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第13話:記録されない死

 その夜、真田宗一郎は――自分の死を選んだ。

 それは、未来に向けて封じた“記憶”であり、命そのものだった。


 すべてが起きたのは、今から三年前――

 記録省の地下第零層、外部遮断領域にて。


 外界と完全に切り離されたその階層は、白い壁と鋼鉄の扉が延々と続く無音の回廊だった。空気はひんやりと乾き、歩を進めるたび靴底が金属床にわずかな反響を刻んだ。その反響すらも監視プログラムに拾われているのではないかという錯覚が、宗一郎の背筋をじわりと冷たくした。


 彼は、自らの死を前に、静かに準備を終えようとしていた。


 E.D.E.N計画――

 記録できない“記憶”と“感情”を継承する因子。

 それは、記録主義社会にとって最も危険な異物だった。


 共に計画を推進した桐生弘之博士が失踪し、計画は凍結。そのとき、すべてを捨て去る道もあった。国外逃亡も、身を隠すことも。だが宗一郎は都市に残った。ひとえに、最後の工程――“鍵”を仕込むために。


 研究用の冷却ユニットが低い駆動音を響かせる。圧縮された蒸気が白い靄となって立ち上り、視界の輪郭をぼやかす。宗一郎は手袋越しに操作パネルへ指を滑らせ、最後のアクセスコードを入力した。無菌室のゲートが、かすかな軋みとともに開いていく。


「……」


 内部から現れたのは、淡い青光を放つカプセルだった。その中には、彼自身の研究記録、桐生との論争、レイと交わした言葉、そして都市と因子をめぐる真実が封じられている。だが、その鍵はただのデータではない。誰かがそれを“選んだ”とき、初めて開かれる仕掛けになっていた。


「強制された真実は、信じるに値しない……。だが、自ら掴んだ記憶は、必ずその人の血肉になる」


 呟きながら、宗一郎はカプセルを小型デバイスに変換する。掌に収まるほどの金属タグ――一見、玩具にも見えるほどの小ささだった。だがその内部には、人類の未来を左右するだけの重みが宿っていた。


 かすかに指先が震える。科学者としてではなく、ひとりの父としての感情が、彼の動きを鈍らせていた。

 この重荷を翼に背負わせてよいのか――その問いは、幾度も胸を刺していた。


 思考の奥で、桐生弘之博士の声が甦る。

 〈子どもを巻き込むな、宗一郎。それは科学者の責任じゃない〉

 あの夜、決裂した議論の最後の言葉だ。


 あの時、桐生は珍しく声を荒げていた。

 

「それは研究じゃない。利用だ」


 だが宗一郎は違う選択をした。「科学者」としてではなく、「父」として。


「レイ……すまないな。結局、あの子にこんなものを背負わせるしかなかった」


 壁面モニターの端が一瞬だけ赤く点滅した。監視AIノウスの巡回が近い。時間は残されていない。


 宗一郎はタグを懐に収めると、無音の回廊を抜け、都市の雑踏へと戻っていった。その姿は、死地に赴く者の静かな覚悟を帯びていた。


 ――そして、その夜、彼は自宅に戻らなかった。


 翌日、記録省内では公式発表がなされた。


【訃報】真田宗一郎、施設内事故により死亡。

【記録番号:抹消処理済】

【死因:記録不能】


 死因は曖昧だった。記録も残されなかった。だが内部の者にとっては明白だった。宗一郎は、ノウスによる“粛清プロトコル”の対象となったのだ。


 監視AIにとって、“記録不能な意志”を持つ人間は、最も厄介な異分子だった。だからこそ排除された。音もなく、証拠も残さず。


 ……その事実を、翼は知らない。

 彼に残されたのはただ、父の痕跡を示すいくつかのメモと、未読のまま封じられた“記憶の鍵”。


 やがてその記憶が開かれる日が来る。その時、翼は父が“何を守ろうとしたのか”を知ることになるだろう。


 父の遺志は記録されなかった。だが、それは確かに残された――記憶として、未来のために。


 そしてその記憶は、やがて“選ばれる”。

 誰かの意思によって。

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