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軍人エルフと喫茶店  作者: さと かんひこ
第四章 冬、戦い
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三十九品目 チーズタルトと討ち漏らし―後編

 紙箱を開けると、中からふわっと甘く、香ばしい香りが広がった。

 あの老店主は、きっと焼き立てのものをレオナに持たせてくれたのだろう。

 三角形に切り分けられたチーズタルトからは甘い香りと共に、ほのかな温もりが漂ってきていた。


「おっ、美味そうじゃないか! こいつとコーヒーを合わせたら、さぞ美味いことだろうがなぁ……」


 呟いた直後、レオナがにやっと笑って肩を突いた。


「ふっふっふ、そう言うと思いましてねぇ」


 じゃ~ん! と、軽快に言いながら、レオナはカバンの中から魔法瓶とマグカップを取り出した。


「ホットコーヒー、お持ち帰りしてきちゃいましたぁ!」

「おぉ! 流石レオナ、良く分かってる!」


 レオナ嬉しそうに笑みを浮かべながら、白い湯気の立つ熱いコーヒーをマグカップに注いで渡してくれる。

 それを両手で包み込むように受け取り、心地よい香りを感じ、エルフリーデはそろそろと口をつけた。


 瞬間、全身が、全細胞が、歓喜に打ち震えるように沸き立った。

 この温もり、この香り、このほろ苦さ――自分は、この全てを愛していた。

 冷静になって振り返れば、あの日以来たった二日離れていただけなのに、その過去がひどく懐かしいもののように思えてしまう。

 それほどまでに、コーヒーというものは自分の人生に密接に絡みついていたのだと、エルフリーデは気がついた。

 ようやくマグカップから口を離し、エルフリーデは恍惚(こうこつ)とした表情のまま顔を上げ、ため息をこぼす。

 その表情を見て、思わずレオナが噴き出した。


「私がアル中なら、エリーはコーヒー中毒だね」

「お前と一緒にするな。私のは愛だよ愛」


 レオナの言い振りに口を尖らせて抗議しつつ、エルフリーデはマグカップを机に置き、チーズタルトをつまみ上げた。


「あー、エリー下品だよ。ちゃんと紙皿とフォーク持ってきたのに」

「良いだろ別に。誰も見てないし、二人なんだし、さ? 子供の頃、よくやったろ」


 言った瞬間、レオナの瞳が揺らいだ。


「……うん。昔は、良くやったね。やって、見つかって、母さんによく怒られた。

 なんだか、昔に戻ったみたいだね?」


 静かにはにかみ、どこか探るような目で見つめるレオナからそっと目をそらして、エルフリーデは、つとめて明るく返事した。


「たまには、そういうのも良いだろ? そういうことを、したい気分なんだよ」


 口にして、流石に無理のある言い訳だろうかと、心の中で苦笑する。

 隠し事をしたい時ほど相手の目を見るようにしろと、昔士官学校で習ったが、エルフリーデはそれをレオナ相手に実践する気にはなれなかった。

 今、あの青い瞳を覗いてしまえば、この胸に隠した想いを、全てぶちまけてしまう様な気がする。


(――病室の外に、随分前から大佐が居ることには気付いていた)


 レオナが部屋に入ってくる直前、微かに二人の話す声が聴こえてきたのだ。部屋の前で鉢合わせて、大佐がレオナに譲ったのだろう。

 大佐は、以前エルフの青年達に襲われた時にレオナに命を救われている。だが、その顔までははっきり見たわけではないと言っていたはずだ。

 それ故に、前髪を下ろして、フードをかぶったレオナのことを、見舞いに来た友人程度にしか思っていないだろう。

 つまり、大佐は少なくともその程度の人間には聞かせたくない話を持ってきている……その中身は、エルフリーデには大体予想がついていた。


(多分、アルノー絡みの事だろうな。それか、クーデターの件か)


 どちらにせよ、もし万一の事があった場合には、エルフリーデはいつでも病室を抜け出し現場に出るつもりでいた。

 アルノー絡みにせよ、クーデターの話にせよ、そこには大勢の同胞の未来が、この国の国民の未来が掛かっている。

 そして、レオナの未来も。


(私が、一度狂わせてしまった未来だ。

 私を庇って片目を失い、顔に消えない傷を負った。

 私のせいで実の母親と折り合いが悪くなって街に出て、酒浸りになってしまった。

 私が復讐だなんだと幼稚な考えにハマっていたから、私が背負うはずだった大きな荷物を、レオナが一人で背負わざるを得なかった)


 ――私がいなければ、そうはならずに済んだ。


 そんな想いが、今までずっと(おり)のように心の底に沈んでいた。

 償い切れない罪を、それでも、ほんの少しでも、この手で償いたかった。

 その機会が今だと、エルフリーデには思えた。


(でも、多分レオナは許しちゃくれないだろうからな)


 少しでもそんな素振りを見せれば、察されてしまえば、きっとレオナは離してはくれなくなるだろう。

 想いの丈をぶちまけるなんて、もってのほかだ。


(私は、自由でなくちゃならない。皆のために。レオナの、為に)


 そう思って目を閉じた途端、暗闇の中に、一人の横顔が浮かんできた。


(……アルノー)


 かつての己のように復讐に燃え、遂にその情熱に身も心も焦がしてしまった、一人の男。

 エルフリーデを救世主と信じ、その騎士として凄惨な復讐劇を遂げ、故郷に帰ることを熱望した同胞。

 そして、信じた救世主に裏切られ、仲間を失い、今、暗闇の中で孤独に、それでも、きっと復讐の情熱だけを滾らせて潜む、大切な友人。


(きっと、お前を見つけてみせる)


 見つけて、止めてみせる。


(犯した罪の償いには、それでもきっと足りないだろうけれど――それでも、)


 エルフとガルノード。

 二つの民が手を取り合って歩む、明るい未来への糧になるのなら、私は喜んでお前を止めてやる。

 それが、たとえ刺し違えることになるとしても、喜んで、笑って、一緒にあの世に行ってやる。



 エルフリーデは、手に取ったチーズタルトを、静かに一口、口に運んだ。

 バターと小麦の香り高い、カリカリとしたタルト生地と、滑らかで濃厚な舌触りのチーズの、相反する二つの味わいが口いっぱいに広がる……その感動を、レオナと共に食事を楽しむ喜びを、ただ、静かに噛み締めた。

 閉じた両目の目頭が、また性懲りも無く熱を持ち始めたらしい。

 エルフリーデはレオナに顔を見られたくない一心で、そっぽを向いて、また一口、タルトをかじった。


「美味いな、本当に……」



 *



 チーズタルトを食べ終えた後も、レオナはエルフリーデの異変を察知したのか、しばらくの間病室から出ようとはしなかった。

 そんな彼女を半ば強引に、追い出すように家に帰すと、そこから少しの間を空けてリヒテンベルクが入ってきた。

 小綺麗な正装を身にまとっている。重要な会議か何かに出席した後なのだろう。

 左手には、丈夫そうなアタッシュケースを提げていた。


「……少佐、さっきの青年は――」

「いとこですよ。律儀なヤツで、私が負傷したってんで心配して見舞いに来たんです」


 入ってくるなりレオナのことを尋ねるリヒテンベルクの言葉を遮るように、エルフリーデはそう言った。

 リヒテンベルクも、あっさりと納得したらしい。ああ、そうかという顔をして、先ほどまでレオナが座っていた椅子に腰掛けた。

 彼も彼で、随分疲れているらしい。目の奥に、疲労の色がにじんでいる。


「会議か何か、あったんですか?」


 聞くと、リヒテンベルクは曖昧な表情を浮かべた。


「ああ、まぁ……な」


 リヒテンベルクはそんな歯切れの悪い返事をして、俯いた。

 何か、考えを巡らしているか、迷っているのか、眉間にしわを寄せ、目だけが落ち着かなげに動いている。


(考える時間なら、さっき山程あったろうに)


 エルフリーデの顔を見て、また迷いが出たのだろうか。

 結局、リヒテンベルクが再び顔を上げたのは、そこから数分程経ってからのことだった。


「少佐。先ほど、大統領府からお達しがあった。大統領閣下は、今晩行われる年内最後の演説会を終えると、すぐに西部へと向かわれるそうだ。

 閣下は、いよいよ西部の連中との和平をするつもりだ。おれも、同行する」


 その、全く予期していなかった言葉に、エルフリーデは目を大きく見開いたまま、しばらく身動きさえ取れなくなった。

 クーデター計画の関係者の拘束もいまだ途上で、アルノー達の行方も知れぬ中、その行動はあまりにも危険すぎるように思えた。

 不安の影が、胸の奥底から湧き上がってくる。

 エルフリーデは、思わず聞いた。


「その情報、知っているのは誰です?」

「ん? あぁ、近衛師団の一部の人間と、大統領秘書官連中。それから穏健派将校の数名に、おれと君に……あとは、仲介人もいるな」

「仲介人? 誰です?」


 リヒテンベルクは、ちらっと出入り口の方へと目をやって、廊下に誰もいないことを確かめると、事も無げに言ってみせた。


「フロンセーヌの情報将校だ」


 雪雲が、西に傾き掛けた太陽を覆い隠す。

 陰りの中で、エルフリーデは浅い呼吸を繰り返しながら、顔を覆った。


 ――そう。フロンセーヌの協力者が安く譲ってくれたんだ。全部で二十本。


 あの地下室で、どこか誇らしげにそう言って毒ガスの入手経路を語っていたアルノーの顔が、鮮明に思い出される。

 フロンセーヌは、この国最大の仮想敵国。そしてそれは、向こうも同じ。


(まだ、そうと決まったわけではない)


 だが、疑念がぐるぐると胸の中で渦巻いている。

 額に浮かんだ冷や汗をぬぐうこともせず、エルフリーデは長いこと病床に落ちた自分の影を眺めていたが、やがて、呟くように言った。


「……大佐。あの倉庫の地下室で、ガスボンベを押収しましたよね。あれ、何本でしたか?」


 顔色を変えて、そんなことを尋ねるエルフリーデに、リヒテンベルクはただならぬ何かを感じながら、少し考えて、答えた。



「確か、全部で十九本だ」

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