第48話 衝撃をもたらすモブの激走
午前中の競技を終え、美味しいお弁当を囲んだ楽しいランチタイムを挟んだあと、午後の部も順調にプログラムが消化されていった。
テントの周辺では、各チームのハチマキを締めた生徒たちが、声を枯らしながら自チームの仲間たちに懸命な声援を送り続けている。
部活動対抗リレーや、大玉転がしなど、笑いと歓声が入り交じる熱い戦いが次々と繰り広げられ、グラウンドを包み込む熱気は高まる一方だ。
そして、いよいよ、体育祭のフィナーレを飾る、最終競技の時間がやってきた。
「まもなく、本日の最終種目──『色別対抗リレー』が始まります。出場する選手の皆さんは、指定された場所へ集合してくださーい!」
本部席からの大きなアナウンスが響き渡る。
この競技は、赤、白、青、黄の各組から選ばれし俊足自慢の生徒たちがバトンを繋ぎグラウンドを駆け抜ける、体育祭の花形イベントだ。
ここまで全競技を通した総合得点の途中経過は、驚くべき接戦となっていた。
首位をひた走るのは『赤組』。
それをほんのわずかな僅差で猛追しているのが、我がクラスの所属する『白組』だった。
青組と黄組もそれに続くが、事実上の優勝争いは赤組と白組のどちらかに絞られている。
つまり、この最終種目の色別対抗リレーで白組が赤組に競り勝ち、一位をもぎ取ることができれば、大逆転での総合優勝が確定するという熱すぎる展開だった。
けれど、ここで思わぬハプニングが起きた。
それは、白組のテントの一角で、チームの仲間たちが「よし、最後の最後だ! 絶対に勝つぞーっ!」と気合を入れ直している、その最中のことだった。
「おい、どうしよう、大変なことになったぞ……!」
青ざめた顔をしたクラスメイトの男子が、息を切らせながらテントへと駆け込んできた。
そのすぐ後ろから、クラスの陽キャ代表であり、脚力を買われ、一年生でありながら今回のリレーでアンカーを務めるはずの常磐が、他の男子生徒に肩を貸されながらトボトボと戻ってきた。
「どうしたんだよ、常磐? まさか怪我でもしたのか……?」
男子の一人が不安そうに声をかける。
常磐は苦悶の表情を浮かべ、申し訳なさそうにしながら答えた。
「さっきの騎馬戦で、足首をひねって……。保健室で診てもらったら、軽い捻挫だって……」
その言葉に、クラスメイトたちがざわつく。
「まじかよ……!?」
「常磐って、うちの白組のアンカーだろ!? それが怪我で走れないって……じゃあ誰が代わりに走るんだよ!」
「常磐の代わりでアンカーを任せられるほどの足の速い奴なんて、今から急に用意できないぞ……!」
絶望的な空気が、一瞬にしてクラスメイトたちを包み込んだ。
赤組との差はわずか。この一番大事な最終走者の枠に穴が空くか、あるいは満足に走れない者が入れば、逆転優勝の夢は露と消えてしまう。
誰もが言葉を失い、顔を見合わせて戸惑うばかり。
その重苦しい沈黙と焦燥感が漂うテントの空気のなかで──。
「ねえ、私、代わりの走者にぴったりの人を、知ってるよ」
確信に満ちた声が、その場に響き渡った。
その言葉を発したのは、芹愛だった。
「え……? 七条さん、誰なの、それ? そんな人うちのクラスにいるの……?」
女子の一人が訝しむようにしながら問い返す。
芹愛は一切の迷いを見せることなく、隣で気配を消して突っ立っていた俺のほうへと、スッと指を突き出した。
「この人、稲葉奏介君だよ」
は……?
俺の名前が呼ばれた瞬間、テントの中にいたクラスメイトたちの視線が一斉に俺へと集中した。
「い、稲葉……? いやいや、おいおい、冗談だろ七条さん……!」
「稲葉って、あの稲葉だぞ? こいつがリレーの、しかもアンカーの代わりなんて、足手まといになるだけじゃねえか……!」
クラスメイトたちから、当然のような戸惑いと、信じられないという拒絶の声が次々と上がった。
無理もない。学校での俺は、徹底して『地味で運動が苦手な陰キャモブ男子』を演じ続けてきたのだから。
俺は顔を引きつらせ、芹愛の袖をクイクイと引っ張りながら慌てて抗議した。
「お、おい、芹愛……! 何を言い出すんだよ、無理だって! 俺なんかがアンカーの代わりなんて勤まるわけないだろ!」
だが、芹愛は俺のそんな必死の弁解など完全に無視するかのように、まっすぐにクラスメイトたちを見据えてはっきりと言い放った。
「大丈夫だよ! みんな、疑うかもしれないけれど、私、この人の本当の走りを知ってるんだから!」
芹愛の瞳には、揺るぎない確信と輝きが宿っていた。
「運動神経だってものすごく抜群なの。だから、奏介君なら絶対に大丈夫、絶対にやってくれる!」
「えっ……マジかよ……?」
「でも、いくら何でもリレーの選手として通用するのか……?」
クラスメイトたちがなおも疑いの目を向けるなか、足首を痛めた常磐が、痛みに顔を歪めながらも俺のほうへと顔を向けた。
「おい、稲葉……七条さんがそこまで言うなら……頼む、俺の代わりに、白組を……優勝に導いてくれ……っ!」
周囲からの期待の視線と、そして何よりも、芹愛が目の前でキラキラとした信頼の瞳を向けてくる。
くそっ……! ここまで言われたら、もう逃げ場なんてどこにもないじゃないか……!
俺は大きな溜息をつき、諦めたようにガシガシと自分の頭を掻きむしった。
目立たないモブライフは崩れ去るかもしれないが、ここで俺が尻込みして白組が負けたら、それこそ後で芹愛になんと言われるか分かったもんじゃない。
それに、彼女がそこまで俺を信じてくれているのなら、その期待に泥を塗るわけにはいかない。
「……はぁ。わかったよ。そこまで言うなら、走るよ……! ただし、負けても文句なしだぞ!」
俺が渋々といった風にそう告げると、白組のテントのあちこちから「おぉーっ! 稲葉、頼んだぞ!」「頑張れよー!」と、半信半疑ながらも応援の声が飛んだ。
こうして、俺は急遽、白組のアンカーとして、色別対抗リレーへと駆り出されることになったのだった。
§
色別対抗リレーのスタート地点には、各チームの第一走者たちがすでにずらりと並んでいた。
俺は、アンカーである走者たちが待機するバトンパスゾーンの隅っこで、自分の出番が来るのを静かに待っていた。
周囲の観客席からは、「赤組がんばれー!」「白組負けるなー!」と、地鳴りのような大歓声が響き渡っている。
さて。学校でのモブとしての仮面は一時的に剥ぎ取られてしまうだろうけど、こうなった以上、やるからには中途半端な真似はできない。
俺は軽く足首を回し、身体の柔軟性を確かめながら、静かに息を整えた。
やがて、審判の鋭い号砲とともに、第一走者たちが一斉にスタートを切った。
トラックのうえで、各クラスの代表たちが猛烈なスピードで競い合う。
第一走者から第二走者へ、そして第二走者から第三走者へと、バトンが次々に繋がっていく。
現在順位は、赤組と白組が互いに僅差で競り合っている状態だ。
そして、運命のアンカー勝負の時が近づいてきた。
しかし、ここで勝負の神様は我が白組に試練を与える。
「ああっ……!」
観客席から悲鳴のような声が上がった。
俺の一つ前の走者が、焦るあまりかバトンパスを失敗し、手からポロリとこぼれ落として、慌てて拾い直すという致命的なロスが発生してしまったのだ。
「あーー、白組、バトンミスだぁぁ――っ!」
実況アナウンサーの声がグラウンドに響き渡る。
その間に、赤組はトップを独走し、青組や黄組の走者たちも次々とバトンを受け取って飛び出していく。
そして、最下位でアンカーの俺のところへとバトンが渡った。
トップを走る赤組とは、すでにかなりの差が開き、絶望的とも言える状況。
「うわぁ、白組、最下位だ……!」「あんなの、もう追いつくの絶対無理じゃん……」
白組の応援席からは、諦めムードの溜息が漏れ聞こえてくる。
「……行くか」
俺は地面を強く蹴りつけ、走り出した。
その瞬間。
グラウンドの空気が、文字通り一変した。
その走りに、観客席の生徒たちから「えっ……!?」「なんだあいつの足の速さ……!?」という驚愕のどよめきが起こる。
コーナーを曲がる頃には、すでに黄組のアンカーの背中が目の前に迫り、そのままあっという間に抜き去った。
「うそ……だろ……!? 一瞬で抜いたぞ……!」
さらに前方を走るのは、青組のアンカー、そしてそのはるか前を悠々と走る、トップの赤組のアンカーだった。
赤組のランナーは、運動部のエース級らしい屈強な男子生徒で、余裕の表情でバトンを握りしめながらゴールを目指している。
「いけーーっ、奏介君、もっといけーーっ!!」
白組のテントから、必死な声援が聞こえた。
その声の主は、他でもない、声を限りに叫んでいる芹愛だった。彼女は両手を口に当て、俺の名前を叫び続けている。
「……任せとけって」
程なく俺は、青組のランナーも抜き去り、ついに2位へと躍り出た。
残るは、トップを走る赤組のアンカーのみ。
赤組の圧倒的優勢だとばかり思われていた観客席の空気は、すでにガラリと変わっていた。
「おい、あいつ誰だ……!? あんなバケモノみたいなスピードで走る奴、白組にいたか……!?」
「赤組のアンカーに、すごい勢いで迫ってるぞ……!」
割れんばかりの大歓声とどよめきが津波のように押し寄せてくる。
前方を走る赤組のアンカーが、後ろから足音が近づいてくる気配を感じ取り、慌てて振り返った。
その瞬間、彼の顔に激しい焦燥が滲む。
赤組のアンカーは必死に腕を振り、最後の力を振り絞ってスピードを上げようとするが、俺の脚は、疲労の色を見せるどころか、さらに加速のギアを一段階上げていた。
残り三メートル。
並ぶ。
残り一メートル。
抜き去る。
俺は完全に赤組のアンカーを置き去りにし、風を切り裂きながらトップへと躍り出た。
そのままの勢いを一切緩めることなく、ゴールテープへと突っ込む。
テープが胸に当たり、パッと手放される。
「い、一着――っ!! 白組、大逆転ゴールイン――ッ!!」
放送委員の絶叫のような実況が、グラウンドの空気を揺らす。
直後、全校生徒から、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
§
ゴールラインを越えたあと、俺は少しだけ息を荒くしながら足を緩め、両手を膝につきながら小さく呼吸を整えた。
ふう、さすがに本気で走りすぎたか。少しだけ肺が熱いな。
そんな俺のまわりに、信じられないといった顔をしたクラスメイトたちがものすごい勢いで駆け寄ってきた。
「い、稲葉……! お前……お前、なんなんだよあの走りは……!!」
「最下位から、一気に全員をごぼう抜きにしたぞ……! 信じられない、俺たち、白組が逆転優勝したのか……!?」
クラスメイトたちは興奮のあまり俺の肩をバシバシと叩き、喜びを爆発させている。
周囲の歓声と称賛の嵐に包まれ、体育祭の『勝利の立役者』として祭り上げられていたその時──。
「だから、言ったでしょ?」
群がるクラスメイトたちの隙間をすり抜けるようにして、一人の少女が目の前に進み出て来た。
芹愛だ。頬を紅潮させ、嬉しさのあまりか両目をキラキラと輝かせている。
彼女はどこまでも誇らしげな笑みを浮かべながら、周りのクラスメイトたちに告げた。
「私の言った通りだったでしょ? 奏介君はか最高に足が速くてかっこいいんだから!」
その得意げな彼女の笑顔を見て、思わず苦笑いが零れる。
「……はいはい、お前の言う通りだよ、芹愛」
俺は照れくさそうに頭をかき、前髪を少しだけ直しながらため息をついた。
こうして、秋空の下、劇的な逆転優勝の余韻を残しながら、俺たちの体育祭は、忘れられない記憶となって幕を閉じたのだった。




