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軍人エルフと喫茶店  作者: かんひこ
第四章 冬、戦い
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四十品目 メロンソーダと雪の夜―前編

 薄暗い路地を吹き抜ける寒風に、エルフリーデは思わず首をすくめた。

 怪我人に、この寒さは堪える。


(レオナが私服を持ってきてくれてて良かったな……)


 エルフリーデがいつ退院してもいいようにと、コートから何から何まで病室のハンガーにかけておいてくれたお陰で、今、なんとか凍えずに済んでいる。

 もし、これがなかったらと考えると、ゾッとする。あの薄い入院着一枚では、とてもこの寒さを耐えられそうもない。


(レオナのやつ、ちゃんと真っ直ぐ家に帰ったかな。飯は、もう食ったかな)


 少し、腹が減ってきた。

 あの暖かな病室にいれば、もうすぐ担当の看護師が夕食を持ってきてくれる頃合いだ。

 もぬけの殻になった病室に置いてきたレオナ宛の手紙を、配膳に来た彼女が果たして無事に届けてくれるかどうか、それだけが気がかりだった。


(演説会は夜の九時から。まだ、充分時間がある……)


 携帯電話で今の時刻を確認しながら、エルフリーデは再び歩み始めた。

 人気(ひとけ)の無い、薄暗い路地にカツカツと足音だけがうつろに遠くこだましていく。

 その音を聞くともなしに聞きながら、エルフリーデはただ歩き続けた。


 目指す先は、(くだん)の演説会場である大統領府。

 今晩、アルノーはきっとそこに現れる。エルフリーデは、そう確信していた。


(軍はもう、取り逃がした連中が毒ガスを他にも持ってる可能性を考慮に入れて動いている)


 どうやらあの地下室から毒ガスが押収された際、既に軍のお偉方は逃走した連中が複数本のボンベを持ち出している可能性に気づいていたらしい。

 既に大勢の軍人や警官が、毒ガスが最も効果を発揮する地下鉄駅や地下道を含む首都のあらゆる主要路に検問を作り、犬まで動員して捜査に努めている。


(ま、そのお陰で、大佐に自分がエルフだとカミングアウトする絶好の機会を逃がしてしまったんだがな……)


 そして、自分が果たしてその事実を告げる日は来るのだろうか――そんな事が頭に浮かんで、エルフリーデは苦笑した。


(今は、そんなこと考えてたってしょうがないか)


 もし仮に、毒ガスのボンベを他にも複数本隠し持ち、それでテロを行おうと考えているのだとしても、恐らく、すぐさま軍や警察に防がれる。

 エルフ族や王党派連中への宥和を志向している現政権のことだ。

 そうなればきっと、急ピッチかつ大掛かりだった作戦故に世間に知られることになった先日の事件とは違い、彼らの最後の抵抗は秘密裏に、永久に闇に葬り去られることになるだろう。


(それに、あのガスボンベはフロンセーヌ製だった)


 であれば、演説会の終了後に西へと向かう大統領達の車列を、道中で襲うというのも考えにくい。

 車列には、仲介人であるフロンセーヌの情報将校も同道すると、去り際にリヒテンベルクが言っていたのを思い出し、エルフリーデは眉根を寄せた。

 アルノー達の集団も参加する西部の武装勢力には、フロンセーヌの後ろ盾が付いている。

 もし大統領襲撃作戦にフロンセーヌ人が巻き添えになったら、エルフという民族はいよいよ世界で孤立することになるだろう。

 その上車列の通り道には市街地同様、大勢の人員が割かれて、ネズミ一匹見逃さないほどの警戒が敷かれている。

 マトモな襲撃が可能な地点も限られているし、そういうところは大抵人目につきにくい森の奥や街の郊外であり、こちらもやはり闇に葬られる可能性が高い。


(たとえ失敗したとしても、アルノーはきっと世界に知らしめたいはずだ。エルフ族の怒りと、嘆きを……憎しみを)


 であれば、アルノーに残された道はただ一つ。

 国内外の多くの人々からの注目を集める演説会場で、大統領を堂々と暗殺する――エルフリーデには、それ以外に考えられなかった。



 不意に、目の前を白く小さな綿毛のようなものが落ちていったのが目に入り、エルフリーデは空を見上げた。

 背の高い建物同士の隙間から覗く狭い空は厚い雲に覆われ、その切れ間から夜空が見える。

 その暗い夜空から、しんしんと白い雪が降り始めた。


(今日は、積もるんだったかな)


 まだエルフリーデが故郷にいた頃は、冬の積雪は当たり前のことだった。

 夜頃から降り出した雪は、朝になると腰ほどの高さまで積もり重なる。

 そんな風になると、よく近所の子供らやレオナ、アルノー達を誘って一日中雪遊びに興じた……あの日々が、今はひどく懐かしい。

 もう二度と帰っては来ない、あの宝石のような日々。あまりにも尊い、大切な記憶。


(これからの世代のエルフ達が、そんな時間を故郷で過ごせるように、今の私達がある)


 もう、恐れはなかった。

 これから死地へと赴く戦士のそれにも似た、ある種の清々しさのような感情が、エルフリーデを包み込んでいる。

 そうしてただ歩き続け、幾つ目かの角を曲がったとき――背後から声を掛けられた。


「おや、エルフリーデさん」


 その、心安らぐような低い声に、戦士は思いがけず足を止め、振り返った。

 そこには一人の老紳士と、通い詰めた喫茶店が佇んでいた。


「お急ぎですか? もしよろしければ、中へ入っていかれませんか?」


 戦士には、まだ少し時間があった。

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