紙を追った。
「濡れ衣七件分です。書き損じに、布を奪った側の名が残っています。これで証拠はそろいました。娘が奥の間へ移されるなら、鍵は要りません」
マルレーネが口を尖らせ、肩をすくませる。
「あら、せっかく二杯も飲ませて取ってきたのに」
鍵の在りかが分かるなら今すぐ開けろよ。俺はアルヴィドの袖を引く。
「おねえちゃん、いま、だすの! ろうや、さむいよ!」
アルヴィドは膝を折り、首を振った。
「牢から連れ出すだけでは、濡れ衣が残ります。村長は布を売りに隣村へ出ていて、戻るのは日暮れです。本人の前で紋を示し、職を解くのが確実です」
くっ、正論だ。マルレーネは長身をかがめ、俺の頭をつつく。
「牢番には酒を回しとくわ。村長が戻るまで、娘には誰も触らせない。子どもは嫌いよ。早く済ませて寝かせなさいな。あたしまで寝不足になったら、お肌に悪いんだから」
俺はアルヴィドを見上げる。
「ぴぴん、こんやいく。おねえちゃん、おうちにかえすの。アリュ、いいよね?」
アリュはアルヴィドだ。
「かしこまりました。賢者の石の疑いもありますからね」
アルヴィドはゆっくりとうなずく。
◇
夜、村長の屋敷。村長が奥へ引っこんだと、マルレーネの合図が窓から落ちた――。
「ふんっ!」
ボルグが盾で奥の間の扉を破る――。
奥の部屋の隅で、カタリンは手首を縛られて立っている。間に合った。
「な、なんだ、お前らは?! わしの屋敷へ勝手に入りおって!」
ボドーは椅子の上で目をむく。
俺は肩の上で、椅子のボドーへお辞儀する。
「おじちゃん、おせわになっておいます」
「どこのガキだ? 親はどこだ?」
いま、名刺を探しかけたぞ。俺は慌ててクマを振る。
「……おせわ、なってゆ?」
ボドーは立ち上がり、叫んだ。
「出合えーー! 出合えーー! 曲者だ!! 子連れの連中だ。斬れ! 埋めてしまえ!」
手下十人が飛び込んできて剣を抜く――が。アルヴィドの剣の腹が三人を転がし、ボルグは俺を肩に乗せたまま盾ごと突っこんで四人を壁へ押しつける。揺れるのは俺だけだ。酔う。残り三人は、転んでいるベッポにつまずいた。十数える間の話だ。うちの騎士、異様に強いんだよな。
アルヴィドは剣を収め、背筋を伸ばして息を大きく吸うと、俺の抱いたクマの腹を指さした。
「えぇい!! 控えおろう!! この紋が目に入らぬか!?」
この口上を、川に向かって練習しているのを聞いたことがある。
蝋燭の火に王家の家紋の金糸がきらめく。
「な、なんと!」「まさか?!」「ひぃぃぃ!」
手下たちは目を見開き、床に手をつく。
「ははぁ」「ははぁ」「ははぁ」
ボドーの膝も、がくんと落ちた。アルヴィドは罪状を読み上げる。
「濡れ衣七件。村の金の横領。牢の娘への夜伽の強要。押収した証文が証拠としてあるぞ!」
「てんちゅう! わるいこは、メッ!」
俺はビシッとボドーを指さした。
「くっ、くぅぅぅ……まさか王女様だったとは……」
「職権乱用の罪にて直ちに収監! 沙汰は追って司法官より通達! 観念しろ!」
ボドーは金歯をかたかた鳴らしながら、冷や汗を流していたが――。
「もはやこれまで! 最期に小娘も道連れだぁぁぁ!」
ボドーは床の剣をつかむと、俺へ斬りかかる。
「死ねぇぇぇ!!」
ボルグが盾を出しかけるが、俺はもじゃもじゃのひげを引いて止めた。王家の者に刃を向ければ、王家の者がその場で裁ける。それ以外で人に魔法を向けないと、ママに約束した。裁くのは俺の仕事で、盾はいらない。
俺は手のひらを上げ、素の声で告げる。
「やっと出番か……」
俺はクマを抱き直し、迫るボドーへ右手のひらを向け、幼い声に戻した。
「おじちゃん、ばいばーい」
刹那、まばゆい閃光が奥の間を塗りつぶす――――。
パウッ!
不気味な電子音と共に奥の間の壁は爆散、衝撃波が辺りを襲った。
三歳に調節などできないから仕方ない。
俺はボルグの肩の上で、ポテンとしりもちをついた。
光が引くと、壁もその向こうの塀もぽっかりと大きな穴が開き、きな臭い煙を上げている。
ボドーは影も形もなく、床に灰が散らばっている。
ボルグは口を開けたまま、俺を見た。
「ひ、姫様……いまのは……おれの盾の出番が、無くなっちまいましたぜ」
俺は大あくびをする。
「ぴぴん、ねむいの。ボルちゃん、おりる。ちゃんと、ささえてね」
肩から降りると、ベッポがおもちゃのシャベルを出した。砂場用だ。賢者の石は炎じゃ壊れない。何も出なけりゃ、持ってない証拠だ。俺は散らばった灰の中を丁寧に探すが――何も出ない。
「ちっ!」
俺はつい舌打ちを鳴らす。
縄を解かれた小柄なカタリンが、大きな手を握って座りこんだ。助かったのに、カタリンはそばかすの浮いた細い顔を上げない。
「私なんか……代わりは、いくらでも」
その先を、俺は知っている。そう言われ続けて、自分でもそう思ったまま、机に伏せて死んだ。黙っていられるか。俺はクマの腕の下から昼の布を引っぱり出し、カタリンの手に載せて見上げる。
「いないよ。おねえちゃんの布は、おねえちゃんしか織れないもん」
カタリンは布を指でなでた。
「これ、昼に泥へ落ちた……洗って、くれたんですか?」
俺は布の端をつまんでみせる。
「だって、やわらかいもん。ぴぴん、ずっとさわってたの」
カタリンが泣き笑いして、布に手を重ねた。ボルグはもっと泣いている。
「お、おれは泣いてませんぜ! うちの娘がこんな目に遭ったらと思ったら、目から汗が止まりませんぜ!」
お前はうるさい。
◇
翌朝、広場で村人たちが機を運び戻す。ひとつ、またひとつと、川風に機の音が混じり始めた。村の出口へ、カタリンが取り戻した布を抱えて駆けてくる。
「クマさんの前掛け、縫い目がほつれています。私の布を使ってください! 今度は、もっと織れます。私の機で、私の好きな布を」
俺は布を受けとり、クマといっしょに抱く。
「ぴぴんにくれるの? わあ、やわらかい! これ、ぜんぶ、おねえちゃんが?」
カタリンは涙声で笑う。
「はい、私が! 糸も染めも……あ、嫌だ、涙が。笑ってお渡しするつもりなのに」
俺は布に頬を寄せた。
「うん! ぴぴんも、にこにこする! おねえちゃんの布、だいしゅき! クマさんも、だいしゅきだって!」
カタリンが戻っていく。村を離れれば、聞いているのは川風だけだ。ベッポがロバの手綱を引きながら、首をかしげる。
「姫様、石はございやせんでしたな。へへぇ、シャベルは次も運びやすが、なんで灰を掘るんでやしたっけ?」
先を行くアルヴィドが、前を向いたまま答えた。
「神託です。石は持つ者の体の中へ沈み、外からは見えません。ですが炎では壊れません。焼いて何も出なければ、持っていない証拠です。以上です。この説明は八日で四回目です」
言うだけ言って、アルヴィドは道の先へ遠ざかる。俺は肩を落とし、ロバの上で足をぶらぶらさせる。
「あーあ、外れだったなぁ……。次いこ、次」




