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第10話:記録省の断章

──それは、十数年前のことだった。


  都市中枢、第0区タワーの最上層に、記録省の戦略会議室は存在する。


 窓はない。人工照明が淡い青色を空間に満たし、壁面にはホログラム化された都市の全図が浮かんでいた。都市の全図と、無数の光点――そこには、この都市に存在するすべての人間の位置が表示されていた。


 この部屋に入れる者は限られている。ノウス中枢監査部の代表、都市法管理官、そして記録省の最高責任者たち。その中のひとりが、元・都市開発主任技術者でありE.D.E.N因子の研究者だった――真田宗一郎。


 だが、彼は今、この部屋では“異端”として見られていた。


「宗一郎。君の報告を拝見した。だが、理解に苦しむ。“記録できない記憶”を育てる因子――それは制御不可能な要素を都市に持ち込むということだ。我々が築いたこの完全な社会に、それは必要ない」


 そう言ったのは、記録省監察局長・白峰靖人。都市建設当初からの生き残りで、記録主義の体現者。


 宗一郎は肩越しに視線を向けると、落ち着いた口調で返した。


「……記録されないものを排除してきた結果、我々は“記憶を持たない社会”を作ってしまった。過去を記録でしか理解できない人間に、未来を創る力はない。E.D.E.N因子は、記録ではなく“意思”も継承するためのものです」


「だがそれは、アルゴリズムによる制御を拒絶するという意味だ。つまり、ノウスの支配体系に逆らうということだろう」


「その“支配体系”が、既に破綻しつつあるのでは?」


 宗一郎の問いに、一瞬、沈黙が走った。


 彼は会議室中央のコンソールにアクセスし、一つの映像記録を投影した。


再生映像:

 被験者No.27、E.D.E.N因子反応陽性。

 記憶の共鳴現象確認。夢と現実の境界に変動発生。

 統計予測を逸脱した言動を記録。

 感情的行動により、自発的情報遮断を選択。


「これは、被験者27号――現在、記録省の監視下にある少年だ。AIが予測できなかった“自我判断”を下した。つまり、ノウスの枠組みを超えた行動を、人間が再び取り戻しつつある証拠だ」


 白峰は険しい顔つきで宗一郎を睨んだ。


「……それは、都市の崩壊を意味する」


「いや、都市の再定義です。記録がすべてではないという前提に立ち返らなければ、我々の社会はただの“統制された記号群”に成り下がる」


 この言葉に、会議室の空気が変わった。


 宗一郎は、短く息を吸った。


「RW-02――真田翼も“発現”した。すでにノウスは彼を“第2種不適合者”としてタグ付けしている。このままでは、消去プロトコルがRW-02にも、例外は適用されない」


 宗一郎は、それに対して明確な反論はしなかった。


 ただ、静かに言葉を置いた。


「彼の記憶がどこまで届くかを、見届ける権利はあるはずだ」


 会議終了後、宗一郎は単独で地下の保管区画へ降りていった。


 この階層は、表向きは使用されていないことになっている。だがそこには、“記録から除外された記憶群”が保管されていた。


 いずれも、ノウスが適合外と判断した記録、あるいは削除対象の記憶。だが宗一郎は、それらを密かに“保管”していた。


「記憶は、命令ではない。記録でもない。誰かの心に届いた瞬間に、それは“生き直す”んだ」


 そう呟きながら、彼は一つのカプセルを取り出した。中には、小さなデバイス――「記憶鍵」が収められていた。


 宗一郎は、そのデバイスを手に取ると、一度だけ、妻との思い出が記された映像を再生した。


 そこには、まだ幼い翼と、優しく微笑む女性の姿。


「この記憶を、誰にも消させはしない。ノウスにも、記録省にも、誰にも……」


 その瞬間、扉の外から無言の足音が近づいた。


 宗一郎はすべてを見越していたかのように、すっと立ち上がった。


 そして、記憶鍵を背広の内ポケットに滑り込ませると、振り返り、声を発することなく警備隊に身柄を差し出した。


(記録は、終わる)

(だが、記憶は……これから始まる)

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