Chapter2 狩人の帰還
時刻は朝の8時20分、アパートメントの一室に住むロイ・シェリダンはいつも通り目覚める。通常ならば、朝の日差しが窓から差し込むところであるが、昨日に引き続き外は雨の様相を呈していた。
彼はベッドから起き上がり、クローゼットからワイシャツを取り出して羽織る。度重なる闘争の日々によって鍛えられた贅肉のない肉体がシャツの下に隠され、裾はスラックス・パンツの中に入れた後、革のスーツ・ベルトを締める。
ベッド・ルームを後にして、キッチン付きのリビング・ルームへ足を運んで朝食を作る。トースターにパンを入れるタイマーをセットする。保存庫から冷蔵されたサラミを取り出して皿に盛り、作り置きしたミネストローネをワンカップ分注ぐと、それを温めた。
トースターが焼き上がると同時にスープも温め終わると、ロイはトーストにバターを塗って、サラミが添えられた皿に置くと、ミネストローネと共にリビングのテーブルへと運び、テレビの電源をつける。
テレビからは北アイルランドでの紛争のニュースが流れていた。映し出される映像は、表通りで燃え上がる炎と、英軍とIRA暫定派との銃撃戦。覆面の戦士たちが火炎瓶を持ち、それを投擲する。アナウンサーが事件の痛ましさを嘆いていた。
彼にとって、いつもの光景だった。ニュースの様子をどこか諦観した目で見ながら、彼はパンとサラミを食べて、スープを飲む。
朝食を終え、食器を片付けると、彼はリビングの衣装がけに掛かっているトレンチ・コートのポケットから、昨日暗殺に使用したワルサーPPKを取り出す。黒く、細長い消音器を取り外し銃本体と共に机に置くと、彼は銃整備用のキットを持ち出して銃の近くに置く。再びワルサーを手にして、銃の遊底を取り外して分解を始めた。銃口通しで銃口内部にこびりついた火薬汚れを拭き取り、撃鉄や引き金、遊底にメンテナンスオイルを塗布して元通りにまた組み立てる。ワルサーが元通りになると彼は習慣のように撃鉄を起こし、引き金を引く。パチンと甲高い空撃ち音が鳴る。異常がないことを確かめたロイは掛けてあったトレンチ・コートを羽織ってワルサーをポケットに入れ、リビングのキャビネットからレイバンのアビエーター・サングラスを取り出して掛ける。内ポケットから煙草を一本取り出して、ジッポ・ライターで火をつける。煙が肺を満たし、彼は吐き出す。一服中、サングラスに隠された元来の鋭い目が部屋の時計の時刻を確認する。時刻はすでに9時20分を回っていた。彼は煙草の火を消すと、扉から外に出て自室を後にした。
アパートの1階に降りた彼は駐車場に停めてあったトライアンフ・バイクにまたがり、アクセルを入れて走り出す。公道へと出た彼はベルファストの街へ繰り出した。
弱い雨粒が彼のトレンチ・コートを濡らす。防水性に優れた彼のコートは水滴をものともせず、バイクはスピードを上げて駆けていった。
大英帝国、ロンドン。世界中に諜報の網を広げるMI6の本部の一室にて老紳士、サー・エドワード・マクスウェルは報告文書に目を通していた。先日のIRA暫定派の調査に動いていたチャールズの暗殺報告である。
「これですでに4人目か…」
そう一言呟くとサー・エドワードはウィンストンの煙草を一本取り出して火をつける。甘い香りがあたりを満たして、彼は紫煙を吐き出す。
「使用された弾は.32ACP、念入りに頭部に2発。至近距離です」
彼の部下の男が報告する。
「プロの手口だな。並の暫定派の連中ではここまでスムーズにはいかないだろう」
サー・エドワードは書類をデスクに置き、部下を見る
「いつもの爆弾闘争だの、銃撃戦だのだったらどれほど楽だろうか、ままならんな」
「有力な目撃情報もありません、暗殺者の詳細は手がかりなしです」
彼の言葉を聞いたサー・エドワードは机に肘を置き、考え込む。
「うむ…」
現在の北アイルランドの情勢を鑑みれば、チャールズを殺害した下手人を探し出すことが困難を極めることを彼はわかっていた。相手は市民に紛れ、地元の住民の支持もある世界でも有数のテロリスト組織。現地には何人、協力者がいるかもわかっていない。またMI6から無闇に人を出せば、犬死にさせるようなものだと確信していた。
「こればかりはSASに協力を仰ぐしかないだろうな、狼を狩るには優れた狩人が必要だ。下手人をのさばらせておくわけにはいかん」
サー・エドワードは部下に告げた。
「ですが、誰か候補者に心当たりがあるのですか?」
部下はエドワードに尋ねた。部下の言葉を聞いた彼はデスクの引き出しからファイルから写真付きの書類を取り出し、部下に渡した。
「ジェームズ・ハンター、SASの少佐だ。北アイルランドでの任務経験もある。優秀な男だよ」
「ご存じなのですか?」
「昔、共に仕事をしたことがある」
部下の男はハンター少佐の写真を見る。赤いベレー帽を被り、口髭を生やした男らしい風貌だった。
「彼は今どこに?」
部下の質問にサー・エドワードは答える
「彼は今、中東で任務についている。おおよそPFLPかアブ・ニダル関係だろう」
「如何いたしますか?」
「呼び戻してくれ、中東のSASに連絡してな」
「承知いたしました、閣下」
部下の男はハンター少佐の書類を脇に抱えてサー・エドワードに敬礼し、部屋を退出した。
熱砂が舞う空に、荒々しくテイル・ローターの音が響いていく。イギリス軍のウエストランド社製のヘリコプターが3機、編隊を組んで目的地へと向かっていく。ヘリの内部では、兵士たちがH&K社製MP5短機関銃を持って待機している。
アメリカのデルタフォースと並び、イギリスが誇る世界最強と名高い特殊部隊スペシャル・エア・サービス、通称SAS。幾多の戦場を渡り歩いた彼らの標的は、中東某国に潜むパレスチナ人民解放戦線、通称PFLPの分派ゲリラの幹部ナセルの抹殺だった。
ナセルは数年前イギリス・ロンドンにてテロを起こし、SASがその足取りを追っていた。ナセルを追い詰めたのはジェームズ・ハンター少佐。精鋭揃いのSASの中でも対テロ戦争の経験が豊富な真の狩人だった。
ハンターは戦闘のヘリの中で戦闘服のポケットに入れていたウィンストンの煙草を取り出すと、ジッポ・ライターで火をつけ、一服する。その煙草は彼にとっては作戦開始前の緊張を和らげる一本だった。口髭を蓄え、ランドルフのパイロットサングラスをかけた目の奥には、追い詰めた獲物を狩らんとする、狩人としての強い意志をみることができた。
ヘリがナセルの潜伏する拠点に到着する。ハンターは外に煙草を投げ捨て、通信機を通じて指揮下の部隊に号令をかける。
「降下開始!」
SASの兵士たちがヘリより一斉に降下を始める。統率され、機能的な戦闘集団が中東のテロリストの牙城へと攻めていく。
「ブラボー分隊は非常口を、チャーリー分隊は西出口を押さえろ。私の指揮下のアルファ分隊は正面入口より突入する」
拠点の2階に潜伏するナセルに逃げ場はなかった。1階には彼の部下である8人のPFLPの兵士たちはAK-47を構えて待ち構えていた。
正面入口にてハンターはSASの隊員の1人に命令し、ドアのブリーチをM870ショットガンの射撃によって破壊。 勢いよくドアを蹴破ると同時に後続待機の隊員がフラッシュバングレネードを投擲する。強烈な閃光と共にPFLPの兵士たちの視界が奪われる。
ハンターは突入号令を下し、SASの隊員たちがなだれ込む。怯んで動けなくなった兵士にMP5の9ミリパラベラム弾が正確に撃ち込まれ、10秒たらずでPFLPの兵士が全滅する。
兵士の全滅を確認するとハンターはホルスターよりブローニングハイパワーを抜き、アルファ分隊と共に2階へ上がる。2階に潜んでいたナセルはワルサーP38を握り締めて、恐怖に震える手を押さえながら待ち構えた。
ハンターはわかっていた、ナセルが銃を持って待ち構えており突入した人間を道連れにしようとしていることが。彼は後続の隊員から手榴弾を借り受けると、ピンを抜いて階段から2階に投げつけた。ナセルは投げ入れられた手榴弾を見ると爆風に対しての回避行動をとった。手榴弾は爆発し、辺りには破片と飛び石が飛び散る。爆破の終わりと同時にハンターは部屋に突入する。回避行動をとったナセルは彼の一瞬の行動に反応出来なかった。ワルサーP38を構えようとしたが、遅かった。隙をついたハンターがナセルにブローニングハイパワーを向けると正確に引き金を引いて弾を撃ち込んだ。ナセルは胸に2発弾を喰らい、ダメ押しに頭にもう一発弾を撃ち込まれた。ナセルは受けた弾丸の衝撃で窓から転落する。テロリストは地に堕ちたのだった。
作戦は終了した。敵側はナセル含めて9人が全滅した。ハンターは拠点の正面入口から堂々と出てきて部下に確認する。
「死者、および負傷者は?」
「ありません、損害はゼロです」
完璧とも言える作戦だった。ハンターはブローニングハイパワーをホルスターに収めて部下に伝える。
「諸君、作戦は終わった。撤収する」
テイルローターが猛々しく鳴り響く中、彼と彼のSASの小隊はヘリと共に飛び立って行った。
任務終了から数時間後、SASを乗せたウエストランド社製のヘリコプターはオマーンのSAS後方支援基地に着陸した。任務を終えた隊員たちが戦闘で使用した銃と装備と共に降りてくる。部下が全員降りたことを確認するとハンター少佐は内ポケットからウィンストンの煙草を取り出し、ジッポ・ライターで火をつけた。照りつける砂漠の暑さの中、ウィンストン特有の甘さが口に広がっていくのを勝利の余韻と共に味わっていた。北アイルランドの激しいゲリラ戦を何年も戦ってきた彼にとって今回のテロリスト狩りは苦労に値するものではなかったが、勝利は勝利だった。
しばらくは休暇でも取るかと考えながら、彼は基地の方に足を進める。1人の兵士が彼の前に現れて敬礼する。
「少佐。ご帰還してすぐで申し訳ありません。少佐宛にご連絡が入っております」
兵士は彼に告げた
「場所はどこからだ?」
ハンターは兵士に質問した。
「ロンドンです」兵士は答える
「サー・エドワード・マクスウェル卿が貴方に至急戻ってきてほしいとのことです」
ハンターはその名前を聞いて少し驚いた顔をした。かつて北アイルランドで彼の部下として働いたことがあったが、それはもう何年も前のことで、久しくその名前を聞いていなかったからだ。
「まさかこんなところでその名前を聞くことになろうとはな、それで?あの老紳士は何の要件で俺に連絡を?」
ハンターは兵士に尋ねた。
「アルスターでの狩りについて、と」
彼はランドルフのサングラスを外して目の色を変えて兵士を見た。
「なるほど、だから俺に」
ハンターはその一言でロンドンに戻ることを決めた。




