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道を究める二刀流  作者: 沢村俊介
9/20

後ろから優しく警策で、肩を叩いてもらう

 宮本は、和尚の方から、曹洞宗の座禅は、「面壁」(めんぺき)といって、壁に向かって行うものだと聞いていた。

 背筋の伸ばし方、足の組み方、手の組み方など、座禅の形になった段階で、宮本は静かに、細く、長く息をした。

 息を吸う時は、四呼吸し、二呼吸ほど息を止める。そして、息を細く長く吐いていく。八呼吸で吐いた。それからまた、四呼吸で鼻から息を吸い、二呼吸ほど息を止め、八呼吸をかけて口からゆっくり細く息を吐いた。

 それをていねいに繰り返す。だが、雑念が入る。

 宮本が思い出すに、八月の初め頃だった。

 宮本は左バッターとしてバッターボックスに立っていた。一球目、右投手のカーブが外側からストライクゾーンに入ってきた。それを打ち返す。レフト線にライナーが飛ぶ。それは、しかし、意外に伸びて、レフトポール際まで飛んで行った。もっともそれはファールだった。

 次は、胸元のインハイにフォーシームでストライクを取られる。三球目はアウトコース高めのフォーシームでボールとの判定だった。カウントはワン・ボール、ツウ・ストライクになっていた。このピッチャーの決め球はアウトコースのツーシームというデータを聞いていた。そろそろ、この変化球か、と思っていると、インコースの高めに回転するボールが来た。フォーシームか。宮本はその球を思い切り振ろうと思った。が、その球が急に内角のストライクゾーンをはずれ、手許に食い込んで来た。避けようとしたが、そのカットボール(カッター)は、自分の右肘に当たってしまった。しまったと思ったが、右肘の肘当てはしていたものの、打ちに行った分、肘の真後ろでなく、肘の外側靭帯部にボールが当たってしまった。デッドボールで一塁に歩くが、右肘の外側が痛い。我慢した。

 その日から、バッティングで右肘を庇おうとする気持ちが生まれ始めた。それはピッチングにも影響を及ぼしはじめる。

 右バッターに対し、インコースにシュート系のフォーシームを投げようとすると、右肘の外側の靭帯が突っ張るような感じがしはじめた。それではと、右バッターに対して、アウトコースにスライダーを投げようとすると、今度は、右肘の内側靭帯が通常より強く引っ張られるような感じがした。

 昨年の10月、宮本は予防治療として、右肘靭帯に対してPRP(多血小板血漿)という治療を受けた。靭帯の繊維群の中で細く弱まっている繊維部分が見受けられ、そこを補強するため、自らの血管から血液を採取し、それを遠心分離機にかけ、多血小板血漿を採り出し、それを患部に注射して、傷ついた靱帯の繊維を再生治療した、ということなのだが。

 靱帯が切れないように補強工事をした、それは確かなのだが。しかし、宮本にすれば、もしかしたら、鋭いスライダーを投げようと無理な投げ方をすると、その補強した繊維であっても、またそこが切断され、そのことを起因にして、靭帯全体の繊維群に支障をきたすかもしれない、そんな怖れを感じたのだ。

 そのような右肘への懸念から発して、投打とも、思うような結果が残せない。投手として二ケタの勝ち星、打者として二桁のホームラン。それが7月中旬に行われたオールスター戦の前までは、自分としては達成できそうに思えていたのに……。

 何がいけなかったのか。インコースの高めにカットボールを投げ込んできた相手投手に対して、恨みが全然なかったとは言えない。がともかく、肘当てのクッションガードを上手に使いこなせなかった、全くもって、自分自身の不注意であった。

  あれ以来、バッティングのとき、右肩にも、左肩にも力が入りすぎている。インコース高目のフォーシーム(ストレート)が打てなくなっていき、しかもアウトコース低目に変化するツーシームにも満足についていけない状態が続いている。

 くそっと腹が立つ。実際、投げる時にも、打つ時にも肩に力が入る。闇だ、打開策が全くもって見えない。イライラが膨らんだとき、コトリと音がした。誰かがこの座禅堂に入ってきたのか。目を瞑ったまま、宮本は人の気配を感じようとする。おそらく入ってきたのは宅野和尚だ。和尚がどうしているのか、見廻りに来られたにちがいない。これは、おとなしくしなくてはいけない、と宮本は背筋をピンと伸ばし、雑念を払って、何も考えない状況を作り出そうとした。

 パタリぱたり、履物の音が近づきつつある。宮本は息を止めるほどに緊張した。和尚に、最近のスランプ状態で心を乱している、ということを悟られたくない。

 しかし、何かしらいい匂いがする。それは、シャンプーというより、リンスの匂いのような気がした。和尚は髪をきれいに剃った、丸坊主のはずだが……。

 でも、髪から出るようないい匂い、しかも多量な髪から匂い出るようなもので、髪の量が少ない男の頭から出るようなものではない……。

 壁に向かって瞑目している以上、目を開けて、後ろを振り向くわけにもいかない。しかし、足音が大きくなり、人が自分の後ろに近づきつつあるのを感じる。宮本は和尚から、もし堂内を回って監督している僧侶から警策きょうさくを受けたい時は、合掌して合図を送ればよい、と言われたことを思い出した。

 宮本は胸の前で手を合わせて、合掌する。すると、見廻りの人が後ろにやってきたような気配がした。宮本が緊張して待っていると、警策が自分の左肩に触れた。投げる時の利き腕は宮本の場合、右肩・右腕となる。左肩を打たれるのはかまわないと思う。それで、宮本は、合掌したまま首を右前方に倒し、警策を受ける準備に入る。とんとんとんと、警策が肩に当たる。それは打つとか叩く、といったような強いものではなく、弱いものだった。しかし、それが宮本には快いものだった。宮本は後ろの僧侶に感謝した。警策が終わったように感じたので、宮本は首を元に戻し、合掌しながら、お礼の気持ちを込めて深々とおじぎをした。瞑目をして自ら雑念を捨て去ったというわけではない。しかし、警策によって、眠気や雑念が払われたような気がし、座禅に戻っていけるような気持ちになることができた。(つづく)


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