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1. 命令に頼らない教育

 

 子どもに対して、大人はつい「言うことを聞きなさい」と言ってしまう。


 もちろん、危険な場面では即座に止める必要がある。道路に飛び出そうとした時、熱いものに触ろうとした時、誰かを傷つけそうになった時、悠長に説明している余裕はない。まず止める。これは当然である。


 しかし、問題はその後である。


 止めたあとに理由を説明しなければ、子どもの中には「怒られた」という記憶だけが残る。


 なぜ止められたのか。何が危なかったのか。次からどうすればよいのか。そうした理由が残らない。


 すると、子どもは行動の意味ではなく、大人の機嫌を学んでしまう。


「これは危ないからやめよう」ではなく「怒られるからやめよう」になる。


「これは相手が困るからしない」ではなく「見つかると叱られるから隠そう」になる。


 これは教育としては弱い。


 命令だけで育てられた子どもは、その場では従うかもしれない。だが、それは理解ではなく服従である。大人が見ている間は従っても、大人がいなくなれば判断できない。理由を知らないから、自分で考えられないのである。


 教育の目的は、子どもを大人の命令に従わせることではない。


 子どもが、やがて自分で判断できるようにすることである。


 そのためには、命令だけでは足りない。


「片づけなさい」だけではなく、

「床に物があると踏んで痛いし、誰かが転ぶかもしれないから片づけよう」


「静かにしなさい」だけではなく、

「今は周りの人が話を聞いているから、大きな声を出すと邪魔になるよ」


「謝りなさい」だけではなく、

「相手は嫌な気持ちになった。だから、自分の行動が相手にどう届いたかを考えよう」


 このように、行動の理由を渡す必要がある。


 もちろん、一度説明しただけで子どもがすべて理解するとは限らない。何度も同じことを言う必要もある。子どもは忘れるし、感情に流されるし、分かっていても失敗する。


 それでも、説明する意味はある。


 理由を聞いた子どもは、少しずつ因果を学ぶ。


 自分の行動が、周囲にどう影響するのかを知る。


 なぜその行動が必要なのかを、経験と結びつけて理解していく。


 恐怖で従わせる教育は、短期的には楽である。


 大声で叱れば、子どもは止まる。強く命令すれば、その場では従う。


 しかし、それだけでは子どもの中に判断力が育たない。


 本当に残すべきなのは、恐怖ではない。

 服従でもない。

 理由である。


 子どもに理由を残すこと。

 それが、命令だけで終わらない教育の第一歩である。

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