三十八品目 チーズタルトと討ち漏らし―前編
暗闇の中に、銃声と喚声が、軍靴の音と共に響き渡る。
臨海廃倉庫の周囲で待ち構えていた敵前衛を制圧した軍人達は、倉庫の出入り口や窓に取り付くや否や、一斉に手榴弾を投げ入れた。
数拍置いて、凄まじい轟音が鳴り響く――その音と爆煙に紛れるように、軍人達は倉庫へと侵入した。
倉庫の天井から吊るされた白熱灯に照らされながら、黒一色の装備を纏った軍人達が、中のエルフを次々に制圧していく。
そして、最後の一人を捕らえたと思った瞬間、エルフリーデは、物陰から飛び出してきた一人の男と目が合った。
宝石のような赤い双眸に必死の形相を浮かべた、まだ十五か六かの、青年とも呼べない、少年のようなエルフ。
その胸には、爆弾が括り付けられていた。
「――ジーク・エルフェ」
少年の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
夢は、そこで終わった。
*
エルフリーデが目を覚ましたのは、まだ夜更けの頃のことだった。
カーテン越しに差し込む薄ぼんやりとした街の明かりに照らされて、白い天井と壁が浮き彫りになる――それを見て、エルフリーデはようやく自分が今入院していることを思い出した。
全身から冷や汗が噴き出し、右肩と左腿の銃創にしみる。
荒い息をつきながら、エルフリーデは左手で顔を覆った。
(夢、か……)
まだ、心臓が激しく脈打っている。それほどまでに、鮮明な夢だった。
二日前。
喫茶店から軍に戻ったエルフリーデは、その足で親エルフ派の将校に、廃倉庫を本拠地として、都内各地にエルフ族武装集団が集結している旨を報告した。
将校はエルフリーデと武装集団との関係を知っている人物であり、その報告に動揺こそしたものの、エルフリーデの説得によりすぐに会議を招集し、即日部隊を編成。
非番だったリヒテンベルクを呼び出し、部隊長に任命した上で鎮圧作戦の実行を命じた。
その戦闘において、少佐ながら先陣を切って廃倉庫に突入したエルフリーデは、二人の同胞を銃で撃ち、一人の同胞に魔法を放った。
その三人の中には、ゲッツの息子で、まだ十五歳だったエアハルトもいたのだ。
自分の身体に爆弾をくくりつけ、物陰から飛び出してきたエアハルトのあの目が、まぶたにくっきりと焼きついて離れない。
たった十五かそこらの若者が、自らの命を懸けてでも、その巻き添えに自分を殺しに来た――その覚悟に至るまで、彼はどんな道のりを歩んできたのだろう。
(父親を手に掛け、その次には自分の命さえも……)
エアハルトのことを、いけ好かない、鼻に付くガキだと思っていた自分がどこか情けないような気がして、エルフリーデはまた大きなため息をついた。
エルフリーデ自身も、この戦闘で負傷している。
しばらくの間は、入院生活が続くだろう。
(こんなところで、寝てる暇なんてないんだが、な)
今回の一件で、軍は首都圏に潜伏していたエルフの武装勢力をほぼ一掃した。
身柄の拘束に至らなかった者達も、その多くが軍の監視対象になり、彼ら彼女らが再び事を起こすことは事実上不可能な状況だ。
また、あの日捕らえ損なった者達の追跡も、当然のことながら並行して行われている。
首都圏から郊外へと伸びるあらゆる道路や下水道、港湾などには連日大量の人員が投下され、夜間の外出制限まで行い、捜査が続けられている。
……そんな、必死の捜査が行われているにも関わらず、アルノーの行方は未だ知れない。
(旧主流派のクーデターの気運も潰えた。長く続いた西部での紛争も、じきに終わる)
今回のエルフ残党捜査の裏で、軍部は旧主流派の不穏分子の拘束を始めたらしい。
親エルフ派や穏健派の信頼を勝ち得たリヒテンベルクが主導しているらしく、拘束は特段の抵抗もなく、順調に進んでいると聞いた。
(アルノー。お前は今、どこにいる?)
もう身を寄せる場所など、どこにもないだろうに……。
白み始めた東の空をカーテン越しに眺めながら、エルフリーデは行方知れずの友の顔を――最後に見た、あの呆然とした顔を思い出し、ギュッと奥歯を噛み締めた。
*
「エリー、来たよ!」
昼を少し過ぎた頃、そう言ってレオナが病室にやってきた。
この二日間、レオナの方も色々とあったのだろう。
たったそれだけの間顔を合わせていなかっただけなのに、随分やつれているように見えて、エルフリーデは一瞬の間眉をひそめた。
「疲れてるんじゃないのか? 別に無理して見舞いになんて来なくてもよかったのに」
「いーのいーの。わたしがエリーの顔見たかったんだから、さ」
左手に、何やら紙袋を持っている。甘い香りが、ほのかにそこから漂ってきていた。
「差し入れか?」
「うん。チーズタルト。マスターからだよ。事情を話したら、是非持っていってあげてくださいってさ」
レオナは笑って、袋の中から小さな紙箱を取り出しベッドの脇の机の上に置くと、ぎゅっとエルフリーデに抱き着いた。
傷に触らぬよう、優しく、柔らかく包み込むような抱擁に、エルフリーデは束の間戸惑ったものの、すぐにレオナの背に腕を回した。
「……無事で、良かった」
耳元でレオナが、涙声を震わせる。その声を聞いた途端、エルフリーデも目頭が熱くなってくるのが分かった。
「うん。ごめん……心配、かけた。そっちも、無事で安心した」
掠れた声でそう言って、エルフリーデはレオナの肩に顔を埋めた。
昔から慣れ親しんだ、レオナの匂い。心安らぐその匂いに包まれていると、段々と気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
「アルノー、まだ行方が分からないんだってね」
「うん。軍の方でも探してるみたいなんだけど、な。
昨日、大佐が来て、言ってたよ。まるで足取りがつかめないんだって」
言うや、レオナの腕に力がこもった。
「探しに行く、なんて言わないよね? まだ怪我だって、治ってないんでしょ?」
エルフリーデは苦笑しながら、安心させるようにレオナの背をさすった。
「流石に、すぐには私も動けないからな。もうしばらく、怪我が治るまでは、大人しくしてるさ」
「治ってからも、だよ。エリー、もう無茶しないで……約束、して……?」
絞り出すようにそう言ったレオナの想いが、胸に深々と突き刺さる。
(レオナは、こんなにも私のことを想ってくれている……)
レオナは、身内だ。何よりも大切で、愛おしい家族だ。
この身を滅ぼすことになろうとも守りたい、大切な人――だから、その約束は、出来なかった。
「チーズタルト、美味そうな匂いがしてる。冷める前に、さっさと食っちまおうよ」
あえて軽薄にそう言って、エルフリーデはレオナから我が身を引き剥がした。
レオナの潤んだ青い瞳に、己の顔が映っている。
それを見てようやく、エルフリーデは自分も泣いていたことに気がついた。




